小樽の思い出

「今日の昼食は、小樽でカニとお寿司の食べ放題となります」
 そうアナウンスされたとたん、バスの中は期待感にあふれたどよめきで沸いた。
 北海道ツアー旅行の途中である。 

 北海道旅行というと、半月ほどかけてレンタカーや自家用車で原野をめぐる姿を想像するが、われわれの旅行はとても慌ただしい。
 昨日の昼、飛行機で札幌の空港に降り立った。札幌市内を散策し、夕方にはバスに乗せられて定山渓というところにあるホテルに入った。そこで夕食、宴会。札幌に行ったらススキノで飲もうと楽しみにしていたのだが、タクシーで往復二時間、料金にして一万円はかかると聞かされ、淋しく諦めて寝た。
 そして今日は小樽を見学し、夕方には札幌に戻って飛行機で帰京する予定である。朝早くバスに乗せられ、長い長い小樽までの道程の途中で、前述のアナウンスを聞いたのである。

 北海道といえば食べ物がおいしいところ。蟹、鮭、イクラ、ホッケ、シシャモ、イカ、ホッキ貝、ホタテ貝、ウニなどの海の幸と、トウキビ、ジャガイモ、アスパラなどの山の幸。ジンギスカン鍋。石狩鍋。ラーメン。三平汁。ビール。あげればきりがない。
 なのにわれわれは、まだ昨日の札幌で、味噌ラーメンを食べただけなのである。短い自由時間の中で、とりあえず最初に目に付いた店に飛び込んで食べたラーメンはうまくなかった。しかも出てくるのが遅かった。集合時間に迫られ、半分食べただけで残してきたのだ。
 もはやバスの中は、ひとつの意思で統一されていた。
 今までの食い物の恨みを、ここにぶつけるのだ。北海道を思う存分味わうのだ。もう後がない。背水の陣だ。ここでやらねばいつやる。食いまくってやる。寿司ってやる。カニってやる。食い放題ってやる。

 そんなわれわれの戦意をさらにかき立てたのは、配られたパンフレットだった。
 そこにはでかでかと、「食い放題!」と黒々と書かれた文字が。「小樽名物」や「豊富な海の幸」と書かれてもいた。その背景には、毛ガニ、タラバガニ、ズワイガニが無数に並び、そしてイクラ、ウニ、マグロ、ホタテ、ボタンエビ、ホッキ貝などの寿司が舞っているのであった。
 わがバスの後ろを走っていたトラックの運転手は、そのとき、バスから黒雲のように沸き上がる雲気を見て、恐怖のあまり急ブレーキをかけたという。

 戦意にあふれたこの集団にまず知らされたのは、第一の凶報だった。
 カニと寿司、両方味わうことはできないと言う。カニコースか寿司コースか、どちらかに申し込まねばならぬ、というのだ。
 これで集団の戦意はややくじけた。しかし、すぐさまポジティブ思考で盛り返した。敵はひとつに絞った方が戦いやすい。
 私は寿司コースを選んだ。カニはほじくるのに時間がかかる。そのため大量消費が難しいだろうと考えたのと、どうせ寿司ネタにもカニがあるだろう、という見込みからだった。

 バスはいよいよ、戦場に到着した。
 団体観光客向けなのだろう、駐車場も店も広大なところだった。
 ここで軍団はふたつに分かれた。カニコースは右の店舗へ。寿司コースは左の店舗へ。これから始まる激戦地へ戦友を見送り、われわれは溢れる涙を止められないのだった。

 畳敷きのだだっ広い座敷に案内され、おしぼりで顔を吹いたわれわれは、第二の凶報を聞いた。
 寿司は食べ放題だが、ウニとかイクラとか注文することはできない。いろいろな種類のネタを握った、ひとり一桶の寿司が運ばれてくる。これを全部食べたら、次の桶を注文できる、というのだ。
 われわれの士気は、これでかなりくじけた。しかし、ここで逃げては男がすたる。十桶でも二十桶でも食ってやろうじゃないか、という、なかば捨て鉢な戦意が、ふたたびむくむくと沸き上がってきた。

