女海賊と少女十字軍

「何だよ、その少女十字軍ってのは。ニーナが少女異教徒と闘うのか?」
「あたしがなるわけじゃない。乗せるだけだ」
 腕組みをする安之進に、ニーナは今度の仕事を説明した。

「まあ客を乗せるだけならいいが、その少女十字軍ってのはなんなんだ」
「十八歳未満の女の子だけで結成した十字軍らしい」
「とうてい役に立つとは思えないな。で、そいつらのボスは?」
「カスミ様っていう教祖と、アマド様っていう教祖の夫婦がリーダーだそうだ」
「夫婦で教祖ってのも珍妙だな」
「もともとは、アマド様だけが教祖だったらしい。聖なるワインを飲むと神様が宿るので信者を集めたそうだ。ところがあるとき、東方伝来の料理を食ったカスミ様に、もっと強力な神様が宿ったんで、ますます信者が集まったそうだ」
「どういう神様なんだ」
「なんでもバースとかムラチョーとかサヌキとかデジコとかいう神様らしい」
「それ、キリスト教の神とは思えないんだけど」
「だから法王に破門宣告されている。異端カスミ派といって、フランス南部の吟遊詩人を中心に活動している宗派だ」
「おいおい」
 安之進は首を振った。
「異端の教祖様と少女十字軍、どう考えてもヤバい荷物だぞこれは。断った方がよくないか?」
「もう受けちまった」
 ニーナは舌を出した。
「宗教はよっぽどもうかるらしい。相場の三倍はくれたよ」
「やれやれ」

 ニーナと安之進をはじめとする乗組員、教祖夫婦、十字軍の少女たちを乗せた船は、地中海対岸のアフリカ大陸、チュニスに向けて出航した。
 すべてが青い。
 風が快い。
 波が静かだ。
 やや伸びかかった黒髪をそよ風になぶらせながら、ニーナは甲板でまどろんでいた。
「……親方」
「な、なんだよ部下Aか。せっかくいい気持ちだったのに。それより船長と呼べぇ!」
「頼むからいいかげんあっしらにも名前をつけてくださいよ。……いやそうじゃなく、あの二人のことなんですがね」
「教祖様のことか」
「ふたりとも変なんですよ」
「宗教家なんてのは、だいたい変なものだ」
「旦那のほうは、船の賄いをぜんぜん食わねえんです。肉は食べないとかいって、腐った野菜を囓ってます」
「あれはヌカヅケというものだそうだ」
「それにパンも食わねえんですぜ。あっしが勧めたら、いや、小麦はこうして食べるのが一番とかいって、尻から出る虫みたいな形のものをずるずる食ってるんですぜ」
「あれは最近イタリアでも流行りだした、パスタとかいうものだ」
「嫁さんの方は賄いを食うんですが、なんにでも変な白いものをぶっかけるんです。ちょっと舐めさせてもらったら、甘いの甘くないのって」
「あれはコンデンスミルクといって、宗教的に重要な意味があるんだそうだ。キリスト教で蜂蜜は、苦行者や聖者が食う神聖なる甘味。東洋ではブッダとかいう神様が乳酪を飲んで真理を悟ったそうだ。その乳酪と蜂蜜を混ぜたものがコンデンスミルクだそうだ」
「へへえ、何にでも理屈ってのはつけられるもんですねえ」

 さらに航海は進む。
 天候が穏やかすぎて、これまであまり進まなかった。
 しかしうまい具合に追い風に乗り、船はようやく快走をはじめる。
 やや伸びかかった黒髪を風になびかせながら、ニーナは甲板でまどろんでいた。
「……船長者」
「わ、何だ何だ、あ、ああ、教祖様か」
「起こして申し訳ないのだが」
「いいえ、でも、その『船長者』ってのはやめてくれないかな。船長だけでいい」
「そうか……ところで、ちょっと船の速度が速すぎはしないか」
「いや、まだまだゆっくりすぎるほどだぞ」
「そうとは思えん」
 男のほうの教祖は、舳先が波しぶきを立てるのを不安げに見ていた。
「もうちょっとゆっくり進めんか。ほら、今マンボウを追い抜いたぞ」
「あんたの言う速さだと、目的地に着くのが十年後になるぞ」
「うう……しかし……ああ、ほら今ホンダワラにぶつかった。事故だぞ」
「そのくらいで船は沈まないったら」
「ううう……」
 男の方の教祖がよろめきながら去っていったあと、入れ違うように、こんどは女の方の教祖がやってきた。
「なんかびゅんびゅん走ってるでち。速すぎて怖いでち。もっとゆっくり行くでち」
「いや、だから、速くないって」
「でも、こんなに飛ばしてると、もしあの島影から子供が飛び出してきたらどうしまちか? 轢いちゃうでち」
「いや、飛び出さないって」
「なんというか、妙なところが似たもの夫婦だな」
 いつのまにか後ろで聞いていた安之進が評した。
「しかし、あの恰好はなんなんだ?」
「女の方か」
「男はわからんでもない。聖者とか教祖ってのは、ぼろぼろの服をまとい、風呂に生涯入らないなんてのはザラだ。しかしあの女教祖は、原色でしかも胸やへそを露出しまくりのドレス、ミニというのもおろかなスカート、ただの飾りのくせにやけにでかいベルト、キンキラキンのマント、竹光のサーベル」
「あれは女教祖様の得意のコスチュームらしい。あの恰好で集会に出ると、『りりしいわカスミ様』とかいう次第であんなに女の子の信者が集まったとか」
「ううむ、宗教とはなにかが違う気がする」
 安之進は腕組みをした。

 そうこうしながら、ついに船は目的地の港に到達した。
 少女十字軍が甲板に整列した。
 その先頭に立って、教祖の女のほうが号令をかけた。
「では、そろそろ行くでち!」
「ヴィーヴァ、カスミ! ハイア! アララ!」
 少女たちはムッソリーニの黒シャツ隊のように、いっせいに叫んだ。
「いよいよあちきたちの使命が果たされるときが来たでし!」
「ハイア! アララ!」
「コンスタンチノープルを異教徒の手から奪回し、余勢をかって聖地エルサレムを解放するでち!」

 しばらくの沈黙が流れた。
 やがて、安之進がようやく口を開いた。
「……いや、ここコンスタンチノープルではなく、チュニスなんだが」
「ちゅちゅ……にす?」
「あんたらの目的地は、アフリカだったよな?」
「にょ?」
 女教祖はけげんな顔をして安之進に訊ねた。
「コンスタンチノープルってアフリカ?」
「どちらかと言うと、ヨーロッパとアジアの境目にあると言うほうが正確だな」
 しばらく考えたのち、女教祖は上目遣いに安之進をうかがうように、さらに訊ねた。
「……でも、エルサレムってアフリカ?」
「コンスタンチノープルの東、アラビア半島のつけねだ」

 ふたりの教祖と少女十字軍ご一行様は、そのままジェノバに戻った。少女たちは陵辱されることもなく無事に故郷に帰りついたらしい。教祖夫妻の妻は懐妊し、イエスキリストの生まれ変わりが腹にいるというので、ますます信者が増えた。ニーナはあの教祖がまたやってきたときのために、ピリ・レイス提督が作ったという、いい世界地図を探している。


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