いろいろあって総勢七人は、カスミ教団の船に乗りこみ、えげれすを目指すことになった。詳細は略す。
「略すなぁーっ!」
安之進さんの鉄砲足軽が、なにもない虚空にいきなり叫んだので、ぼくはびっくりしてしまった。
「まあ諦めろ。この作者にはよくあることだ。どうせ戦闘シーンなんてろくに書けやしないし、それに、なれあいの戦闘なんて、魁皇の相撲を見ているようなもんだぞ」
その鉄砲足軽の肩を軽く叩き、安之進さんまでがわけのわからないことを言うので、ぼくは不思議に思った。ただひとつ、感じたことは、ふたりの淋しさ。できの悪い人に作られてしまった淋しさというか。とんでもなく腕の悪い鉄砲撃ちに仕えるはめになった鉄砲足軽というのは、こんな淋しさを感じるんじゃないだろうか。
その腕の悪い鉄砲撃ちとは、ぼくのことでもあるかもしれない。
正平は頭のゆるい鉄砲足軽だったが、そんな僕にずっと仕えていてくれたんだ。
その正平とも、もうすぐお別れなんだ。
「正平をふるさとへ戻してやらないか」
数日前、安之進さんにそう言われたとき、ぼくはどうしていいのか、よくわからなかった。
でも、それが正しいことのような気がして、ぼくは自分でもわからないうちに、うなずいていた。
ぼくが鉄砲撃ちに向いていないように、正平も鉄砲足軽には向いていないんだと思う。
だったら、正平が望むようにしてやることが、いちばんいいんじゃないだろうか。
子供のころからずっといっしょだった正平だけど、ふるさとに帰ることが正平の願いなんだ。
ぼくは正平を探して、甲板へ向かった。もういちど、正平と言葉を交わしたかった。
正平は舳先に立って、水平線をじっと見ていた。
あの先に正平のふるさとがあるんだ。
ぼくたちの予定では、淀川沖から瀬戸内水道を抜け、馬関を越えたこの船は、釜山で正平を降ろし、そこからマカオ、マニラ、ゴアを経由し、モンバサから喜望峰を回ってアフリカを一周し、えげれすへ向かうことになっていた。
「正平」
と、ぼくが声をかけると、正平はいつものように、ぴくん、と耳を動かし、それから振り返った。
ぼくだとわかると、正平の顔に波紋のように、じょじょに笑みがひろがっていった。ときどき見せる、いつもの笑顔だ。
「正平……ぼく、」
なんだか喉がつまったようで、ぼくはその先を言葉にできなかった。
正平が先に、ぼくに話しかけてきた。
「ごはん?」
船は順調に進んでいる。
もうじき、正平のふるさとが見えてくるだろう。
甲板の下からは、
「スイーツじゃないのです! あちきの好きな桜井甘泉堂の栗羊羹をスイーツって呼ぶなぁぁ!」
という甲高い叫び声が聞こえてくる。
「ようかん?」
という言葉につられて、正平は走っていってしまった。
帆柱の根元では、安之進さんが鉄砲足軽といっしょに、軽い寝息をたてている。
どうやら安之進さん、膝に顔をうずめて眠ってしまった鉄砲足軽の髪の毛を撫でているうち、自分も寝てしまったらしい。
いつも口を開くと喧嘩ばかりしている二人とは思えない。
甲板の後ろのほうから、どすん、どすんという地響きが聞こえる。
たぶん鈴音が四股をふんでいるのだろう。
そのとき、見張り台に立っていた藤兵衛が叫び声をあげた。
「おまいさん、船だよ! こっちより大きな船だよ! 大砲を1、2、……6門積んでいるよ!」
鈴音の鉄砲足軽・藤兵衛は、その名前から誤解されやすいが、実はちょっと小股の切れあがった中年増の女だ。
安之進さんは瞬時に起き上がって舳先に向かって駆けてきた。
