はじめに

 私がはじめて春陽堂書店というものに接したのは、中学生をはじめたころだったと思う。
 バスと電車で学校に通うようになり、駅前の書店に入るようになった。むろん中学生のお小遣いだから、週に一冊、それも文庫本を買うのがやっとだった。
 そのころの書店の文庫ラインアップといえば、まず売れっ子の角川文庫、続いて重鎮の新潮文庫、それから虎視眈々と上を狙う講談社文庫と文春文庫、さらに独自の品揃え中公文庫、教養の源泉岩波文庫という順番に並んでいるのが一般的だった。最後にハヤカワと創元推理が、まるでゲットーのような村外れに押し込められていたんじゃなかったか。
 そしてそのゲットーのさらに奧、文庫番外地のようなところに、ときどき放置されていたのが春陽文庫だった。

 当時の私にとっては、星新一と筒井康隆の角川・講談社、司馬遼太郎の新潮・文春でほとんど用が足りたので、春陽文庫にはまったく用がなかった。
 はじめて春陽文庫を購入したのは、それから数年後、高校生になってからだったと思う。江戸川乱歩を読み始め、当時もっとも乱歩を多く出していたのが、春陽文庫だったから。
 春陽文庫の第一印象は、実はいまもあまり変わっていないのだが、「なんか時代遅れな文庫だな」というものだった。古色蒼然とした探偵小説、主人公が白塗りで出てきそうな時代小説、日活映画よりも古そうなアクション小説、「ハレンチ」とか「モーレツ」などの言葉が多出するユーモア小説。なんだか時代に取り残された小説群。文庫界の思い出横町のようなこの文庫を、乱歩と司馬遼太郎以外は手に取ることもないだろう、と思った。

 ところがこの文庫を出している春陽堂という書店は、かつて天下を二分するほどの勢いだったと聞いて、びっくりした。漱石も鴎外も藤村も紅葉も露伴もみんなこの会社から本を出していた、明治文壇はこの出版社なくては語れないと読んで、驚いた。
 それからなんとなくこの出版社が気になってきた。
 そして注意して見ていると、春陽文庫は本屋の中で羽振りが悪くなる一方のように見えた。売れ線だった江戸川乱歩は、ブームが起こるやいなや、講談社が人気イラストレイター天野喜孝を起用した全集刊行で、あっさり隅に押しやられた。司馬遼太郎で唯一、春陽文庫のみ文庫化していた「大阪武士道」は、死後の司馬ブームの時、これもあっさりと中公文庫に出版されてしまった。
 いったいどんなわけで、明治の大出版社が昭和の末にいたってこうなっちゃったんだろう、という疑問から、調べものははじまりました。


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