その喪中葉書は、机の引出しの奥に忘れていたものだった。
柄にもなく年賀状を書こうとして引き出しを引っかき回しているとき発見したものだ。ご存じのように、今年中に喪中の葉書を受け取った相手に年賀状を書くことは、とても失礼なことにあたる。そんなわけで葉書を適当に放り込んでいる引き出しを引っかき回していたら、えらく古いものを見つけてしまったというわけだ。
ある朝突然に、その訃報はやってきた。
ネットとはいえ数日前にやりとりをしていたので、内心うそだと思いこんでいた。
それが本当だと理解するのに、たっぷり一日はかかった。
数日後、秋の夜長に通夜があった。遺影の写真はやっぱり丸かった。お寺の脇でこおろぎが鳴いていたことを憶えている。
それに出席したきり、葬儀にもお墓参りにも行っていない。
葬儀には蒋介石の招待席があったという話は聞いたことがない。
私は葬儀にもお墓参りにも行かず、その人のサイトをダウンロードして墓標にした。
そういえば一緒にバンコクに行ったこともあったなあ。たしかクリスマスの最中だった。クリスマスの真中だけに、ホテルは素泊まりだった。
寒い寒い寒い夜にシャトルバスを待って(格安航空会社だと出発が早朝か深夜なので、暗いうちに成田まで行く必要があるのだ)一緒に羽田で足踏みしていた。
バンコクでは雨に祟られた。それは夕立のように、っていうかスコールだった。
昼下がりの街角で奇形児や殺人鬼の屍体を展示する博物館を求めてさまよった。
その後あの人は、奇形児の亡霊にとっつかれて、背筋が寒くなる思いをしたらしい。こちとらそっち方面にはとんと鈍感なので、まるで気がつかなかったが。
バンコクの一流ホテルで鍋をした。その費用ざっと三百円。むろん松茸は入っていない。こんにゃくゼリーも入れなかった。私は酔っていたので鍋を床にこぼした。あの人に叱られた。
なんか映画を見せられたような気もするのだが、よく憶えていない。ええと、ハヌマーンとウルトラ兄弟対怪獣軍団だったっけかな。
あの人は真ん中にマグマのような芯があって、それを甘い糖衣で包もうとしているのだけれど、包みきれなくてときどき角が噴きだすという、金平糖のような人だった。チョコレートだったら幸せに生きられたのかもしれない。
雑文界は死んだと語った人がいた。あの人とともに雑文界は死んだのかもしれない、と、ふと思うことがある。スターティング・オーバーはもうないだろうなあ。
雑文界というのは煉獄のようなところで、幸せになって去ってゆく人もあり、不幸になって去ってゆく人もあり。いつまでも煉獄に残っているのは、幸せにも不幸にもなれない、永遠にどっちつかずの人間、あるいは三歳の子供のような心の人間だけなのだろう。
煉獄にいつまでいられるのだろうか。それはあの人も含めて、誰にも、当人にもわからない。
私だけ残ったとしても、それでも、さびしくないから。
「験なき物を思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし」と大伴旅人は歌ったが、私はもう酒を飲めない身体だしなあ。
なんか陰気な話になってしまいました。最後くらいは、よーきに締めたいと思います。
とっぴんぱらりのぷう。
第八回雑文祭 参加作品
・書き出し: ○○は、机の引出しの奥に忘れていたものだった。
・縛り: 金平糖を文章のどこかに入れる。
・結び: とっぴんぱらりのぷう。
・おまけ: 今までの雑文祭の縛りを可能な限り入れる