しりとりうた

 たいへん昔の話でもうしわけないのだが、日清戦争の直後にはこんなわらべうたが流行った。なにせ昔の歌なので、差別用語あり。

李鴻章のハゲ頭
負けて逃げるはチャンチャン帽
坊主に追われて泣いてって
帝国万歳大勝利

 輪廻のごとく前のフレーズの最後の語を次のフレーズの最初につなげる、いわゆるしりとり歌である。最後の「帝国万歳大勝利」がまた最初の「李鴻章のハゲ頭」につながり、この歌は永遠に循環することを鋭敏なる読者諸兄はすでにお気づきであろう。

 失われることなく伝統は続いていったらしく、私の妹が子供のころ大阪で歌っていた中にも、こんなしりとり歌があった。差別用語はなし。

正直爺さんポチつれて
敵は幾万ありとても
桃から生まれたカァカァカラスがハトポッポ
ポッポ、ポッポ、ポッポ飛んで遊べ
べらぼうでコンチクショウでやっつけろ、五月は鯉の吹き流し、なんて間がいいんでしょう
(正直爺さんポチつれて……)

 程度の高かった日清戦争の歌に比べると、かなり崩れている。なぜか軍国調のフレーズが混入しているのはまだしも、だいたいなんで桃から生まれたのが桃太郎でなくてカラスなのか。そのカラスがカァカァは許せるとして、どうしてハトポッポなのか。最後のフレーズはどうやら喧嘩っ早い江戸っ子を揶揄したものらしいが、なんか意味がありそうでなさそうだ。間がいいのか。どうも悪いように思えてならない。

 今も私の大学の漫研に伝わる歌にもしりとり歌がある。漫研らしく、アニメ&特撮ソングのメドレーとなっている。たぶん代々歌い継がれたものらしく、私にとってさえ古い歌が混じっている。今の学生は知らない歌が多いだろうから、ひょっとしたら今後忘れられてしまうかもしれない。貴重な人民文化財としてここに書き残しておこう。っておおげさ。

さらば地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦ヤマト 宇宙の(彼方)
彼方に躍る影 白い翼のガッチャマン 命を掛けて(飛び出せ)
飛び出せ 行くぞ 大地を蹴って 今日もマグマは(空を)
空を超えて ラララ 星の彼方 (行くぞ)
行くぞ ゴーダム 発進だ みんなの町を(守る)
守れ 守れ守れ 人間の星 みんなの地(球)
キュッ キュッ キュッ オバケのキュー ぼくは(オバケ)
お化けのポストに 手紙を入れりゃ どこかで鬼太郎の (ゲタ)
ゲッター1 ゲッター2 ゲッター3 ゲッターロボは (今日)
今日も嵐が吹き荒れる ルール無用の悪(党)
遠く輝く夜空の星に ぼくらの願いが届くとき (銀河)
銀河を離れ イスカンダルへ はるばる臨む 宇宙戦艦ヤマト

 というわけで、ヤマトに始まってヤマトに終わる、前二者とは違う円環構造をなしているわけだ。

 だけどあれだな。当時のアニメソング&特撮ソングのかっこいいフレーズを寄せ集めたわけだが、あのころの歌はえらくかっこよかった。これ以外でも
「鉄の左腕の折れるまで 灰になっても飛ぶ火の鳥だ」とか、
「男には自分の世界がある 譬えるなら空を駆けるひとすじの流れ星」とか、
「だれも知らぬ未来の国へ 遠く旅立つひとり」とか、
「盗まれた過去を探し続けて 俺はさまよう 見知らぬ街を」とか、
「シルバー仮面は宿無し仮面 帰る家なし親も亡し」とか、
「旅する男の瞳はロマンをいつでも映したい」
 とか。なんか、やたらに「男」「ひとり」「さすらい」「ロマン」「美学」を強調した歌詞が多かった。まあ、梶原一騎と松本零二のハッタリズムの影響が強いのだろうが。
 まさに、
「ボギー ボギー あんたの時代はよかった 男がピカピカの気障でいられた」
 という、今となっては笑い話。


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