広島カープに就いて

 カープの貧乏には年季が入っている。
 スポンサー企業を持たない市民球団として発足したカープは、低迷時代、たびたび経営危機に見舞われた。そのたびに市民の間でカンパが行われ、市民の投げ込む米や大根で辛うじて翌朝の飯を準備したという。
 のち自動車メーカーのマツダが金を出し、広島東洋カープとなってようやく経営が安定した。ドラフト制で有望な新人を獲れるようにもなり、昭和五十年代のカープ黄金時代を迎えた。
 しかしマツダが左前となり、逆指名、FA制度など自由競争で選手の年俸が高騰すると、ふたたび危機を迎えた。なまじ前田、野村、江藤、緒方、金本など名選手を輩出してしまったので、給料が払いきれなくなってきたのである。
 しかし広島の選手は漢である。タイトルを取りそうになると骨折して戦線離脱し、タイトル獲得で年俸が倍増するのを自ら防いだのである。これで前田は首位打者を三回、江藤は本塁打王を二回、野村は首位打者一回と盗塁王二回を逃しているといわれる。山内、澤崎など新人王に輝いた選手が二年目以降成績が落ち込むのも、好成績を三年も続けると球団に居られなくなることを知っているからだ。
 だがこの姑息な策は長続きしない。名選手達が次々とFA資格を取得していく。野村と緒方はなんとか流出を防いだが、江藤を残留させる資金は皆無と伝えられる。球団首脳も、「江藤の年俸が三億になったら、とてもウチでは払い切れません」と正直に語っている。
 ドミニカにカープアカデミーを設立したのも、貧乏対策のひとつだった。大リーガーを獲得する金がないので、現地で有望な若者を鍛え、日本で働かせる計画だったが、これは失敗だった。日本で一年ほど働いて知名度がアップした選手は、みな高給で大リーグに雇われていったのである。外国人には日本人選手のような漢気がなかった。
 優勝しないのもそのためである。優勝して大幅アップする給料を、球団は払いきれないのだ。1996年などは首位を独走していたのだが、事の重大さに気づいた選手達は一致団結、次々と自主的に骨を折ってはグラウンドを去っていった。そのため一時は十ゲーム以上離されていた巨人が逆転優勝。めでたしめでたし。

 みんなビンボが悪いんや、と嘆きたくなる有様だが、貧乏は団結心を産む。
 広島カープの選手は、みなカープを熱烈に愛している。
 ひとつには新人獲得の資金不足のため、地元で、カープを愛し、契約金の低さに不平を言わない選手しか獲得できないためもあるが、やはりひとつのパンを分け合い、乏しい米は重湯にしてすすり、一片の肉をスープにして飲みあった北朝鮮的生活の賜であろう。
 野村も前田も江藤も、チームのためならアキレス腱が切れ、骨が砕けようと弱音を吐かない。今年中盤の野村の身体障害者すれすれのプレーを見た方なら、納得できるだろう。達川監督の非科学的根性トレーニングにも誰も文句を言わずついていく。達川監督がどんな非常識な継投をしても、黙って耐える。愛あればこそである。
 野村や前田は、前述したようにタイトルのチャンスを自ら返上することで、チームへの愛を表現している。
 そして江藤は、みずから売られていくことで、愛を表現する。
 愛してやまないチームを去る。江藤にとってどんなにか辛いことだろう。しかし自分を売った金で、カープが豊かになるなら。自分を売った金で、あの可愛い後輩たちの練習ボールが買えれば、せめて週に一度魚を食膳に上げることができれば、そう思って江藤はチームを去る。広島しか知らない男が、ことし広島を去る。

ある晴れた 昼さがり
やくざの 多い道
荷馬車が ゴトゴト
江藤を 乗せてゆく
FAの江藤 売られて行くよ
給料が払えず 売られて行くよ
ドナ ドナ ドナ ドナ
江藤を乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ
カープのために

青い波 ハマの星
つばめか 巨人か
荷馬車は どこに向け
江藤を 連れて行く
もしもおかねが あったならば
楽しいカープに 帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ
江藤の涙
ドナ ドナ ドナ ドナ
哀しい瞳


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