お肉天国

 お肉に対するスタンスが、私たち昭和三十年代生まれと昭和四十年代以降生まれとでは劇的に違っているのではないかと思うのだ。

 そもそも昔にさかのぼれば、明治時代、お肉は信仰だった。「西洋人のようにお肉をいっぱい食べなければ西洋人に勝てない」とだれもが信じ、明治天皇の食卓を大まじめに洋風化したりした。もっと時代が下がってもお肉信仰は続いた。永井荷風は老後、アリゾナだとかヨシカミだとかスヰスだとか大黒屋だとかの洋食屋で牛肉の煮込みやカツ丼といった肉料理ばかり食べていたが、それも栄養は肉で足りるという肉信仰によるものだったらしい。明治から大正は肉信仰世代である。
 これに続く昭和二十年代までは、肉飢餓世代である。太平洋戦争をはさんで、肉どころかあらゆる食物が欠乏した時代を経験している。チョコレートに飢え、肉に飢え、米に飢え、ありとあらゆる食物に飢えた世代である。

 そして昭和三十年代となると、食糧事情は改善し、いちおう飢えることはなくなった。学校給食も開始し、くそまずいながら栄養は保証された。しかし肉に対する飢餓感だけは残った。この時代、肉は高価だった。魚は安価だった。いまでは信じられない話かもしれないが、鯨のステーキをビフテキだと偽って出した店があったくらいだ。昭和三十年代生まれにとって、ごちそうといえばビフテキとスキヤキである。意地悪婆さんではビフテキの厚さを巻き尺ではかり、サザエさんではサザエとカツオがスキヤキの肉を取り合って喧嘩し、スペクトルマンではスキヤキの卵をバクラーに奪われ、新・世界の怪獣ではこの世の終わりを予知した博士とアイドル歌手は肉と酒を買って最後の日を祝い、そして巨人の星や侍ジャイアンツでは野球選手がことあるごとにスキヤキを食っていた。あのスキヤキに憧れて野球選手を志した人材はけっこう多いのではないか。そういえばジャイアント台風では、ジャイアント馬場は金がないときはラーメンを食い、力道山に金をもらってビフテキを食っていた。プロレススーパースター列伝では、スターレスラーはビフテキを食い、売れないレスラーはスパゲティを食うものと相場が決まっていた。プロレスでは貧乏人は麺を食えということわざがあるらしい。あのビフテキに憧れてプロレス入りした人間がいるのかどうかは知らない。
 ところが昭和四十年代以降、肉は輸入自由化などで安価になった。二百海里問題などで、魚は逆に高価になった。いま、肉よりも魚の方がずっと高価である。ところがそういっても、価値観を簡単に逆転することができないのが人間である。スーパーで「オージービーフサーロインステーキ肉三枚九百八十円」と「タイ産ブラックタイガー十二尾九百八十円」が並んでいたら、ためらいもなく肉を選んでしまう、それが昭和三十年代生まれである。

 昭和四十年代生まれとなるとそのへんのリアリズムが定着してきて、ごちそうというと寿司と鰻だったりする。タラチリを食って満足したりする。「おさかな天国」のテーマに合わせて「さかな〜を食べると〜頭〜がよくなる〜」と歌いながら、ついアジを購入してしまったりする。昭和三十年代生まれはそんなことでは騙されない。なにしろ昭和三十年代生まれは、幼少期、「味の素を食べると頭が良くなる」と言われ、やたらに食わされたのである。味の素と塩をまぜた「アジシオ」などというものを食卓に常備し、ご飯にかけて食べたりしたのである。そうなってから数年後に「味の素の大量摂取は脳の働きを阻害する」などという研究発表があったのである。もう遅い。だから今もてはやされているDHAだって、将来どんなことになるかわかったものではないと、経験から感じ取っているのである。
 昭和三十年代生まれと昭和四十年代生まれが同席する飲み会などでは、このへんの価値観のせめぎ合いが如実に表れて楽しい。昭和三十年代生まれにとって肉は貴重品であるから、残すなどということは論外である。であるからお開きになってからも意地汚くカラアゲや焼き鳥をむさぼり、昭和四十年代以降生まれの人間から「やーね、また主任肉ばっかり食べてるわ」「まったく賤しいわね」「どうせコレステロールになるだけなのにね」などと軽蔑されている。昭和四十年代以降の生まれの人間は、ものを残すことに平気なのである。私は昭和三十年代生まれなので、どうしても残り物を食べないではいられなかったりする。残ったビールを飲み干してみたりする。え、それは世代ではなく、ただ意地汚いだけ?


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