遙かなるチキン南蛮

 いわゆる、ご当地の名物料理、というものがある。
 たとえば江戸時代以前からの由緒正しいものとしては、栃木のしもつかれ、秋田のきりたんぽ、金沢のごり料理、岡山の祭り鮨、香川の讃岐うどん、長崎のしっぽく、熊本の冷や汁、なんてものがある。
 これらは、いってみれば名物料理の由緒をほこる、名物料理界の貴族階級といっていいだろう。

 これに対して、新興の名物料理、名物料理界のブルジョワジーともいうべきものがある。明治以降に食べられるようになった地方の料理。いやいや、料理によっては、ここ十年や二十年くらいの歴史しかないものがある。
 たとえば、宇都宮の餃子。これは太平洋戦争の敗戦後、満州から逃げてきた日本人や中国人がはじめたものだという。餃子は戦後、急速に普及したが、戦前はほとんど知られていなかったという。たしかに戦前の本だと、中華の点心といえばシュウマイか饅頭である。要するに宇都宮の名物料理になる前には、中国でも満州でしか知られていない名物料理だったわけだ。
 あるいは、北海道のジンギスカン。明治以降、北海道で羊を飼うようになったが、その肉が臭いと日本人には悪評だったため、いろいろと料理法が考えられてきた。従来のすきやきと焼き肉をミックスしたような形で、たれにつけて焼く方式が考案されたのは、昭和になってからだという。

 これら新興名物料理の中には、マスコミや食品メーカーの戦略に乗ってブームとなり、全国に知られるようになったものもある。
 最近の大ヒットとしては、なんといっても神戸のそばめしだろう。単に焼きそばとチャーハンをぐちゃまぜにしただけのものではあるが、なにしろ原価が安いため、冷凍食品として飛ぶように売れた。
 中ヒットクラスでは、名古屋の天むす、盛岡のじゃーじゃー麺、帯広の豚丼、沖縄のタコライスなどがある。天むすは脂っこい天ぷらとシンプルなおにぎりのミスマッチが評判を呼んだ。盛岡では「じゃーじゃー麺も冷麺もわんこそばもキリストも、みんなウチが元祖」という東北人らしい自己中心的な態度が、かえって面白がられて評判になった。豚丼は豚肉の照り焼きを飯に載せただけという愛想のなさが「なんで北海道には魚も牛もあるのに、こんなんが名物なの?」と不思議がられて評判になった。タコライスは「タコの炊き込みご飯かと思ったのに、トルティーヤの代わりに飯にタコスを載せただけかよ!」と抗議殺到で評判になった。
 マスコミや食品メーカーが躍起になって宣伝したものの、まったく普及しなかったものとしては、加古川のカツライス、岡山のデミカツ丼、長崎のトルコライスなどというものがある。
 カツライスはトンカツでなく牛カツを使うという原価の高さが致命傷だった。さらにデミカツ丼と同じく、ドミグラスソースも普及の障壁となった。ドミグラスソースは醤油やウスターソースと違い、スープのダシがよく出ていないと、ただの味の薄い汁になってしまう。そのため手間と値段がかかるうえ、濃い味が好きな東日本の人間は、せっかくのドミグラスソースにウスターソースをどぼどぼかけて味を台無しにするのを常とした。ドミグラスソースは、日本の半分の人間からは、ソースと認められていないのだ。
 トルコライスに至っては、地元でそもそも意見統一がなされていない。はっきりしているのは「ひとつの皿に三つの料理を載せる」ということだけで、ある店ではスパゲティとハンバーグとカレーライス、ある家ではピラフとトンカツとドライカレー、またある学校ではスパゲティととんかつとチャーハン、という具合であるから、はなっから普及など夢のまた夢であった。

 チキン南蛮もまた、全国制覇を夢見てはかなく散った料理である。
 もともと宮崎で創作された料理である。宮崎県内では知らぬ者がいないくらい有名ではあるが、九州他県では、そんなもんもあるよね、というくらいの知名度になり、関門海峡を渡ると、なにそれ? と聞かれるようになる。
 ダイエーホークスの寺原投手が好物ということで、寺原人気に便乗して一気に全国区にのしあげようと画策され、福岡ドームの売店でも「寺原チキン南蛮サンド」「寺原チキン南蛮弁当」などが売り出されてはいたが、なにしろ寺原投手そのものが中途半端になってしまったものだから、全国制覇も立ち消えになってしまった。
 ダイエーをはじめとする九州の会社は、「今回の日本シリーズをきっかけに、近畿地区にチキン南蛮の橋頭堡をうちたてよう!」と意気軒昂であると聞くが、さてどうなることやら。

