交換する人

 なんにでも交換するのが好きな人はいるもので、たとえば前の職場で日常的に接していた「かわっちょん」こと河内くん(小学五年生偏差値極悪)はわたしといつも遊戯王のカードを交換していた。三十づら下げて小学生と遊戯王のカードを交換するほうが極悪だという意見もあるが、それは今回の議題ではない。断じてない。
 わたしは今でこそ富士山のよく見えるお茶の栽培が盛んで鰻がよく取れる謎の土地でひとり暮らししているが、大阪で母上父上妹犬猫鳥魚と同居していたときには、よく母上と交換を行っていたものだ。
「今日もまた晩御飯はお好み焼き? 頼む、そろそろカレーにしてくれないか母上。もう一週間もカレーにしていないではないか」
「あんたが結婚したらカレー作ったるわ」
「ところで、そろそろ掃除をした方がいいのではないか。新聞がこんなにたまっているぞ」
「あんたが結婚したら掃除するわ」
 わたしの条件が容易に履行可能であるのに対し、母上の交換条件が至難もしくは不可能であることを特徴としていた。
 そんなことはどうでもいい。そもそもわたしは静岡県に在住していたこともないし大阪人の母上を持ったこともないしカレーが好きというわけでもないしリズム感がないわけでもないし誰も言ってくれないので自分だけでハンサムだと主張しているわけでもない。わたしはポポロクロイスの王子であるしピノンという名前であるし精霊を助ける旅の途中である。
 旅立つとき、母上からハンカチをもらった。わたしはなにげなく受け取ってそのままにしていたのだ。ところがこの間、武器を買う金が必要になったときのことである。わたしは懐をさぐってみたが、綿埃文庫本の栞ギターのピックインディの割引券「ナナちゃんの撃退」と書かれた謎の紙片ハンカチなどが出てくるだけで金はどこにもない。そのときはじめて、ハンカチのことが気になったのだ。
 装備品かと思ったが身体のどこにも装備できない。なにかを拭くものかと思ったが使うこともできない。道具屋に売り払おうとしたが売ることもできない。いったい何をするものなのだろうかこのハンカチは。
 悩みながらポポロクロイス城に戻ったわたしを出迎えた兵士は風邪をひいているらしく、さきほどからしきりに洟水をたらしているのであった。これでは城の威厳にもかかわる。ふと思ってハンカチをこの兵士に手渡してみたら、なんと喜んで受け取ったのであった。そしてあまつさえ、いきなり、
「ずびー」
 わたしのハンカチでいきなり洟をかむのであった。
 一介の兵士が王妃のハンカチをもらったのだ。よしんば王妃のハンカチだと知らぬとしても、王子からもらったのだ。いってみれば下賜品である。日本という国では天皇陛下から煙草をもらってさえも、箱を開けて一本ずつ親類縁者にわけあたえ、もらった親類縁者は後生大事にしまい込むのだ。だれも吸ったりしないのだ。そんな大事な下賜品で鼻をかむとは、ひょっとするとこの兵士見かけによらず豪快さんなのかもしれない。などと考え込んでいるうちに兵士は懐をごそごそと探った末なにかを取り出し、
「それでは、交換に鉛筆をあげます」
 鉛筆をもらってしまった。
 これをどうすればいいのだろう。とりあえず道具として使ってみようとしたが使えないようだ。アクセサリーとして装備すればわたしのインテリジェンス溢れる知性がさらに輝くのではないかと思ったが装備もできない。何の役にも立たない。
 悩むうちに城下町に出、学校に来てしまった。頭の悪そうな餓鬼どもがわらわらとたむろしている。わたしは以前の職場のせいか子供を見ると逃げ腰になるのだが、そんな中で鉛筆を忘れて困っている生徒がいた。学校に筆記用具を忘れるような生徒だから実に偏差値の悪そうな顔立ちだが、そんなことはどうでもよい。この鉛筆を厄介払いするチャンスだ。わたしは彼に鉛筆を渡した。
 するとこの生徒も、生意気にこう言うのだ。
「それでは、交換に飴ちゃんをあげます」
 飴をもらってしまった。
 あろうことか一国の王子がそこらの洟垂れ坊主に飴をもらってしまった。これをどうすればいいのだ。食えというのか。しかしいくら努力しても「飴」を「食べる」というコマンドはない。これをまたどこかの誰かと交換しろというのか。一国の王子がそんなことをしていていいのか。闇の世界をほっといて交換に精を出せというのか。
 わたしは飴ちゃんを握りしめたまま、端正なマスクをやや困惑に歪め、なすすべもなく暮れなずむ城下町に立ちつくすのであった。


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