たつた一人の交換

 この「ポポロクロイス・はじまりの冒険」は世間で前評判が高いといふので何気なく買つてきたのですが、意外に気に入つてしまつた。ふだんテレビゲームなどしないわたしが〆切も忘れて一週間熱中していたのだからたひしたものでせう。
 ジャンルは勇者が悪の魔王を倒すといふ、いはゆるロールプレイングゲームです。このゲームも体裁は王子が闇の魔王を倒しにゆく、といふありきたりの設定を取つていますが、なかなかもつてさういふ一筋縄で捉へられるものではない。
 まず主人公のピノン王子は母親のナルシア王妃からハンケチを貰ひます。実は闇の魔王だの精霊だのといつた存在よりも、このハンケチがこのゲームの主題なのです。このハンケチを鼻風邪で困つている城の兵士に渡すと、代はりに鉛筆を呉れる。この鉛筆を学校に持つていつて筆記用具を忘れて困つている生徒に渡すと、代はりに飴をくれる。もう皆さんお気づきでさふ。「藁しべ長者」と同じ展開です。いはゆる交換の体系ですね。
 かつてマリノフスキーはトロブリアンド諸島での貝の腕輪の交換経路をつぶさに調べ、交換の体系が経済的な枠組みだけではなく文化的な基盤や住民の知的範疇とも分ち難く結びつひていることを喝破しました。また南アジアや南太平洋の交易路で用ひられてゐるピジン英語の研究も進み、これが単なる単純化された英語ではなくまつたく新しい商業言語ともいふべき言語であることもわかつてきました。つまり交換とか交易といふものは、人間の言語、情報交換そのもの、つまり存在基盤でもある、と言へるのです。
 さういふ知見をこのゲーム制作者はよく理解しているやうで、わたしはプレイしながらところどころ深く感心しました。飴を手ぬぐひに、手ぬぐひをサンドウィッチにと、主人公の王子が交換を続けていく過程で仲間が増えてゆくのですが、さういふところも交換がイクォールコミュニケーションである、といふことを主張しているのでせう。
 残念ながら交換の旅の途中でモンスターが出現し、戦闘が行なはれる。これがこのゲーム唯一の蛇足でせう。時間を無駄に費やすだけでつまらなひのです。モンスターとの戦闘はこのゲームでは端折つた方がよかつたと思ひます。これだけが残念ですね。
 わたしはこのゲームを友人に勧めてみたのですが反応は様々でした。吉行淳之介に貸して「どうだい。素晴らしかつたらう」と言ふと彼は「うん。エレナ王女のベツドシーンがね」と答へたので、まつたくゲームをしていなかつたことがわかつた。その後、立原正秋に貸したのですが、数日後に速達で「戦闘がうつとほしくて肚が立つ」と殴り書きされた紙片と共に粉微塵となつたDVDが送り返されて来ました。よほど肚に据えかねたのでせう。


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