女海賊とバラバラ死美人

「なに、船に幽霊が出る?」
 安之進はかたわらの堀川国広二尺三寸をとりあげた。
「その者、侍の性根がないにちがいない。斬って捨てて、あらためて成仏させてくれよう」
「あたしら、侍じゃないって」

「だいいち、誰の幽霊だかもわかっていないのに」
 ニーナは立ち上がろうとする安之進をなだめた。
「見当もつかないのか?」
「思い当たるふしがないんだよね……恨まれる筋合いもないし」
 そこへ水夫が口をはさんだ。
「親方、ほら、あれじゃないですか。臆病だったんで海に突き落とした、あの若い新入り」
「船長と呼べぇ!」
「あの女じゃないかって噂もありますぜ。ほら、三ヶ月ほど前、ひっとらえた赤ん坊連れの若い女。夫が身代金を値切ったんで、赤ん坊を海に投げ捨ててやったら、なんかわめきながら一緒に海に落ちていった奴」
「あいつかもしれませんぜ。有り金が少ないんで腕を斬ってやったら、しくしく泣いてた女々しい男。おれはツィター弾きなのに、もう生きてる意味もないとか泣きながらどっかへ行っちゃった奴」
「前の舵取りじゃないかって説もあります。あいつ、敵のスパイだってことで、拷問して指を折ったり舌を抜いたり、最後は腹を割って腸をマストにくくりつけたじゃないですか。そしたら、スパイは舵取りじゃなくって船大工で」
「なんか、恨まれる筋合いありまくりだな」
「そんなのでいちいち恨まれてたら、海賊稼業やってられないぞ」
 安之進はため息をついた。
「この船じゅう幽霊でもおかしくないな」

「いったいその幽霊は、いつ、どこで見たんだ?」
 安之進は水夫たちに訊ねた。
「へえ。あっしが見たのは、昨晩のたしか真夜中すぎ、夜明けまであと三時間くらいのころ……」
「草木も眠るうしみつ時ってやつか。どこでも同じようなもんだな」
「この船の、あのマストのあたりに、こう、ぼうっとおぼろげな人影が……」
「なんだ、はっきり確かめもせずに逃げたのか」
「そりゃひでぇや、あっしだって相手が海賊なら、何人いたって渡り合ってやりますぜ。しかし、もう死んじゃった奴ってのは……」
「仕方ないな」安之進は苦笑した。
「今晩、確かめてみよう。ニーナ、今晩でいいな?」
「え、あたしも?」
「あたりまえだろう」安之進はまた苦笑した。
「船長のつとめじゃないか」
「でも、夜に船に入るってのは、あんまりやったことがないし、航海ならともかく……」
「まさか、怖いのか?」
「バ、バカなこと言うなぁ!」
 ニーナはわめいた。
「あたしはこの船で産まれ育った、生まれながらの海賊だぞ。きっすいの海賊だぞ。この船がゆりかごなんだぞ。勉強部屋なんだぞ。書斎なんだぞ。船から離れたことなんかないんだぞ。船から五分離れたら死ぬんだぞ。それを怖いなんて……」
「おいおい、さっき言ったことと矛盾してるぞ」安之進はみたび苦笑した。

 夕方、ニーナと安之進は、係留した無人の船に乗り込んだ。
 安之進はランプと刀を持っているだけだが、ニーナは大きな袋をもっている。
「なんだ、その大荷物は?」
「えっとね、これがビスケットでしょ、これがチーズでしょ、これが特製のお弁当でしょ、これがワインでしょ、これがラム酒でしょ、これが水でしょ、それからこれがトランプでしょ、これがダイヤモンドゲームでしょ、これが……」
「おいおい、遠足へ行くんじゃないぞ」
「だって、どうせ夜中まで暇だし、おなかもすくだろうし」
「まあいい。しかし灯りは消すんだぞ。ゲームはできない」
「つまんなぁい」
「やれやれ……早くも疲れたよ。ちょっと、その水を飲ませてくれ」
「ちぇっ、文句ばっかり言ってるくせに飲むんじゃないか。……あたしの特製お弁当はどう?」
「いらない。胃もたれしそうだ」
「ひどぉぃ」