 やがて桶が運ばれてきた。
 甘かった。われわれの見通しは甘かった。
 北海道は広大にして荒涼としており、コタンの口笛やらユーカラの歌声やらに満ち満ちている。コロボックルとヒグマの精霊が支配する国。とても内地人のちゃちな戦意で、どうにかなるような敵ではなかった。
 桶の中には、たしかに寿司が入っていた。イカ、エビ、マグロ、ホッキ貝、ホタテ貝、サーモン、イクラ。どこにでもあるような、普通のネタだった。
 普通でないのは、その寿司の形状だった。
 たいてい握り寿司というものは、シャリを小判型に握り、そこにネタを載せる。ふつう、シャリが隠れるように、ネタがシャリを包み込むように握る。
 しかしここの寿司は、正確に直方体であった。直方体のシャリの上に、正確に長方形に切られたネタが載っていた。そしてそのシャリは、巨大だった。そう、普通の寿司のたっぷり三倍、いや五倍はシャリを使っていた。なぜなら、そのシャリは、上下左右から恐ろしい力で圧力をかけられ、なかば餅と化していたからだ。
 その上に頼りなく、ぺらぺらと薄っぺらいネタが載っていた。ひとつ食ってみたが、飯粒ばかりが口中にあふれ、魚の味がまるでしない。おまけに、ひとつ食べると満腹してきた。
 われわれは、北海道に稲作を導入した明治の先人を恨んだ。そして、どうやら今では、小樽では海の幸よりも田の幸のほうが豊富である、という結論に達しざるを得なかった。
 美学的にはどうにも美しからぬ、そして味覚的にもバランスを欠いたこの寿司だが、なにしろ直方体である。収納性だけは抜群だろう。私はなぜか、この寿司がコンテナにぎっしりと詰め込まれて、小樽港で荷揚げされる様子を想像した。
 横で食っていた戦友が、ヤケになってくすくす笑い出した。
「これは珍品だ。これぞ北海道だよ。小樽名物、バッテラ握りだ」

 われわれの多くは、もろくも降伏した。わずかな若い者が、二桶目を注文したが、どうやら喉に餅シャリを詰めて、涙しているようだった。
 はやくも戦線離脱したわれわれは、戦友の戦うカニコースの会場へ、激励に遠征した。

 カニコースの戦友もまた、苦戦に苦戦を重ねているようだった。
 ボイルしたカニが出てくるのだが、カタログ通り毛ガニとタラバガニとズワイガニの三種が出てきたのは最初だけ。お代わりはズワイガニだけということだ。
 おまけに店員のチェックがやたら厳しく、お代わりを頼んでも、ちっぽけな爪先の部分をまだ食べていないだとか、ミソがまだ残っているだとか意地悪され、なかなか次のカニを持ってこない。
「おれ、そのうち、甲羅まで食えとか言われるんじゃないかと思ったよ」
 戦友はそうぼやいた。

 おまけにボイルしてあるはずのカニが、最初はたしかに暖かかったのだが、だんだんと温度が低下していき、ついには冷凍庫から出したカニをそのまま持ってくるようになったと、戦友は苦境を訴えた。
 皿の上のカニを試しに食べてみると、なるほど、たいへんに冷たい。一部解凍が及ばず、まだ凍っているところもあった。
 戦友はまたもくすくす笑い出した。
「いや、これは北海道名物なんだよ。小樽名物、カニルイベだ」

 私の乏しい北海道体験はこれで終わる。以降、北海道の地を踏んだことがないので、ほんとうに小樽名物にバッテラ握りやカニルイベがあるのか、それとも小樽のどこかにはおいしい寿司やカニが存在するのか、小樽の海の幸はとうの昔に絶滅してしまったのか、まだなんとも判定しがたいのである。


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