妻の力

 東西二大哀れな亭主といえば、やはりわが国のタラシナカツヒコノミコトとユダヤのヨセフであろう。
 神功皇后の尻の下にしかれっぱなしでしまいには皇后に「地獄に堕ちろ」とまで言われ、ふてくされていたら神罰が当たって哀れにも死んでしまったタラシナカツヒコノミコト。あまりのことに後世の人々も憐れんで仲哀天皇というおくり名を与えた。
 いっぽうユダヤ人のヨセフは奇麗な嫁をもらったと喜んでいたら何もしていないうちに神様とやらのお情けを受けた嫁さんが孕んでしまい、あまつさえその自分の血を引かぬ息子が救世主だとかもてはやされるのを横目で見て溜息をつくしかなかった。
 これほど大物ではないが、踊る神様こと北村サヨの亭主、北村清之進も哀しい。貧しい農家で営々と働き、やっと嫁さんもらったといって喜んでいたら、ある夜寝ていたらその嫁さんにいきなり枕を蹴られ、「わりゃ、おサヨをただの女房と思ってたんかァ」と一喝されてしまった。ただの女房と思って嫁にもらった罪もない旦那にはむごい仕打ちだ。とにかく女房という奴は、ときどき神様を味方につけるから油断がならない。

 私の知り合いの女房族も、神様こそ持ち出さないもののなかなか健闘しているようだ。
 だいたい見ていると、独身時代に人格が強烈な人間は結婚後も四分六分くらいの割合で独立した人格を保っているようだが、保っている部分がアニメの好みとか好きなプロレスラーとかの領域に限られているのが哀しい。あとの人生設計や子供の教育やボーナスの用途や衣服住などといった些事はすべて女房にまかせているようだ。
 独身時代に温和だったり優柔不断だったりした人間となると、アニメの好みや好きなプロレスラーなどの重要問題すら女房に明け渡して完全な従属人格となっていることが多い。それはそれで幸せなのだろうな、と思うが、そう思わないと生きていけないだろうな、とも思う。

 Webにおいても女房主導は動かないようで、だいたい恋人ができたり結婚したりして運営に動揺が生じるのは男性側のサイトだ。「こういうことは書くな」などと言われて更新が鈍ったり、逆に「更新しないとつきあってあげない」などと言われて更新頻度が増えるサイトは、たいがい男性側のサイトである。女性側のサイトはマイペースで今までとなんら変わらず悠然と運営される。泰然たるものである。最近Web上で浮いた話をよく聞くことがあるが、くれぐれもご用心めされよ。

 もしも以上の文章が女房族の悪口を言っているようにとられたら恐怖のあまり慌てて訂正するが、女房とはいいものである。でもね。たぶん。きっと。世の男性がほとんど結婚するところからみても、いかに結婚がいいことかわかるだろう。もっともこれをもって「世の男性に理性よりも勇気の方が多くあることの証拠だ」と言った人がいるが、気にすることはない。再婚した男性を指して「経験よりも希望が勝ったわけだ」と言った人もいるが、気にすることはない。結婚できない人間の僻みだと思えばよろしい。結婚していてもそういうことを言う男性がまれにいるが、多くは女房が怖くてそんなことは言えない。言論の自由にも乗り越えてはならない柵がある。
 女性とはいいものである。胸がふっくらとして見るからに美しい。なかにはふっくらとしていない女性もいるが、それはそれでいいものである。だいいち肌が男性と違ってつややかでぷにぷにしている。なかにはぷにぷにしていない女性もいるが、それはそれでいいものである。それに脂肪が多くふっくらとした身体つきをして、思わず抱きしめたくなる。なかにはふっくらとしすぎていて抱きしめようにも手が回らないこともあるが、それはそれでいいものである。だいいち男性のしわがれ声と違い、鈴をころがすような妙なる声である。なかには鐘を割るような声で男性陣がいっせいに凍り付くようなのもいるが、それはそれでいいものである。また小ぶりの唇が妖しく濡れて男性を誘うようである。なかには男性のくせに女性よりも魅惑的な唇の持ち主がいるが、それはそれでいいものである。なにより男性と違って心優しい。なかには優しくもなんともない女性もいるが、とにかくいいものである。いいったらいいのだ。というわけで強引に終わり。


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