(いよいよ落城じゃな)
権兵衛は、図書館の前を通り、荊がまだ残る道を北にむかってゆっくりと歩きながら、城塁をみあげた。陽はすでに傾いて石塁のむこうに沈もうとしている。これが、トロデーン王家がむかえる最後の落日なのであろう。
権兵衛の左右には、逃げまどう男女の群れが、間断なく走りすぎていった。かれらほどあわれなものはおるまい。長い間の呪いからようやく解放され、喜んだのもつかのま、間もなくすべてを失おうとしているのだ。
そのとき背後でどっと櫓が燃え落ち、火の粉が権兵衛の肩にふりかかった。その猛煙のなかから女がひとり飛び出してきた。
「姫か」
権兵衛が声をかけると、素足のミーティアは、いそがしくうなづいた。頬が煤煙でよごれ、大きく開かれた二重まぶたの眼だけがきらきらと光っている。妙なことだが、権兵衛はこのときほどミーティアを可憐に思ったことはなかった。
石垣の物影にミーティアをさそい、片手で肩をだきよせると、毒蛾のナイフをきらりとぬいた。
「眼をつぶれ」
いうなりミーティアの金髪をにぎった。すばやく一尺ばかり切りすて、そのあと茶染の長い布で頭を巻かせた。
「さて、そのドレスではまずい。これを着てもらおう」
と垢じみたたびびとの服をあたえ、
「城から六里、西の海ぞいに存じ寄りの家がある。そこで旅衣装を借りて女の姿にもどしてやるゆえ、しばらくの辛抱じゃ」
「はい。……でも」
と、ミーティアは、燃えあがる城のほうをふりかえった。そこにいる父親や家臣などを捨てて自分だけが城をぬけ出すことになおためらいがあったのだろう。
「見るな。いまは無用の情けは禁物じゃ」
権兵衛はするどくいった。
「たしかにこの戦は、姫の自儘よりはじまったものじゃ。姫はあの王子を嫌って結婚式より逃げた。息子を袖にされたクラビウス王は怒り、軍勢を差しむけた。姫をさしだすか戦をおこすか、ふたつにひとつの条件を出した。そなたの父上は戦をえらんだ。しかし日の出の勢いのサザンピークじゃ。呪いからさめたばかりで動きようも知らぬ田舎の小国の軍勢ではひとたまりもない。負けるのは当然じゃ」
背後の空が赤い。トロデーン落城の火である。炎はいよいよ燃えさかっており、城の上の雲を異様な色に染め出している。
ミーティアはすがるように権兵衛にたずねた。
「父上は、どのようにおなりあそばしたでござりましょう」
「死んだろう」
権兵衛は、乾いた声でいった。
「大臣は?」
「死んだにちがいない」
これも、つめたくいった。
「メイドも将軍も兵士も料理女も、ゼシカもククールもヤンガスも、みな姫の自儘なふるまいのために死んだ。いずれも、すさまじきばかりの死にざまで死んだが、どの者もおそらく冥土で後悔しているだろう。護り甲斐もない王家のために死んだ、と」
「権兵衛さまは、これからどうなされまする」
「生きるのさ」
権兵衛は、ふと笑った。
「姫と一緒にな」
ミーティアは、はっとわれにかえったように権兵衛を見あげた。
「権兵衛さま、行くすえ、わたくしを可愛がってくださいますか」
「……」
「これは睦言のつもりで申しているのではありませぬ。わたくしは、いままで呪いと王家のために女らしい生き方ができませなんだ。きょうからは、自分のために生きるつもりでありまする。されど権兵衛さまが可愛がってくださらねば、このさき生きながらえたところで詮はありませぬ。もし、いやと申されるなら、わたくしはいまからあの炎のなかにもどりまする」
まるで脅迫ではないか、と権兵衛は苦笑して、
「そのようにする」
「たしかに?」
「ミーティアが」
と、権兵衛は姫をはじめてその本名で呼び、
「火に身を投ずるというなら、これは可愛がるより仕方がないではないか」
「末永う?」
「生々世々、ミーティアを離さぬさ」
ぽっ、とうそが天に立ち昇った。