マトリョーシガ

 これまでは現実であり真実だと、信じて疑わなかったこの空間。
 今やおぞましき姿へと変貌したこの仮想現実空間を、ネオは駆けつづける。
 人類に残された最後の砦、ザイオンを敵の手から守るために。

「危ない! 左!」
 トリニティの悲鳴にふりむいたネオは、路地から襲いかかるエージェント・スミスの腕を掴み、投げつける。受け身をとりそこねたスミスに銃をつきつけ、弾丸を撃ち込む。
 と、その刹那。
 エージェント・スミスのベルトのあたりがぱっくりと裂け、身体がまっぷたつに分かれた。
 ではない。
 ふたつに分かれたエージェント・スミスの身体は空洞だった。
 その空洞から、ひとまわり小さな人物がころりところがり出た。
 その人物は竹中直人であった。
「……こ、これは……」
 立ちすくむネオを、トリニティは微笑う。
「最新技術のバーチャル・マトリョシカグラフィじゃないの。今回の映画の売りでしょ。知らなかったの?」
「い……いや、そういう問題では……」

「どうしたんだ。いつものネオらしくもない」
 裏道から登場したモーフィアスとサイファーも、平然としている。
「いや……だから、このちっちゃな竹中直人は何なんだよ!」
「マトリョーシカじゃないか。当たり前のことだろう」

「危ない! サイファー!!」
 いつの間にか意識を取り戻した、元エージェント・スミスのやや小さな竹中直人は、持っていたサブマシンガンをよたよたと持ちあげ、サイファーに向け連射したのだ。
「ああ、やっぱり……」
 サイファーの身体はスミスと同じようにぱっくりと上下ふたつに割れ、中からひとまわり小さな、トレイ・ムーアが出てきたのだ。
「ああ、サイファー。中の人はやっぱりムーアだったのね」
「そんなことしているから連敗するんだって、いつも言っていたのに……」
 涙を流すトリニティとモーフィアス。しかし当のムーア(元サイファー)は呑気な顔で、「タイガースファンワ、イチバンヤー」などと言っている。

「くそっ、サイファーの仇」
 モーフィアスは銃をとりあげ、やや小さな竹中直人にむけ発射した。
 なんとなくそうだろうと予想していた通り、竹中直人の上半身と下半身はまたもぱっくりと割れ、中からはだいぶ小さな伊武雅刀が登場したのだ。
「まずい! みんな逃げて!」
 トリニティの警告は遅かった。
 どこからか登場したセンティネルズによって、ネオたちは一斉射撃を受けてしまったのだ。
 もう避ける余裕もなかった。

 モーフィアスの身体がぱっくりと割れ、中からやや小さなサンプラザ中野が出てきた。
 トリニティの身体がぱっくりと割れ、中からやや小さないしだあゆみが出てきた。
 元サイファーだったやや小さなムーアの身体がぱっくりと割れ、中からかなり小さな田代まさしが出てきた。
 そして考えたくないことだが、自分の肉体だと思っていたものの中から、自分の中にあるなにかが、自分の力で、出てくるのを、ネオは感じていた。
 それは志賀賢太郎だった。

 さらにセンティネルズが銃撃を続けようとした刹那、いしだあゆみは志賀賢太郎の身体に覆いかぶさった。
 銃撃により、元トリニティだったやや小さないしだあゆみの身体はぱっくりと割れ、かなり小さい千秋が出てきた。
「ネオ! ちがったシガケン! あなただけでも助かって!」
 千秋はかなり小さな身体をふりしぼって叫んだ。
「そうだネオ……じゃなかった志賀、もう銃を持てる大きさなのはおまえだけだ。おまえだけが希望だ」
 やっぱり撃たれてかなり小さなアブドーラ・ザ・ブッチャーになってしまった、元やや小さなサンプラザ中野のその元モーフィアスも、額から血をふりしぼりながら叫んだ。
 元ネオのやや小さな志賀賢太郎は、センティネルズの追っ手から逃げ出した。
「いいか……キーメイカーに会え……奴こそが、すべてのマトリョーシカの中に入ることのできる男だ……」
 ブッチャーの声がとぎれとぎれに聞こえた。
(ブッチャーに命令されたくないなあ……サンプラザでも嫌だが)

 逃げるネオ、いや志賀賢太郎の視界に、ちらりと後ろの光景が入った。
 千秋もブッチャーも田代まさしも伊武雅刀も、あまりに小さいので銃をもつことができず、きゃいきゃいと笑いながらそちこちを駆け回っていた。
(なんか……あいつら、楽しそうだ……)

 恐怖と戦慄のマトリョーシカ空間を駆け回るネオ、いや志賀賢太郎。
 その眉毛の両端をいつもより下げ、ひじょうに困った顔をしながら駆け回る志賀。
(やっぱり……ザイオンがぱっくりと割れたら、中からなにか出てくるんだろうか……)
 そう考えながら駆け回るネオ、もとい志賀賢太郎。
 そんなことを考えるのは、どうしても考えたくないことに心がいってしまうのを防ぐためだ。
 どうしても考えたくないこと。
 志賀賢太郎が割れたら、中から誰が出てくるのだろう。
 それだけは考えたくなかった。


戻る