 やがて夜になった。
 漆黒の闇。曇天のこととて星もなく、ときおり遠くで街の灯りががちらちらとまたたくのみ。
 ニーナと安之進は、船室の陰にしゃがみこんで、じっと夜が過ぎるのを待っていた。
 船べりを叩く波の音、それにあわせて木材のきしむ音が聞こえる。
 あまり離れるのは嫌で、しかし近づきすぎて安之進の体温を感じるのもなんとなくいやで、ニーナは微妙な距離をおいて座っている。
 沈黙が苦しくて、ニーナは安之進に話しかけた。
「おまえの国では、どんな幽霊が出るんだ?」
「いろいろいるけどな」
 安之進は腕を組み、ぎいぎいと波にきしむ船の音にあわせるように、ゆっくりとした口調で話しはじめた。

「まだおれの国が、駿河だ尾張だといって争っていたころのことだ。
 そのころ越前という国の敦賀という港に、金持ちの商人と、さむらいが住んでいた。
 さむらいはそのころの領主、若林家の一族だった。
 さむらいの家には息子がひとり、商人には娘がふたりいた。
 さむらいの息子と、商人の姉娘は、ちょうど同い年だった。
 小さい頃から仲が良く、いっしょに遊んでいた。
 親同士も仲が良かったので、そのうち、ふたりを許嫁にすることに決まった。
 許嫁というのは、将来夫婦になることを、子供のうちから約束しておくことだ。
 そして許嫁のしるしとして、姉娘に紅い帯を贈った。

 ところがその後、ふたりが結婚する前に、戦乱が起きた。
 若林一族は攻めてきた尾張の織田家と戦うため、お城に籠城することになった。
 むろんさむらいも息子も、敦賀を出てお城へ行った。
 戦いは織田の勝利となった。
 さむらいも息子も、逃げたのか死んだのか、だれも知る者はいなかった。
 姉娘は、さむらいの息子の身を案じるあまり、病気になってしまった。
 そして看病のかいもなく、若くして死んでしまった。
 両親はなげき悲しみ、許嫁のしるしの紅い帯をしめて葬った。

 その数年後、さむらいの息子がひょっこり帰ってきた。
 聞くと、戦いで親は死に、自分はかろうじて生き残り、京へ逃げていたと。
 しばらく隠れていたが、許嫁が心配で、こうしてやってきたと。
 商人はさむらいの息子に、許嫁は死んだと伝えた。
 さむらいの息子はおどろきなげいたが、どうにもならない。
 娘のお墓に参り、花をたむけることしかできなかった。
 そして、さむらいの息子は、京へ戻った。

 その京の家へ、ある夜訪ねてきた者がいる。
 それは、許嫁の妹娘だった。
 あなた様を恋うるあまり、黄泉からやってまいりました。
 妹の姿を借りてはおりますが、いまの魂はわたくしでございます。
 どうかわたくしの代わりに、妹と契ってやってくださいませ。
 そう言うと妹娘は、紅の帯をさしだすのだった。
 それはまさに許嫁のしるし、姉娘とともに葬ったはずの帯だった。

 とりあえずさむらいの息子は、妹娘をつれて敦賀に行った。
 両親の家に戻ったとたん、妹娘は気を失って倒れてしまった。
 その介抱をしながら、さむらいの息子は、娘の親に事情を説明した。
 怪しみながらも姉娘を葬った棺を開いてみて、両親は驚いた。
 たしかに共に葬ったはずの帯が消えていた。
 やがて妹娘は正気に戻ったが、京へ行ったことも、さむらいの息子に言ったことも、すっかり忘れていた。
 これはきっと、姉娘の魂がみちびいたことだろう。
 そう思って両親は、妹娘とさむらいの息子を結婚させることにした。
 姉と妹はよく似ていたこともあり、ふたりは仲のいい夫婦になった。

 ところが。
 夫婦の寝床へ、夜な夜な姉娘の亡霊があらわれるのだ。
 妹と仲良く暮らします。どうか安心して成仏してください。
 そう祈っても、亡霊はやってくるのだ。
 そしてすすり泣きながら、こう語るのだ。
 一時はわたくしの代わりに妹が幸せになればいい、そう思いました。
 けれどあきらめられない、あきらめきれない。
 うらめしい、あなたも、あなたの愛情を受けている妹も、あなたの愛情をうけられないわたくしも。

