地には平和を

 イエス・キリストが登場したころのユダヤ人社会は、ローマによって国が滅ぼされ、占領下で圧制をうけ、ちょうどいまのイラクに似た情勢でした。
 すなわち、イラクを占領したアメリカ軍はローマ。その手先の日本軍とイギリス軍はガリア傭兵。隣国のイスラエルはローマにへつらってユダヤの王にしてもらったヘロデ王の宮廷。だいたい、こう考えればいいかと思います。
 圧政に苦しんだユダヤ人は救世主を待望しました。そして、じっさいに各地に自称救世主が輩出したのです。
 このころの救世主は、のちの世でいうような、信者を天国に誘うようななまやさしい存在ではありませんでした。もっと現世的でした。奇跡や兵器でローマ人やその手先やヘロデを皆殺しにして、ユダヤ人を武力解放してくれる人間、それが救世主でした。いまのアルカイダの武装テロリストやパレスチナの自爆テロリスト、それこそが救世主だったのです。

 大工のイエスこと、イエス・キリストも、そのようなユダヤ人の期待をこめて救世主としてデビューしました。盲人を癒したり、湖を歩いて渡るなどの曲芸を繰り返して信者を集めつつ、高利貸しを殴打追放したりして信頼を集めていました。
 けれど、そこからイエスは路線変更しました。ユダヤ人ローマ人の差別なくすべて愛せよと語り、ローマ人のものは奪うな、盗むなと主張し、そして恨むな、憎むな、愛をもって応えよと説教したのです。
 これがどのくらい衝撃的だったかは想像に余りあります。たとえば、イスラムの指導者がアルカイダで次のような演説をしたくらいだったでしょう。
「イスラムの子らよ、アメリカ人を憎むな、殺すな。彼らの残虐行為にテロで応ずるな。それはアメリカ人と同じ悪をなすことだ。外国人を殺すな、捕らえるな。軍隊に撤退を強要するな」

 おそらくこんな演説をしたらアルカイダは激怒すると思いますが、やはりユダヤ人も激怒しました。われわれを奇跡で武力解放してくれるはずのイエスが、あろうことか愛を語り、ローマと和解しようとしているのです。激怒したユダヤ人は、裏切り者イエスを罪に落とし、磔の死刑に処したのです。

 いま、イエスがイラクに現れたとしたら、やはり殺されるでしょう。イラクのテロ組織に殺されるか、米軍に殺されるか、イスラエル政府に殺されるか、それはわかりません。
 しかし望むのです。イエスがふたたび来たらんことを、と。そして平和を邪魔するものが消えますようにと。

 ブッシュ落選しないかなあ。


戻る