司馬遼太郎作品に見るグルメ


 時代小説家は美食家が多い。

 池波正太郎を筆頭に、藤沢周平、子母沢寛など食味随筆でも知られた人が多くいる。

 しかし司馬遼太郎は自ら、「平素食べている食事と系列の違う料理には関心の持てないたち」というように、そちらの趣味はあまりないように見られる。

(もっとも客人を自家製チャーハンでもてなしたりしてはいたそうですが)

 ここでは司馬遼作品の数少ない食味シーンから、印象的だったものををとりあげてみました。旨そうに食っているやつがほとんどいない。

 


 夕食は、近藤がぜひ一緒に、というので、部屋でとった。

 給仕は近藤の女房のおつねがしてくれるのだが、無口で陰気で、この女が給仕をすると、どんな珍味でもまずくなるような気がした。

(中略)

 気のきいた職人なら吐きだしてしまうようなめしを、近藤は六杯も七杯も食う。下あごが異様に大きいから、少々の小骨ぐらいなら噛み砕いてしまう。しかもあごが張っているせいか、物を食っている様子は、顔中で粉砕しているような感じだった。

 


 どの膳部にも、壬生菜のつけものがついていた。

 京菜の変種で、色が濃緑のうえに葉も茎も粗っぽいが、噛めば微妙な歯ごたえがしてやわらかい。

 −うまい。

 と何度もそれを八木家の下女に命じてお代わりしたのは、山南敬助である。歳三はそういう山南を軽蔑した。

(中略)

(あらえびすで結構だ。こんな塩味のきかねえつけものが食えるか)


 歳三は、昼、自室でひとりめしを食っていた。副長には一人、隊士見習を兼ねた小姓がつくのだが、歳三は、いっさい、給仕をさせない。

 飯びつをわきにつけ、自分で茶碗に盛っては、ひとり食う。子供のころから、ひとと同座してめしを食うのがきらいな男であった。この点も、猫に似ている。

「たれだ」

 と、箸をとめた。

 障子に、影が動いた。

 からっと無遠慮にひらき、沖田総司が入ってきた。

「なんだ、沖田か」

 この若者だけは、にが手だ。

「どうぞ、召し上がってください」

「急用かね」

「いや、ここで拝見しています。私は自分が食が細いせいか、他人がうまそうに飯を食っているのを見物するのが、大好きなんです。とくに土方さんの食いっぷりを見ていると、身のうちに元気が湧いてくるような気がします」

「いやなやつだな」

 


 米も、わるい。大阪で積みこんだ米は、大阪城に貯蔵されていた古米が多く、たきあげると悪臭を放った。

 近藤も、江戸の頃は食いものをどうこういうような性格でも暮らしでもなかったが、京にきて美食に馴れたため、

「歳、これあ、食えねえな」

 と閉口した。

 歳三は、ほとんど食わなかった。まずいものを食うくらいなら、死んだ方がましだと思っている。

 

以上、「燃えよ剣」より


 このあと、緒方家の物干し台にのぼり、豆腐の皿を膝もとにひきつけておいて、酒をのんだ。自分の昇級を自分で祝っているつもりであった。

 


 その山田が生涯蔵六を不愉快におもったのは、招待するといっていながら、蔵六がこの凱旋の官軍幹部に対して出した料理というのは豆腐二丁きりであることだった。

 山田は戦陣のあいだろくなものを食っていなかったために、江戸に帰って美食することのみを楽しみにしていた。それだけに腹が立ち、さらには蔵六という万年書生のばかばかしさにも腹が立って、酒だけを飲み、豆腐にはついに箸をつけなかった。

 蔵六はひとりで豆腐を食った。

 蔵六は最初、山田顕義が豆腐に箸をつけないのをみてそのことは黙殺していたが、話の途中でふと山田の皿をみて、

「豆腐を愚劣する者はついには国家をほろぼす」

 と、おそろしい顔でいった。豆腐には身を養うに十分な栄養がある、それ以上の奢侈を求める者を相手に新国家の構想は語りにくい。

 


