一人なっちの冬

 日本ハムは一人ぼっちで来年のパリーグペナントレースを闘わにゃならんかもだぜ、とおったまげた球界再編成もようやく一段落し、あとはダイエーと西武の身売りと広島の樽商法の結果を待つだけの季節となった。それでもあれだ。現在、日本で最も認知されているプロ・スポーツとは何か。そう問われた場合、「プロ野球なので?」と答えて大方差し支えはあるまい。勿論、相撲やボクシング、ゴルフやサッカーなども広く認知されているが、その集客力、観客数を考えてしまえば、やはりプロ野球に軍配が上がるだろう。

 然しだ。思うに雑文界隈では、プロ野球について語られる事が余りにも少なくないだろうか。尤も、私がそれほど広範囲にサイトを見回っていない所為かも知れないが、それにしても極端に少ないと感じてしまう。

 いやいや、そんな事ないよと貴方は言うかも知れない。プロ野球を語っている雑文書きなら、ちょくちょく見かけるではないか、と。貴方の気持ちは解る。言いたい事も解る。だが、思い出して頂きたい。その手の雑文書きが語っているのは、本当にプロ野球であろうか。いや、違う。そこで語られているのは、プロ野球などではない。岡田である。彼らが語っているのは、岡田なのである。プロ野球と岡田を一緒にしてはいけない。岡田とプロ野球を出会わせてしまったばっかりに、阪神はえらいコトだ。

 そもそも岡田ファンには、他球団ファンにない特異な習性が多数見受けられる。その代表的なものが、ネタ至上主義とマゾヒズムであろう。これは、今更私などが書き並べる必要もない周知の事実となっているのだが、まあ、中にはご存知ない方もいると思うので、改めて幾つかの例を解説しながらその特異性を確認していかにゃ。

 まず、岡田とは一体どんな監督なのか。それは、その歴史をふり返れば直に答えがでる。岡田は凄い。そりゃもう、凄い。二軍監督時代の岡田に「バントやエンドランなど小技のできる内野手」を野村監督が求めたら、「この選手が伸びてます」と薦められたのが「大振り一発狙いの外野手」曽我部だったというくらい凄い。岡田ファンの楽しみと言えば、開幕戦に鳥谷を出し「よっしゃ、新人王確定かもだぜ」「新人王なので?」「モチのロン」と言う事しかないぐらい凄い。これとて、けっきょく鳥谷は試合に出してもらっただけの結果に終わったから、新人王は泡と消えた。毎日、新聞のインタビューには「あの回の失点がすべてよ」の文字が飛び交い、四位になろうものなら「そらもう、安藤よ」とまで個人攻撃を行う。個人攻撃である。それも、たまに二失点しただけでこの扱いである。

 通常、これ程までにこき下ろされた場合、選手は怒るものである。反発するものである。そして、憤慨しながらも成績の不甲斐なさから反論できず、契約更改で泣き崩れる。また、可能な限り監督の話題には触れないようにする。見て見ないふりをする。他球団ファンから話をふられた時には、わざとらしく言葉を濁すものなのである。

 勿論、憤慨するのは、岡田ファンとて同じである。同じなのだが、彼らは憤慨しながらも何処か嬉しそうなのだ。その上、止せばいいのに岡田の不甲斐なさを吹聴してまわる。サイトを持っていれば、わざわざサイト上に書き連ねる。そしてネタとして展開する。それは、もう、他球団ファンには信じられないような批判、罵倒をネタとして嬉しそうに書く。いまにもボランティア軍を結成して岡田家に討ち入りせんばかりの勢いである。挙句、本人が書いた言葉に本人が傷付き、再び嘆くのである。摩訶不思議。

 これは罵倒や批判に対し、既にある種の快感を得ているからだと考えられる。長い間の球団批判が、凶悪なマゾヒズム集団を作ってしまったのだ。その、余りのマゾっぷりに危機感を抱いた米国政府は、一つの球団に岡田と松井を存在させると豚と恐竜のハーフが誕生して新生物になると言う、なっち上げならぬでっち上げの機密文章を作成したぐらいなのである。トテモヒドイ・ブス。