後ろで「痛ったーい!」という鉄砲足軽の声が聞こえる。
「あれは……」
安之進さんはいきなり階段を駆けおりると、カスミ様の両脇を抱えてあがってきた。
「なにをするのですか! あちきにカンカンノウを踊らせようというのですか! 断じていくない、いくないのです!」
安之進さんは舳先の向こうに見える船を指さした。
「あの旗はあんたの教団のマークだよな。いったい、どういうわけなんだ」
ぼくにも船のマストにひるがえる旗のマークが見えるくらい、船はこちらに近づいてきた。それはいつか堺で見た、海の守り神だごんの紋章だった。
「逃げても無駄です」
低いがよく通る声がひびく。
「逃げようとしたら、6門の大砲をすぐさま発射します。少なく見積もっても、あなたの船の推進力は80%ダウン、攻撃力は60%ダウンは避けられないでしょうね」
部下を引き連れて甲板に仁王立ちする中年男を指さし、カスミ様が叫んだ。
「あ、あれは、シュースキー本部長なのです!」
以前のカスミ様の話によると、シュースキー本部長は教団の最高幹部のひとりで、本部えげれすで教団の運営を取りしきっている人だという。
その人がなんで、この朝鮮沖までやってきたのだろう。
「カスミ様、昨年のあなたの実績は、われわれの期待に応えたとは、とてもいえませんね」
シュースキー本部長の声がひびく。
「あなたの出場集会数はわずかに7試合。あなたが失踪されてから、信者数は6%ダウン。献金額は14%ダウンです」
「おまけにあなたは、この教団を出て、新教団を立ち上げる意向だとうかがいました。試算によるとその場合の信者数は32%ダウン、献金額は27%ダウンです。これはとうてい、教団として許せることではありません」
「教団を出たとしたら、どうしるつもりなのですか?! なのですか?!」
カスミ様が精いっぱいの声を張りあげる。
「殉教してもらいます」
シュースキー本部長は、ゆっくりと言った。
「いかん、危険だ。正平」
安之進さんは正平を呼んで命じた。
「おまえ、今すぐこの船から飛び降りて、あの島まで泳ぐんだ。あの島は統営だ。釜山まですぐだ」
「ごはんは?」
「この握り飯をもっていけ」
いつ用意したのか、安之進さんは油紙で包んだものを正平に渡した。正平はそれを頭の上にくくりつけ、船縁から飛び込んでいった。
別れの言葉をいう暇もなかった。
「おい、舵をとれ。あの船に突っ込む準備をしておけ」
安之進さんは後ろを振り向かないまま、鉄砲足軽にささやいた。
「よっしゃ。アボルダージ・ボールディングだな」
鉄砲足軽がうずくまったまま、こっそりと後部甲板へ這いずっていった。
シュースキー本部長はそれに気づかないまま、なおも語り続けている。
「カスミ様、あなたは尊い身でありながら、みずから日本での布教に献身された。そこで危機感を感じた一向宗、カトリックの陰謀により、あなた様は暗殺された。しかしカスミ様は死なない。神ですから。十年後、必ず戻ってくる」
シュースキー本部長は微笑した。
「どうです。この完璧なシナリオは。われわれはこのシナリオを完成するため、最新鋭のスクーナー船でやってきました。ここであなた様に出会えたのは幸運です。海はすべてを呑みこむ。われわれの船には教団本部から積み込んできた、豊富な武器弾薬がある。そのちっぽけな船で、逃げられる確率は2%もありませんな」
「本部の武器弾薬……しめた、もしかしたら、ガイ・フォークスの火薬も!」
安之進さんの顔がぱっと明るくなった。
「いちかばちかの賭だ。ニーナ、あの船に接舷だ!」