西園寺が予感したとおり、木屋町三条の宿の二階での蔵六の馳走は湯豆腐であった。

 土鍋に昆布が布かれ、豆腐の他に揚げ豆腐も入っている。蔵六はすでに銚子二本をあけて、三本目をひざもとにひきつけている。

 

以上、「花神」より


 招じられた夕食の場所は、蔵六の書斎であった。桂の膳に、豆腐が盛られている。めしの菜はそれだけである。桂は呆然としていると、

「豆腐はおきらいか」

 といいながら、自分はさっさと箸をとってめしを食いはじめた。豆腐を醤油につけては口に運ぶ。

 蔵六は、後に函館戦争で殊勲をたてて帰ってきた長州藩士山田市之允(後の顕義、伯爵)をねぎらうために、自邸に招き、このときもこの豆腐を食わせた。山田は腹をたててついに箸をとらなかった。

 桂はやむなく食った。食いながらも、村田蔵六の珍奇な顔を見ていると、豆腐がいよいよまずくなった。

「豆腐には滋養分がある。西洋でいえばチーズとおなじです。生命を養うに足る」

 と、蔵六はいった。

(中略)

「まあ、待ちなさい。君子は説の行われるところに居るべきものだ。その証拠に、百姓医者村田良庵の意見では、桂君、あなたでさえ取り合わなかった」

(この男は覚えている・・・)

 桂は、伏し目になった。口中の豆腐は、いよいよまずい。

以上、「鬼謀の人」より


 岩崎は行燈をひきよせ、背を丸めてなにかしきりに食っていた。

 それを見ると、菅野は腹がひどく減っているのに気づき、

「少し寄越せ」

 と、手をのばした。

 岩崎は、奪られまいと丼をかかえたまま、むこうをむいた。

「何を食っている」

 と菅野がのぞくと、ひどく臭い。赤茶けた飯と肉片がその中に入っている。

以上、「慶応長崎事件」より


「ご夕食はすでに?」

 と、伊藤は廷内の土間を歩きつつたずねた。男は昂然と答えた。

「まだです」

 ああ左様か、と伊藤はうなずき、藩邸の台所へつれてゆき、小者に命じて冷やめしをかきあつめさせた。汁も多少残っていた。伊藤はそれを温めさせようとしたが、男はいやそのままでかまわない、と百姓のように大きな掌を振った。男はその冷たい汁を飯にかけ、椀に口をつけ、顔を振りたてるようにして掻きこみはじめた。伊藤はそれをみながら、

(これはどういう身分の男だろう)

 とおもい、ひょっとすれば自分以下の身分の出身ではないかとおもった。

 


 ベルツは診察に先立ち、内科医の常識として栄養状態をしらべようとし、平素どのような副食物をとっているかを通訳に聞かしめた。江藤は別に恥ずる気色もなく、

「ここ二、三年前までは世間でいう副食物など食ったことがない。十日に一度ほどは鰯の頭を焼いて食った。思いだせるのはそれだけである」

 といった。通訳は困惑した。そのままベルツに通訳すれば日本武士の貧しさというものがそれほど極端なものかとかれは江藤の極端な例において錯誤するであろうと思い、そのまま訳さず、

「漬物のたぐいが好きでそれのみを摂っていた。米の飯は十分に食ってきた」とうそを訳した。

以上、「歳月」より

 


 赤兵衛は、腰の垢じみた麻袋から干し肉をつまみ出して口に入れた。

(なんの獣肉やら・・・)

 と、杉丸は気味がわるい。

 赤兵衛はうまそうに食っている。

「おぬしも、食わぬか」

 と、ひときれくれた。杉丸は受けとってはみたが、そのえたいの知れぬ獣肉よりも、赤兵衛の手に触れたことがむしろ気味悪くて、

「あ、ありがとうございます」

 といったきり、掌にのせている。

「お食べ」

以上、「国盗り物語」より


どうです?食欲が湧いてきました?

戻る