破産王、高橋是清

 ちょっと前、小渕内閣の大蔵大臣として元総理の宮沢喜一氏が就任したことを「平成の高橋是清」ともてはやした向きがあった。しかし金融の健全化を進めた高橋蔵相と違い、宮沢蔵相はなすこともなく辞任。これは高橋と宮沢の識見の違いというより、みずから信じることを捨て身で実行できるかどうかという差であっただろう。なにしろ、高橋是清の捨て身には定評がある。
 いま不況が長引き、リストラなどで破産する人も多いとは思うが、高橋是清の破産歴にかなうものはいるまい。破産というと文学者の直木三十五やバルザックも有名だが、彼らにしろ二回か三回の破産だ。高橋是清と比べたら、破産界のペイペイに過ぎない。
 ここで高橋是清の破産歴を追ってみよう。

 江戸に生まれた是清は、二歳のころ仙台藩の高橋家に養子入りした。その俊才を認められ、十四歳のとき、洋学修業のためアメリカに渡った。ところが現地で英語もよくわからないまま、うっかりとサインしてしまったのが奴隷契約書。自分の身もろとも、すべてを奉公先に売り渡してしまったのだ。これが第一の破産。

 やがて世話役などの奔走でようやく自由の身となり、英語などを勉強して帰国。ところが在米中に明治維新がおこり、仙台藩は賊軍としてどこかへ消えてしまった。天涯孤独の身。これが第二の破産。

 やがて知り合いの紹介から森有礼の口利きで大学南校(いまの東京大学予備校みたいなもの)の教師として採用される。ところがこの頃から悪い遊びを覚え、宴席で大酒を呑む、芸者をあげて大騒ぎする。さんざんな有様で、ついに学校を辞めて無一文になって馴染みの芸者のところに転がり込み、芸者の荷物持ちにまで落ちぶれる。これが第三の破産。これが十八歳のときのことだから呆れる。

 ここで芸者に意見され、発憤した是清。友人の紹介で唐津に都落ちし、そこで英語の先生となる。毎日三升の大酒を呑んでは血を吐いたりしながらも、芸者遊びは芸者がいないのでできず、そこそこ真面目に毎日を過ごす。
 やがて知り合いの紹介で前島密に呼ばれ、大蔵省に出仕。郵便事業の文書の翻訳をするが、前島と喧嘩してすぐ辞職。
 やむなく末松謙澄と組んで外国新聞を翻訳して日本の新聞社に売りつけたりしていたが、そのうち森有礼に呼ばれて文部省に出仕。東京外語学校、大阪外語学校の校長を歴任する。

 ところがここで友人が、今後は畜産事業が発展する、ぜひ参加しないか、と話を持ちかけてくる。これに乗った高橋是清、わざわざ長野まで視察に出かけたりもしたが、この畜産事業が真っ赤な嘘。財産をだまし取られ、友人に逃げられ、ここに第四の破産。

 しばらく神妙に翻訳で日銭稼ぎをしていたが、またも悪い友人が、銀相場が最近儲かる、ぜひ一口乗らないかと話を持ちかける。またも騙された高橋是清、みごとに思惑買いに失敗し、そして第五の破産。

 捨てる神あれば拾う神あり、今度はいい友人の紹介で、新設された農商務省に出仕。特許関係の文献を翻訳し、その道の専門家と認められ、パリ、ベルリン、ロンドンと、ヨーロッパに調査旅行にも行く。
 そこでおとなしくしていればいいものを、またも友人が「ペルーの銀山は大変有望だぞ」といらんことを吹き込む。農商務省も辞め、全財産をペルー銀山につぎこんだ結果は、限りなく廃坑に近いという調査結果だった。これで第六の破産。

 ここでまたも友人が助け船を出し、日本銀行に勤める。やがて才能を認められて正金銀行の支配人となり、日本銀行に戻って副総裁となり、日露戦争の際には外債の募集に力を発揮した。
 その辣腕が政界にも認められ、山本権兵衛内閣の蔵相に迎えられる。このとき政友会に入る。のち原敬暗殺後、政友会総裁と総理大臣に祭りあげられるが、元来政治的な動きとか部下を揃えるとかいう行動が苦手なため、なすこともなく辞任。

 やがて昭和の金融恐慌。破産した日本経済を立て直すべく蔵相に就任した高橋是清は、モラトリアム政策などでなんとか破産を逃れる。
 しかしその後、軍部が台頭。犬養内閣や岡田内閣の蔵相として高橋是清は、陸軍の無茶な予算請求に「そんな金は日本にはない」と、頑として抵抗。日本の財政を守り続けた。そして、2・26事件。高橋是清は暗殺される。後任の大蔵大臣は陸軍の予算請求に唯々諾々と従い、そのため日本の財政はぐちゃぐちゃに。そのためやけくそになった軍部は太平洋戦争を起こし、敗戦。高橋是清の死は、第七の破産、日本国そのものの破産を招いたのである。


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