 しかし、岡田ファンのマゾヒズムには、他と異なる一つの特徴がある。それは、飽くまでも岡田でなければならないと言う事だ。例えば他球団ファンが同様の批判、罵倒を阪神に対して行うと、彼らは途端に激昂する。あまつさえ、「このプッシー知らず!」や「ローカルな星人め!」や「66回の流産野郎!」や「鼻をつっこむな!」や「このファック野郎!」や「おっ死ね!」などと物騒な事まで言いだす。誰が批判してもかまわないものは、岡田、阪神OB、猿木トレーナーぐらいなのかもだぜ。

 では、次を見てみようか。次なる特徴、それは、異常なまでの不安感である。彼らは、岡田がどれだけ試合に勝とうとも、どれだけ連勝を積み重ねようとも、不安で不安で仕方がないと言う。必ずまた負けるから、そしてまたしょうもないことを言って世間を騒がしてくれるから、と言う。そしてその予想は当たる。可哀相に。何せ岡田が凄すぎた。岡田を信じようにも、信じる根拠、実績が何処にも存在しないのだ。

 更に、追い討ちをかけたのが今年であろう。阪神は去年まで非常に調子が良く、「ひょっとして今年も」と多くの阪神ファンに淡い期待を抱かせた。しかし、岡田が「期待して貰って結構です」と大言壮語するやいなや、その後に信じられないほどの連敗を重ね、六月が終わる頃には「こ、今年はなんとか三位以内」などと、極端に目標を下げざるをえなかったのである。結局、それすら叶わなかったのだが。

 その刷り込まれた不安感を、顕著に表しているのが今オフである。何でか解らんが今年の阪神は凄い。呪われているとしか思えないほど凄い。何せ、獲得が確実と見られていた野間口に逃げられ、一場にも逃げられ、さらに染田にまで逃げられてしまったのである。那須野と久保には、はなっから相手にされてなかった。そのうえダルビッシュと涌井の高校生有望コンビには「阪神お断り」と言われ、あげくのはて一場に栄養費を渡していた罪でオーナーと球団社長のクビが飛ぶという事態まで招いてしまった。今年は野球選手のストライキがあったが、はて阪神ではスカウトもストライキしていたのだろうかと首をひねるようなていたらくである。

 そして新外国人でも混乱する。岡田が嫌いなアリアスをさっさとクビにしたのはいいが、代わりがいない。狙っていたウッズは中日に奪われ、バーンはオリックスに身柄拘束されてしまい、ならばメジャーリーガーをと狙ったテームズはトレードマネーを要求されてコトがこじれ、では韓国の大砲をと狙ったブルンバはオリックスに奪われそうな状況である。けっきょく元広島のシーツを獲得したが、「四番を打てる大砲」を求めた結果が、25本塁打の選手をクビにして23本塁打の選手を獲得したという、わけのわからないことになってしまった。シーツに四番を?

 岡田ファンの不安は尽きない。野球に於いて、試合の結果は「勝ち」、「負け」、「引き分け」の三種類しか存在しない。まあ、野球に限らず、試合とはそう言うものだろうが。この内、「引き分け」の確率は極めて低く、年に十試合もない。つまり、殆どが「勝ち」か「負け」なのである。こうなると、どうしたって連勝とか連敗とか言うケースが出てくる。勝ち勝ち勝ちと言う事もあれば、負け負け負けと言う事だってあるのだ。

 ところがだ。こと岡田に限り、負け負け負けはあっても、勝ち勝ち勝ちはありえない。ひとつ勝つと岡田が有頂天になってぶさいくなことをやらかすため、連勝しないのだ。そんなとき、岡田ファンはこう言う。

「そらそうよ」

 どうだ、この潔いまでの不安感は。たかだか二連敗しただけで、そらそうよである。負け越しが四つあっても、そらそうよである。ううむ、無理もないか。何せ、前回優勝したのは応仁の乱の前か後かというくらいな雰囲気になっちゃってるからな。