 それから何があったのか、知る人もいない。
 ある朝、両親が若夫婦の寝室へ入ると、ふたりは喉を食い破られてこと切れていた。
 その横に紅い小さな蛇が、これも死んで横たわっていた。
 あの帯とおなじ色をした、蛇だった。
 おそらく姉娘の魂が、紅い蛇となって、夫婦をとり殺したのだろう。
 あきらめてもあきらめきれない妄執が、紅い蛇となって
 ……なんだ、震えているのか?」
 ニーナは安之進に抱きついていた。
「そういう話はやめてよぉ。苦手なんだよぉ」

 安之進は泣きじゃくるニーナの髪をなでてやったが、そのとき、ふとニーナの体臭を感じてしまった。
 その瞬間、抱きしめたくなる衝動が全身に満ちるのを感じた。
 息をとめて理性を取り戻そうとした刹那、マストの陰に光るものを見た。
 次の瞬間、安之進はニーナをはねのけて跳躍した。
 ニーナは甲板に頭をぶつけた。
「ひどぉぃ」

「これだよ」
 マストの前にしゃがみこんだ安之進は、一本の竹筒をつまみあげた。
 それは、片手に余るほどの太さの竹の側面をうすく削り、中が透けて見えるほどにしたものだった。
 節を抜いておおきな蛍を数匹入れ、紙で栓をしている。
 その蛍が、かすかに光っている。

「昨晩は雨が降っただろう」
 竹筒は、まだわずかに湿り気が残っている。
「たぶん、濡れたんで蛍が生気と、光をとりもどしたんだ」
 安之進は刀を抜き、竹筒をさくりと割いた。
 折り重なって死んでいるなか、一匹だけ、かすかな光を放ちながら、わずかに動いている。
「この大きさは、たぶん、マニラの奴だな」
 水筒の水をたらしてやると、しばらくじっとしていた。
 やがて元気が出たらしく、ゆっくりと羽根をひらいて、どこかに飛んでいった。
「……あれも、この異郷でどこまで生きられるか」

 しばらく蛍を見送る安之進の横顔を見ていたニーナは。
「……ヤス」
「なんだ?」
「う……いや、あの、いや、ほれ」
「変なやつだな」
「いや、あの、その竹筒、いったい誰が持ち込んだんだ?」
「そういや、誰だろうな」
 うすく繊細に削りとられた竹の細工を見つめ、安之進は考えこんだ。
「こんなシャレたもん持ち込むような奴は、うちの船にいないぞ」
「いなさそうだな」

「蛍といえば」
 安之進はまた、ゆっくりと語りはじめた。
「おれの母親が言っていた。蛍はひとの魂だと。
 故郷では、ひとの魂は年に一回、夏に帰ってくる。
 だから蛍は夏にしか光らない。
 でも異郷では、死んでも故郷へは帰れない。
 そのため望郷の念が強く、怨みもまた深い。
 だから南方の蛍はあんなに大きく、しかも一年中光る。
 あるとき、村の娘が、人買いに騙されてかどわかされた。
 人買いは娘と恋仲になって、都に出ようと口説いたのだ。
 純情な娘はすっかり信じこんで、男のいうままに村を出た。
 そして日本から遠く離れた南の島の、女郎屋に売り飛ばされた。
 娘はそこではじめて騙されたことに気づいたが、もうどうしようもない。
 そんな娘たちが、女郎屋にはたくさんいた。
 娘は故郷に帰りたいといっては泣き、あさましい身の上を思っては泣く。
 そうして短い命をつぎつぎに散らしていった。
 死んだ娘の魂は、蛍となって、水辺にはかなく光る。
 故郷に帰りたいが、あまりにも遠く、帰る道もわからない。
 魂となっても、帰ることもできず、ただ水辺にたゆたう。
 嘆きながら……どうした、また震えているのか?」

「そういうの、やめてったらぁ」
 暗闇の中でしがみつくニーナの髪をなでてやりながら、安之進はふと、以前マニラに行ったとき、出逢った同国の娘のことを思いだしていた。
 今のニーナと同じように、泣きじゃくりながらすがりついた娘のことを。
 ここから連れ出してくれ、国へ帰してくれと泣いて頼んだ娘のことを。
 あの娘の魂は、迷ったあげく、こんな遠方まで来てしまったのだろうか。
 故郷へ帰り着くはずもない魂は、まだどこかで迷っているのだろうか。

 そっと、竹筒を海へ流した。
 運がよければ故郷へ流れ着くがいい。


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