落ちついている。
声が、である。
その乞食は、トラペッタの道具屋のやぶれ築地に腰をおろし、あごをいつだかわからない、どこの星座かもわからない星空にむけながら、夜の涼をとっていた。
「勇者になりたいものだ」
と乞食はつぶやいた。
ひとがきけば狂人とおもうだろう。が、乞食は大まじめである。事実、この夜のつぶやきは、このよくわからない世界史が永久に記憶しなければならなくなった。
「モンスターならば、種によってスライムにもなれば、あくま神官にもなる。が、人間はひとつの種だ。望んで望めぬことはあるまい」
乞食。
厳密には乞食ではないのだが。
トラペッタからはるか遠く、トロデの国のうまれ。「剣はソードマスターをきわめ、学は賢者にもおとらず」といわれるほどの人物でもあった。
が、名前がない。ティーダやアルスといった暫定名すらない。
やむなくつけられたのが、名無しの権兵衛。――
国がほろびてとびだし、放浪した。
ついに、乞食に落ちぶれてしまった。
「王にはなりたくないが」
と、権兵衛は、背後で馬にもたれて居眠りをしている緑色の爺をにらんだ。権兵衛だけが乞食ではないのである。
爺はもと権兵衛の主君だったトロデ王である。
国がほろびると、権兵衛を頼ってついてきた。
この王、文句をつけるだけで戦闘には参加しないし、他にも何もしようとはしない。
「糞便を垂れる木偶」
同然となっている。
「王にはなりたくないが、英雄、それがむりならばせめて勇者になりたいものだ」
「夢じゃ」
と、足もとで笑った男がいる。
権兵衛が放浪しているとき、
――わしを家来にしてくだされ。
と付いてきたヤンガスという山賊である。獣の皮をきてサザエのようなものを頭にかぶっているが、斧をひとつ、だいじそうに右肩から背負いかけていた。
「なにが夢かよ」
「ふん」
ヤンガスは、あざわらった。
「夢ではおざりませぬかい。お前様のような人に付いていったがために、とうとう乞食になりはててしもうた」
「すえは、栄耀栄華を見せてやるわ」
「すえのことよりも、いまの一椀のひえがほしいわい」
「乞食め」
権兵衛は笑った。
「あっ」
起きあがったのは、ヤンガスである。
「なにやら、井戸のあたりが騒がしい。娘と父親の言い争いではおざりませぬか」
「ほう、諍いか」
権兵衛の空き腹が鳴った。仲裁すれば、きっと食物にありつけようと思ったのである。
「なにで争っておる」
「いやそれが」
ヤンガスがいった。
「水晶玉ひとつなんで。――」
「ヤンガス。それにしてはうれしそうな顔じゃな。察するところ、その水晶玉にねうちがあるのであろう」
「さすがは、智恵第一の権兵衛さま」
ほくほくと顔を崩した。
ヤンガスも利口な男だから、筋道をたてて話しはじめた。
その父親は占い師である。
およぶ者のない三国一の占い師と、ひとからはいわれた。
が。――いまはおちぶれて、酒におぼれている。
占いのみなもとである水晶玉が、いつのまにか失われたのだ。
さる滝の洞窟にそれはある。
が、そこまでわかっていながら、父親は取りもどしにいかない。
娘は、その父親の態度をなじっているのだ。
「権兵衛さま。どうやら占い師の水晶玉を、あなた様が横どりなさる、という筋でございまするな」
「よう見た。おれが取る」
笑った。声をたてて。
これから悪事をなすとは思えないほど、澄んでいる。自分のやることすべてが正義だ、と信じている証拠だろう。
「これから旅立つ。先立つものが要るだろう。ヤンガス、そこらの民家に押しこみ、箪笥や壺のなかを奪ってまいれ」
「よう承わった」
洞窟の中は湿っていた。
滝からしみでた水が、したたり落ちている。
(焼くには不都合じゃな)
権兵衛は松明をかかげつつ、兵士の剣を小わきにかかえ、ゆうゆうと洞窟の中へふみこんだ。
(魔物はおらんか)
おれば斬り殺すつもりでいた。わが武芸の試しどころであろう。
洞窟の奧に、金色に光る豪華な水晶玉があった。
ふと、水晶玉の下でものの気配がした。
「たれだ」
と、権兵衛は剣をみじかく構えて岩壁をすべって行った。
「あっ」
と物影が立ちあがろうとしたころには、権兵衛が背に手をまわして抱きよせている。
(魔物か)
とおもい、念のために手を頭にさし入れると、傷口があかあかと濡れている。
「……」
魔物は、ふるえている。
(妙な手ざわりのものじゃな)
権兵衛は、感嘆した。
「あっ、おゆるしくださりませ」
魔物は、身もだえた。
「どうせよ、というのだ」
「せよ、とは申しておりませぬ。するな、と申しておるのでございます」
と、魔物はようやく口がきけるようになったらしい。
眼がきらきらと怒りに燃えている。
「そうか」
権兵衛は、解きはなってやった。
びしっ
と魔物を斬り捨てた。
「思い上がるものではない」
権兵衛は水晶玉を得て、トラペッタに戻った。
娘に、水晶玉を渡した。
「そなたを抱きにきた」
といった。
「今夜、閨で待つように」
「うれしい」
と、ユリマは顔を権兵衛の胸にうずめた。