 そんな不安感が積もり積もった結果、岡田ファンは懐古主義者になってしまった。信仰主義者と言った方が良いだろうか。彼らは空を見上げて溜息まじりに呟く。毎年、毎試合、事ある毎にこう呟く。

「嗚呼、ブレイザーがいればなあ…」

 ブレイザーなので? いや、確かに、ブレイザーは素晴らしい監督であった。新人時代の岡田は、セカンドフライを間違いなく落球するほどの技量であった。ブレイザーはそんな選手をベンチに下げ、外国人のヒルトンを使い続けたのである。人気者ルーキーの岡田を使えという、オーナー命令にも球団社長指令にも頑として抗しつづけ、ついには解任された漢であった。しかし、何もそこまで遡る事もなかろう。岡田を止めるなら星野でも野村でもよさそうなものだが、彼らにとって、ブレイザーは既に神格化された存在なのだ。ここまで崇められば、ブレイザーも草葉の陰でデスマスクをほころばせているだろう。たぶんまだ死んでないけど。

 余談となるが、よく「岡田はコメントが酷い」と言う話を聞く。コメントだけなので? これは、「そらそうよ」からイメージされてしまうのだろうが、実際はそんな酷いものではない。ただちょっと、脳髄と言語中枢が特異な構造をしているため、「350万人というファンの皆様にみももまめましたがみながぇ 」のように何を言っているのか分からないことがよくあるし、他人にわかってもらおうという気遣いがないためしばしば「何か(考えが)浅いな」のように重要な単語を略して言ってしまうだけなのである。そのへんの言語構造は、「コーヒーを?」などとよくわからない疑問形の語尾でごまかしてしまう字幕翻訳の巨匠・戸田奈津子氏によく似ている。選手批判も、流石に皆無とまでは言わないが、それも声援の延長であり、選手に対する叱咤激励かもだぜ。選手のプレイ以外を批判する事もよくあるし、他球団の選手に対しても「古田は自分のことしか考えてない」「相川、ホンマのこと言えや!」などとわけのわからないいいがかりをつけることもよくあるのだ。

 以前、横浜スタジアムで横浜 x 阪神の試合を観戦した。私は三塁側内野席、つまり阪神の応援側にいたのだが、ベンチの岡田監督と守備に付いた横浜の一塁手、ウッズ選手に対して、だれかがこんな声援を送っていた。

「黒のチンポ吸いー」

 ウッズなので? ひょっとして、監督、吸ったので? こらこらこら。あんまりそんなこというもんじゃない。それはふつう、娘に対する悪口だ。ふつうはな。

 如何であろう。ほんの触りであるが、岡田と岡田ファンと言うものを多少は理解して頂けただろうか。断っておくが、私は何も岡田監督や岡田ファンに喧嘩を売ろうと言う訳ではない。決して、馬鹿にしている訳でもない。飽く迄も、彼らの習性が他球団ファンにはない、特異なものである事を伝えたかっただけである。大体、読み直したら大変な事に気が付いてしまった。恐ろしい事に、岡田を山本、ブレイザーをルーツに置換えても、それほど違和感なく意味が通じてしまうのだ。まあええことよ。来年こそは広島とふたりで最下位争いだ。さびしくないから。


参考文献:「岡田語録」
 「戸田奈津子テンプレ」
 「一人ぼっちの雑文祭」

一人なっちの雑文祭縛り
・すてきだなと思った雑文をパクってください。
・書きたい人は勝手にパクって、パクリ元に知らせてはいけません。
・「だれそれの作品をパクったようだ」「だれそれのオリジナルのほうが面白かった」という感想も禁止。
・参加者は、ひょっとすると知的所有権の侵害とかの罪に問われますが、バレたら紅白を辞退して芸能活動を一ヶ月謹慎すれば済むと思います。雑文祭参加と称して、どこでどんなテキストがパクられようと、私は一切の責任を負いません(自己保身のため)。
・語尾に「○○なので?」「○○を?」と入れたり「プッシー知らず」「黒のチンポ吸い」などの造語をちりばめるとポイントアップ。
・500ギルって兵隊の位にすると、な、な、なんぼくらいかな?


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