こおろぎ

 鳴く虫である。秋の夜長にコロコロリーとかリンリンとかキリキリキリとか澄んだ音を響かせるあの虫である。黒光りしている。ぴょんと跳ねる。足にとげとげがある。詳細に観察すると、こいつを平べったく潰したら、まさしくゴキブリだなあ、と思う。事実、ゴキブリに一番近縁なのだそうだ。

 子供の頃は鳴く虫などという軟弱な存在は意にも介していなかった。子供はいつも権力志向である。強いもの、力あるもの、凶暴なものに憧れる。音楽だの文学だの教養には憧れない。ジンギスカンのようなものである。子供が政権を取ったら、あっと言う間に第三次世界大戦を起こして人類は滅亡するに違いない。
 子供の憧れはカブトムシ、クワガタ、カマキリ、ザリガニ、トラ、オオカミ、ティラノザウルス、トリケラトプス、アノマロカリスである。肉食の凶暴な動物、もしくは、草食だが武装して防御に怠りない動物、に子供の注意は限られる。非武装中立、などという石橋書記長の思想が通用するほど子供は利口でない。弱いもの、防御していないものは強者の餌食になるしかないのである。子供にとって、蛙はザリガニの餌になるもの、カナブンはクワガタに胴体を串刺しにされるもの、バッタはカマキリに頭から囓られるもの、チェコはナチスに併合されるものなのである。子供に環境行政をやらせたら、全国の湖沼にブラックバスを放流して生態系を破壊するに違いない。いっそのこと、パイクも放流すると更に滅茶苦茶になるぞ、どうだ。

 というわけでコオロギも、カマキリの餌としてこの世に生を受けた、と子供の頃は思っていた。連中は暗いところ、じめじめしたところが大好きだ。野原に行って、地面に横たわるトタン板などをめくる。すると隠れていたコオロギがぴょんぴょんと逃げ出す。なかなか敏捷だが、その跳躍力がきゃつの命取りになる。跳んだところを、着地の前にうまくキャッチする。跳んでいるときは重力の法則に従うのみで、落ちてくる場所を完全に予測できる。プロレス漫画で空中戦が得意なレスラーがやられるパターンのひとつである。これがバッタなら羽を広げて飛翔するところだが、コオロギはぼってりと腹が膨れているので、ろくに飛べないのだ。コオロギの羽は音楽にしか役立たない。

 捕まえたコオロギはカマキリに与える。生きた奴を目の前に持っていくと、両手の鎌で捕らえ、ちょうどトウモロコシを囓るような格好で食い始める。なぜか必ず、後頭部から囓りはじめる。そこに神経が集中しているので、暴れるのを防止しているのだと知ったのはファーブルを読むようになった後年のことで、当時は美味しそうな腹部を後回しにしているのだと信じていた。意地汚い貧乏くさい子供だったのです、私は。カマキリもよほど嬉しいのか、尻から長い紐を出しながらむさぼり食っておる。実際、コオロギは腹がぼってりと膨らんで、汁けが多そうで、がりがりに痩せたショウリョウバッタなどに比べるといかにも美味そうだ。そう考える人は私だけではないらしく、東南アジア一帯ではコオロギを唐揚げにして屋台で売っているそうだ。タイに行ったら是非探してみようと思う。写真を撮って、昆虫嫌い数人に送りつけたいと思うので。

 コオロギの近縁にケラがいる。太陽を嫌うあまり地底深くに潜り、じめじめと戯れている奴だ。こやつは前足がシャベルのように変化しており、武装の好きな子供には若干尊敬されている。つかまえると田圃の水に放り込む。それまで地底に潜っていたやつとは思えないくらい器用に、前足を操って泳ぐ。空高く放り投げると、羽を開いて飛んでいく。陸海空、三軍に君臨しているところも子供に尊敬される所以である。
 こいつは捕らえるのが難しいのであまり食用としてはポピュラーではないが、黒焼きにして子供の寝小便の薬にしていたそうだ。もっともヘビトンボの幼虫も黒焼きにして寝小便の薬にしていたことを考えると、 単なる寝小便する子供に対するいじめでないかとも考えられるが、どんなものだろう。

 タガメも近縁なのだそうだ。そういえば、あの前足と鋭い口吻を除けば、平べったい体つきといい脚の根もとといい、どことなくゴキブリの面影がある。じめじめが好きなこの種族のうち、じめじめを好むあまり水に潜ってしまったのがタガメやミズカマキリらしい。前脚が鎌で強そうなので、子供には尊敬される。鮒や蛙を捕らえて血を吸うところも尊敬される。ラオスあたりでは、こいつも羽根をむしって唐揚げにして食うそうだ。タイでは粉末にして香辛料として使用するらしい。カメムシみたいな匂いがするらしい。そういえば似ているな。だからタイ料理を賞味した人は、知らないうちにこいつを胃の腑に収めている可能性もある。ま、タイやベトナム、中国ではゴキブリも食べるから、当然か。

 また近縁にカマドウマがいる。別名便所コオロギ。コオロギを上下に押しつぶすとゴキブリになるが、左右に押しつぶすとこいつになる。ぬめぬめとした肌色まだらの皮膚。羽根は退化して失われている。長い触角。じめじめとした薄暗いところを好む習性。子供に好かれるようなところは微塵もない。なにしろ気持ち悪いのだ。梅図かずおが「漂流教室」でこいつを巨大化させて登場させていたが、さもあらん。凶暴というよりは醜悪なのだ。
 おまけにこやつは敏捷なのだ。ボットン便所のくみ取り口あたりでばったり会う。会いたくないのに会う。こんなのの相手はしたくないので、逃げることにする。向こうも人間を見て逃げ出そうとする。しかし奴らは馬鹿なのだ。数十匹のうち一匹くらいは、トチ狂ってこちらに跳んでくるのだ。意外なほど素晴らしい跳躍力だ。こいつにキスされたら最後、学校の仲間から数日間は村八分の処分を受ける。こいつだけは私も食いたくない。 

 ゴキブリ、ケラ、カマドウマ、タガメ、コオロギにシロアリも含めたこの仲間は、地球の遙か過去、三億年ほど前の石炭紀ころ、陽の当たる世界を求めたバッタやカマキリと袂を分かち、じめじめとした環境へと進化していったと考えられる。じめじめには三億年の経験を持つ、じめじめのベテラン、じめじめの大先輩なのだ。そう考えると、人間程度の新参者にどうこう言われる筋合いはないのかもしれない。
 なにしろ連中は陽の当たる街道を獣形類が、恐竜が、メガテリウムがナウマンゾウがオオツノシカが闊歩していくのを横目で見てきた。表街道の連中はみな滅んだ。人間が滅んだら次はゴキブリだと言う人がいるが、そんな馬鹿なことはすまい。裏街道のじめじめした住処で、表街道の連中を適当に利用しながら暮らす方が安全だ。地球を裏から操るもの。影の大番長。自民党陰湿小渕派。小沢一郎ブラック。そういえばオカメコオロギは金丸信に似ている。


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