剥製の異常な愛情

 みんな知っていることだが、ハチと呼ばれた犬は飼い主を慕うあまり、いつまでも渋谷駅で待ち続けて評判になり、忠犬ハチ公と呼ばれて銅像にまでなった。ここで思うのは、どの飼い主を、という疑問である。

 少なくともハチには3人の飼い主がいた。ある記録によれば、大正12年11月にハチが秋田で生まれてから大正13年1月までの飼い主、斉藤義一。大正13年1月から本人が死ぬ大正14年5月までの飼い主、上野英三郎。そして大正14年5月からハチが死ぬ昭和10年3月までの飼い主、小林菊三郎である。もしも飼っている期間が飼い主の愛情に比例するならば、もっともハチに慕われるべきなのは、2ヶ月対1年4ヶ月対9年10ヶ月で、圧倒的に小林菊三郎のはずだった。

 しかしハチは、なぜか上野英三郎を選んだ。それはなぜか。

 犬畜生ごときに年数の計算ができるわけがない、しかもヤキトリを串ごと食うほどの馬鹿犬だぞ、それよりも愛情の深さの問題だよ、と人は言うかもしれない。たとえば今年、昔を今になすよしもがな、言うも還らぬ繰り言なれど、あのひょっとこ阿呆監督に投手の起用法について佐藤元コーチの忠言を受け入れるような脳味噌が鼻クソ程度でもあれば、藤川が最後の最後まで優秀なリリーフエースとして君臨し、そして阪神を日本一に導いてくれたとしたら、もしその後10年阪神のリリーフエースが古溝だったとしても、私は藤川を慕い続けるだろう。しかし、上野氏と小林氏の愛情のあいだに、藤川と古溝の実力ほどの違いがあったのだろうか。それはあまりにも、小林氏を馬鹿にした話ではないだろうか。

 実際にはハチは、上野氏と小林氏への愛情を等分していたのだという説がある。つまり夜から昼間までは小林氏宅で過ごし、昼から夕刻までは故上野氏の思い出のある渋谷駅で過ごすことで、両飼い主への愛情を表現していたのだ。そういえば上野の国立科学博物館にもハチの剥製が展示されている。なにかの手違いで赤茶色だった毛がまっ白になっているが、尾もぴんと立って威勢がいい。渋谷の銅像よりもひとまわり大きく見える。それもそのはず、渋谷のハチ公像は渋谷駅で故飼い主を待ち続けていた老犬の姿を造形しており、上野の剥製はもっと元気だった壮年期の姿を復元している。いってみれば渋谷の銅像は小林氏が飼っていた頃のハチ、上野の剥製は上野氏が飼っていた頃のハチ、ということで、両飼い主が納得するように使い分けているのかもしれない。しかしそれならもう一人の飼い主、秋田の斉藤氏の立場はどうなるのだ。ハチの生みの親ともいうべき斉藤氏があまりに気の毒ではないか。

 秋田にもハチの幼年期の姿を再現した、仔犬歯科医院を作るべきだと提言する。斉藤氏のために。むろん仔犬は歯科衛生士さんのコスプレである。なぜ秋田に歯科医院なのか? 昔から言うではないか。忠犬に歯科奥羽、と。


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