猫が行く

 ええ、あの猫は、たしかにわたしの猫に相違ありません。
 白い毛並みの雄猫で、背中と右目に茶色い斑があります。妻が可愛がっていた猫です。よくその斑のところを撫でていました。
 蝶々が好きで、よく庭で追っていました。ときには伸びあがり、後脚で立ち上がるようにして虫をかかえこんでいたのを憶えています。
 タックという名前でした。妻がつけました。Catの綴りを逆に読んだだけの、他愛ない名前です。

 あの猫がそんなに他愛ないものではない、と思うようになったのは、叔母の見舞いに行ったときからでした。
 叔母はなんでも腎臓の病気だそうで、長く入院していました。もういけない、という知らせを聞いて、とりあえず近くに住むわたしが駆けつけたのです。
 その車の中で気づきました。タックが車にいるのです。たしかに家に置いてきたはずなのに、普段は車に乗るなんてしたことないのに、と不思議に思いましたが、急いでいることもあり、そのまま病院へ行きました。
 タックは病室にも入ってきました。たしかに車の中に閉じこめたはずなのに。けれどそのときは気が動転していましたから、どこかで逃げたのに気づかなかったのかもしれません。猫なんてどうでもいい状況でした。

 叔母は素人のわたしが見ても、もう駄目でした。紫色の顔色をして、全身にむくみが出ていました。人工呼吸器の助けを借りて懸命に息を吸おうとするのですが、酸素の大半はむなしく虚空に抜けていくのでした。
 やがて苦しげな息の流れは止まり、医者が臨終の宣告をしました。人工呼吸器も外されました。妻と姪は泣き出しました。

 そのとき、タックが奇妙な挙動をみせたのです。
 いつも庭でよくやっているように、空を漂うなにかを掴み取ろうとするかのように、ベッドの端からとびあがり、前脚でなにかをかかえこむ姿勢をとりました。そして、着地すると、なにかを吸い込むようなしぐさを見せたのです。
 それを見ていたのはわたしだけのようでした。わたしも、その時だけは変に思ったのですが、それよりも叔母の死のほうが大きく、いつか忙しさにとりまぎれて忘れてしまったのです。

 それを思い出したのは、妻が死んだときでした。
 妻は買い物に出たところを、乗用車にひかれたのです。
 知らせを聞いて会社から駆けつけたときには、すでに死を待つばかりでした。肋骨が折れて内臓に突き刺さっており、手のほどこしようがない、そんな医師の説明を、わたしはぼんやりと聞いていました。
 そのとき、なぜか病室にタックがいることに気づいたのです。
 わたしは会社から来たのですから、猫を連れてくるはずがない。妻と一緒にいたとしても、救急車が猫まで連れてきてくれるでしょうか。タックは、どうやって来たのでしょうか。
 それよりも妻が大事でした。わたしは、妻の一本になった腕をかかえながら、なんとか奇跡が起こらぬものか、それだけを念じていました。
 もちろん奇跡は起きませんでした。やがて医者が、お決まりの宣告をしました。

 そのとき、猫が動いたのです。
 ベッドの端からジャンプ。なにかを前脚でつかまえ、着地。そして吸い込む。
 すべて叔母が死んだときに見せたしぐさだったことを、そのとき思い出したのです。

 わたしは猫が怖くなりました。
 妻の想い出と猫が重なるのも嫌でした。
 わたしは身辺の整理が済むと、猫を籠に入れ、車に乗せて隣の県まで連れてゆきました。猫は抵抗もせずに、なすがままになっていました。
 初めて来た、見も知らぬ河原に、猫を放しました。
 そのとき猫は、ふと人間の顔をすると、
「あと一つなのに」
 と、たしかに言ったのです。
 驚いたわたしがたしかめようとしたときには、もう姿を消していました。

 しかしあの猫は帰ってきたのです。
 いつの間にか、帰ってきたのです。
 もういちど追い払おうとしました。車で捨てようともしました。でもどうしても、戻ってくるのです。
 思いあまってこちらが逃げたこともありました。一ヶ月近くも、ホテルを泊まり歩きました。人間と食い物がなければ出て行くと思ったのです。しかし家に帰ると、猫が迎えました。飢えている気配すらありませんでした。

 そのうち、わたしも病で床につきました。
 今ではこのように、起きあがることさえかなわぬ有様です。
 あの猫を追うことも、あの猫から逃げることもできません。
 だれが世話をしているのか、猫は元気です。

 わたしの命はあきらめています。お医者様は気休めをおっしゃいますが、それが叔母に語ったのとそっくりなことに気づき、ひそかに微笑をもらしているくらいです。
 まもなくわたしは死ぬでしょう。そして医者から、例の宣告を受けるでしょう。
 死ぬことは怖くありません。

 ただ。
 あの猫がだれを待っているのか。わたしなのか。わたしの何を待っているのか。待ってどうするつもりなのか。それをどうするつもりなのか。
 それが不安でならないのです。


 どういうわけだかわかりませんが、この話を別な視点から書いてくださった方が続出しています。
「招く猫」大西科学・ジャッキー大西さん)
「お隣の猫」雨谷の庵・徳田雨窓さん)
「患者の猫」魔道寺しすてむずインターネット支部・竜騎さん)
「マダム・バタフライ」デジタルライフ・あいばまことさん)
「あたしの子猫ちゃん」しょうもな文・ろうさん)
「吸う猫」ぢぬんをぐろぐろ・ikuya23さん)
「キティが行く」今朝方見た夢・まさとさん)
 続けて読むと「羅生門」を見た気分になれるかもしれません。


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