ものすごくあたたかい

 私がいま住んでいるマンションは、荒川に近いところに建っています。
 いわゆる川向こうの土地というやつで、川を隔てたむこうが東京都、こちらが埼玉県ということになっております。
 交通の便がよく、都心に近いわりには、安い値段で買うことができました。
 埼玉県だから安いのだと思っていたのですが、それだけでもないかもしれない、と思うようになったのは入居後しばらくのことです。

 入居して三ヶ月ほど後、夏のことでした。
 真夜中、なんだか苦しくて目が覚めました。
 エアコンのタイマーが止まって数時間とはいえ、まだ部屋はひんやりと涼しく、暑苦しくて目が覚めたということはありません。
 ただ妙に息苦しく、身体が動かない感じなのです。
 そのうち、ふうっ、と風が吹いてきたのです。
 玄関のある北の方角から、バルコニーのある南の方角へ。
 閉めきったこの家に風が吹くわけがありません。
 外の熱帯夜の暑い風というわけでもなく、エアコンの涼しい風でもなく、なんともなまあたたかい風でした。

 その風とともに、人影が通り過ぎるのを感じたのです。
 性別も服装もわかりませんが、ただ黒っぽい影が通り過ぎてゆくのです。風といっしょに、北から南へ。
 よく見てみようと首を伸ばそうとしたのですが、どうしても身体が動かないのです。
 そのうち風と人影が通り過ぎ、身体がふっと楽になりました。
 さっそく起きあがってみましたが、閉め切ったまっくらな部屋に、私がただひとり。

 そういう経験が、その夏はあと二、三回あったでしょうか。
 なぜか夏の間だけで、涼しくなってからはまったくそういうこともなくなりました。
 ところが翌年も、その次の年も、夏の間にかぎって、それが起きるのです。
 夏の夜中、ふと目を覚ます。体が重い。あたたかい風が吹く。黒い影が通り過ぎる。ふっと体が軽くなる。それだけ。
 いや、それだけではなかったか。
 ここに越して三年目の、夏のことでしたか。
 マンションの住人が死んだというので、香典を集めにきたのです。
 奥さんが子供を連れ帰省していた最中、ひとり暮らししていたご主人が、荒川に投身自殺したというのです。
 理由がまったく思い当たらず、ただただ、真夜中にふらりとパジャマのまま外に出て、そのまま飛び込んだそうです。

 このあいだ神田の古本屋で、古地図を見つけました。
 古地図、というほど古くもないのですが、私の住んでいる地域の、昭和初期のものでした。
 私のいま住んでいるあたりは……と思って見てみると、ありゃりゃ、このへんはすべて墓地だったではありませんか。
 それから興味を抱き、地元の図書館などで、町の歴史を調べてみました。

 ここが大規模な墓地になったのは、関東大震災以来のことのようです。
 関東大震災はご存知のとおり、千九百二十三年の九月一日、暑い日の正午直前に起きた大地震です。
 東京や横浜の被害は有名ですが、埼玉でも地震、火災による死者が多数でました。
 昼飯の準備をするかまどの火が崩れた材木に燃え移り、あっという間に大火になりました。
 風は暑い土地から涼しい土地に向かって吹く、というのが原則です。
 夏の太陽と火事で熱せられた陸地から、涼しい川の方角へ。
 北の陸地から、南の荒川へ。
 その風に追われるように、多くの罹災民が北から南へ、川の方角へ、逃げていきました。
 そこで熱風にあおられ、ある者は混雑のため川に突き落とされ、ある者はあまりの熱気にみずから川に飛び込み、多くの人が溺れ死んだそうです。

 昭和二十年夏、太平洋戦争の末期にも、この一帯に空襲があったそうです。
 焼夷弾の火災は燃え広がり、やはり炎をはらんだ熱風が北から南へ。
 熱風に追われた住民は北から南へ、荒川へ。
 そこで多くの溺死者が出たことまで、関東大震災と同様だったそうです。

 北から南へ通り過ぎていった影は、関東大震災か空襲の被害者だったのでしょうか。
 それにしても、熱風のはずが、あたたかい風になってしまったのはなぜでしょう。
 やはり彼らには、生命をもつもののようなパワーがないのかもしれません。
 彼らは人間に何もできません。たぶん。
 できることは、人間の心をあやつって動かすことだけ。人を呼ぶことだけ。

 今年も暑くなってから、黒い影が数回通り過ぎました。
 しかし、いままでとは少し違っていました。
 あたたかい風とともに黒い影が通り過ぎたあと、目覚めることなく、寝込んでしまうのです。
 そして翌朝目が覚めるのですが、なぜかベッドに寝ていたはずなのに、居間のフローリングの上で目が覚めているのです。
 まるで、南のバルコニーに向かって移動したかのように。
 呼ばれているのかもしれません。
 どちらに呼ばれているのでしょう。


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