まさかちっぽけな船が、無謀な接近戦を挑んでくるとは思ってもいなかったのだろう。
ぼくらの船が近づくと知ると、敵は慌てて大砲を撃ちまくったが、どれもはるか上空を通り過ぎていく。
船の距離がじゅうぶん近づいたと見るや、安之進さんは太刀を口にくわえ、敵船の舷側に垂らしたロープにとびつき、するすると登っていく。
「ちょ、ちょっと待ってよう」
鉄砲足軽もあとに続いた。
安之進さんは甲板によじのぼり、太刀を鞘から抜きはなち、鈴音に呼びかけた。
「俺たちは斬って斬って斬りまくる。鈴音は援護をたのむ。ザコにはかまうな。火薬庫らしいものがあったら、それを撃ってくれ」
「まかしとくべい。この六連発銃の恐ろしさ、ずんと南蛮人どもに見せつけてやんべえ。ぶはははは」
鈴音は自慢の六連発銃を小脇にかかえ、信じられないほどの跳躍力で、いっきに甲板まで跳びあがっていった。
「あ、おまえさん。待っとくれよ!」
藤兵衛の嘆願を聞くような鈴音ではない。
甲板の高さがずっと低いこちらからでは、向こうの状況を見ることができない。
ときどき「何をもたもたしている! 年俸20%ダウンだ!」という叫び声や断末魔、鈴音の撃つ鉄砲の爆音が聞こえるのみだ。
「おまいさん……大丈夫かねえ」
藤兵衛は心配そうに、ぼくの袖にすがって敵船の甲板を見あげている。
やがて安之進さんの大声が聞こえてきた。
「ニーナ、今だ、あの火薬庫へ! あっ、鈴音こっちへ来ちゃ駄目だ!」
「ぶははははは。皆殺しだぁぁぁ」
どうやら鈴音には、安之進さんの声が聞こえていないらしい。
やがて、轟音がとどろいた。
火薬庫に鉄砲玉が命中し、爆発を起こしたのだろう。
ぼくは前に習った操船の講義を思い出しながら、おぼつかない手つきで舵をあやつり、炎上する船から逃げ出すのに一生懸命だった。
安之進さんと鉄砲足軽は望み通り、もとの世界に戻れたのだろうか。
どうやら爆発に巻き込まれたらしい鈴音はどこへ行ってしまったのだろうか。
正平は無事にふるさとに帰れたのだろうか。
ぼくには、なにもわからない。
「おまいさん、とうとうあたしたちふたりだけになっちまったねえ」
ぼくはなんとか堺まで戻ると、今まで通り鉄砲寮へ通っている。
カスミ様はとりあえず教団に戻った。
鈴音がいなくなったことと、藤兵衛が勝手にぼくの鉄砲足軽になると決めこんで、勝手についてくるのが、今までと違っているぐらいだ。
「おまいさん、どうだい、きょうは気分を晴らしに、ぱーっと船遊びにでもさ」
「いえ、鉄砲寮へ行きますから」
ぼくは藤兵衛の執拗な誘いを振り切り、京の道を歩き出した。
そこへ飛び出してきた男がいる。
「重ーちゃん! 今日はあたしと、いいとこ行きましょうよ。ね、ね」
この中年男は鞘助と名乗っているが、なぜかいつも、ぼくにつきまとってくる。
「いえ、授業がありますから」
逃げようとしてもこの鞘助、執拗にしがみついて離れようとしない。
藤兵衛は血相変えて鞘助をひっぺがそうとする。
「何だよあんた。あたしゃ重さんの鉄砲足軽なんだからね。オカマはすっこんでな!」
「うるさいわねこの年増女。こんな婆あより、重ーちゃん、あたしがあんたの鉄砲足軽になってあげる」
「ば、婆あだって?! あたしゃまだ二十七だよ。いいかげんにしなこの陰間、オカマ、性倒錯者!」
「きぃー、言ってはならないことを! 婆あ婆あ婆あ!」
「オカマオカマオカマ!」
果てしなく続くふたりの醜い争いにはさまれて、もみくちゃになりながら、ぼくも別の世界へ行った方がよかったのかな、と、ふと考えた。