その直前

 上州はただでさえ砂埃が多い土地なのに、大勢の兵隊が土を掘り返しているため、満州の黄砂もかくやと思われるありさまだ。このへんのさらさらした土だけでは足りないのか、あちこちに、「土用壕塹」と書いた麻袋と黒土が散らばっている。どうやらよほど大きな塹壕を作ろうとしているらしい。
「先生、きょうも暑いですなあ」
 野太い声に振り返ると、知り合いの相撲取りの親方だった。このご時世で相撲興行が中止になったので、タニマチの有力者を頼ってここに疎開してきた。
「いま、メシを食わせているところなんですが、どうですか先生も」
 配給も途絶えて家には米の一合もないので、ありがたくご馳走になる。この食糧難の時代だが、相撲取りは軍のお偉方や政治家のタニマチのおかげで、食うには困らないらしい。
 バラックの裏に埃よけのよしずを立て、その陰でちゃんこのあついのに、よくもまあるい奴がこの食糧難の時代にこんなにいるもんだ、と感心したくなるような若い取的連中が食らいついている。その脇にもぐりこませてもらい、鶏のぶつ切りの入った、味噌仕立てのうどんを食う。ちょっと味が薄いが、空腹に沁みるようだ。

「うちでちゃんこ作れるのは親方だけっす」
「おかみさん、ちゃんこの味付け知らないっす」
「つーかおかみさん、ここんとこ見たことないっす」
「あんなのおかみさんとは呼びたくないっす」
 取的どもが勝手なことを言いながら昼寝しに去っていったあとで、親方と話しこむ。
「あの塹壕ですがねえ、戦車用らしいですよ」
「戦車?」
「なんでも日本の戦車はアメリカさんの戦車にかかっちゃイチコロらしい。だから土にもぐって、隠れながら一矢報いるつもりらしいですよ」
「しかし……それはまあ、戦車戦術じゃないですねえ」
「事実勝てないんだからしかたがない……しかし」
 親方は大きな腕をふりあげて、
「まさに癸丑以来の国難ですな」

 もう日本が負けるしかないことは、すべての国民がうすうす気づいている。
 私は雑誌記者という商売がら、もっと確実なことも知っているが、そのすべては報道差し止めをくらい、知らせることはできない。もっともそれ以前に、紙の配給がなくて休刊中なのだが。
「せっかく疎開してきたけど、またここからも疎開しなければならんかもしれませんなあ」
 親方はすこし笑った。
「先生んとこはどうしますか? 米兵がここまでくれば、男は皆殺し、女は犯されるとか」
「うちの女房も付け焼き刃の護身術を習ってますよ。八方振りというなぎなた技だとか」
 まさかアメリカ軍がそんなことはするまい、とは思うが。
「米兵もだけど、先生、憲兵にも気をつけてくださいよ」
 親方が忠告してくれた。
「どうも先生に目をつけているらしい。警察署長がこないだ、それらしいことを教えてくれましたよ」

 親方に礼をいって帰宅したら、その憲兵がたむろしていた。隊長らしき男がささやくように言う。
「先生、いいところでお会いできました。ちょっとお尋ねしたいことがありますので、ちょっとご同行いただけますか。いやもう、ほんのちょっと」
 師団の拘禁所へ連れていかれるのかと思ったが、まったく違う方角、軍司令部の奧に憲兵の取調室はあった。分厚いドアで防音になっているらしい。
「先に奥様にもちょっとおうかがいしていました。いやあ、若くておきれいでいらっしゃる。おまけに床上手」
 憲兵隊長は嬉しそうにささやく。
「でもまあ、先生には別なやりかたで身体に聞いてみることにしますよ。日本が負けるなどというデマを、だれからお聞きになったか、どなたにお話になられたか、ということをね」
 隊長は憲兵に命じ、隣室のドアを開けさせた。隣室はコンクリート張りになっていて、ところどころ血のにじんだような痕があった。部屋の中央には、真っ赤に焼けた金床があり、その上には大きな鏝がやはり赤く熱され、脂の焦げるような匂いと、黒い煙を発していた。

(後記)「鰻の寝床雑文祭」を間違えて「鏝と金床雑文祭」と読んでしまったため、このような内容となってしまったことを深くお詫び申しあげます。
(後記2)雑文祭の縛りを消化するためだけに物語仕立てにするのはずるいと思います。
(後記3)どうせひねくれるなら「床」「丑」「長い物」の使い方もひねくれろよ、と思います。


土用丑、鰻の寝床雑文祭
1)文中に次の語句を必ず用いること。
・「土用」
・「丑」または「牛」
・「鰻」(「うなぎ」「ウナギ」も可)
・「床」の文字が含まれる熟語(「寝床」「川床」「万年床」「床屋」など)

2)文中に次のフレーズを必ず用いること。
・「この暑いのによくもまあ」(「暑い」を「クソ暑い」とするなど、意味が変わらない範囲で多少変化させるのは構いません)

3)鰻の寝床のような細長い物体を登場させること


 さてここで、雑文祭バトンを受け継ぎ、新しい雑文祭を催しても良い頃ですね。今回は鰻を受け継いで梅干をテーマに雑文を募集します。
日曜虎、梅干殿下雑文祭
1)文中に次の語句を必ず用いること。
・「梅干」
・「酸」または「酔」
・「食い合わせ」(「食中毒」「下痢」も可)
・「床」の文字が含まれる熟語(「寝床」「病床」「床に就く」「ひょっ床」など)

2)文中に次のフレーズを必ず用いること。
・「氷を三杯も食ったら腹を下すのはあたりまえだろう」(「腹を下す」を「クソ漏らす」とするなど、意味が変わらない範囲で多少変化させるのは構いません)

3)オールスターなのに藤本のような打率の低い物体を登場させること。

※期間:2005/7/19〜2004/8/6(次の御用。アーッ)

※脱皮はなるべくご遠慮下さい。すでに今岡である方はこの限りではありません。(2005/7/22変態)すでに東出である方は前進守備とか牽制球の意味を小一時間考えて下さい。(2005/7/20失態)

※参加作品は自サイトにup せず、このページに向けてリンクも貼らないでください。後日こちらからはリンクしません。すべては気合と根性でなんとかするべし。


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