 南蛮、というと、どうしてもむかし学校給食で食べさせられた、カレイの南蛮漬けを思い出してしまう。
 干物にしか見えないほど痩せひからびたカレイのフライの、すっかり冷え切ったところへ、タマネギやらニンジンやらのせんぎりの混じる甘酸っぱいどろっとしたタレをぶちまけて食う料理。料理というか、見た目は、「ゲロのなかで息絶えた魚のミイラ」であった。味も見た目に劣らぬほどまずい。冷え切った骨と皮だけの魚。合成甘味料と合成酢の味が舌にからみつくタレ。甘酸っぱい味など、そもそも子供の味覚に合うはずはないのに、なんだってこんな料理を給食に採用したのだろう。いまでも腹が立つほど、しみじみとまずいものであった。
 南蛮漬けとは、揚げ物を甘酸っぱいタレにひたす料理であるらしい。
 なぜ「南蛮」なのかというと、いくつかの説がある。
 1)戦国時代にポルトガルから伝来したエスカベーシュという、小魚をフライにして酸っぱいタレにマリネする料理がもとになっている、南蛮渡来の料理法だから。
 2)南蛮渡来の唐辛子やニンジンをタレに混ぜているから。
 3)ポルトガル人は故郷の風習で、タマネギを多食していた。しかし戦国時代の日本ではタマネギがまだ普及していなかったため、ネギで代用することが多かった。そのため、タマネギやネギを多用する料理を「南蛮」と呼ぶようになった。
 この最後の説は、「鴨南蛮」の語源としても用いられる。鴨南蛮にはネギを多く入れるから、そこが南蛮だというのだ。もっとも対立する説もあって、ネギは当時、大阪の難波地方で栽培されていたから「鴨難波」と呼ばれ、そのうち「鴨なんばん」と訛ったのだとか。ほんまかいな。

 そのチキン南蛮、いったいどうやって作るのか。
 ネットで検索してみたが、おおまかには次のような料理であるらしい。
 1)鶏肉を揚げる。
 2)揚げた鶏肉を、甘酸っぱい汁にひたす。
 3)鶏肉を汁から引き上げ、タルタルソースをかけて食べる。
 タルタルソースをかけるところが、普通の南蛮と違う点であり、そこが味噌であるらしい。
 この料理、昭和三十九年に宮崎のレストラン「直ちゃん」が独自に考案したという説と、「直ちゃん」と「おぐら」の二店で共同開発したという説がある。どうもこういう地方料理は、やたらに異説があってややこしい。まあどちらにせよ、四十年そこそこの歴史しかない、まだ若い料理ということか。

 せっかくだから作ってみよう。
 まず鶏肉。腿肉がいいとか胸肉がさっぱりしているとか、「ハネミ」じゃなきゃダメだとか、検索したらいろんなことを言っているサイトが見つかった。
 元祖の店ではハネミを使っているということで、それではわしも、と思ったが、ハネミっていったいどこの肉なのか、まったくわからない。どうやら九州地方の方言であるらしい。困ったことに、ハネミについて情熱的に語るサイトは多いものの、ハネミって何のことだか説明してくれるサイトは皆無である。どうやら九州人にとっては自明のことであるらしい。頼むからネットの中だけでも、九州以外にも人が住んでいることを理解してくれ、九州人よ。
 やむなく勝手に自分の好みで腿肉を購入する。
 (後記。どうやらハネミとは、なんのことはない、胸肉のことであるらしい。いや確証はないが、「モモまたはハネミ」と書いているサイトが多いが、ムネとハネミを併記しているサイトがないことから、おそらくはハネミ=胸肉と推定される。)

 鶏肉を一口で食えるくらいの大きさに切り、塩胡椒してしばらく置く。時間がたつと水分がにじみ出てくるので、キッチンペーパーで拭いてから、小麦粉をまぶし、溶き卵をからめて揚げる。この小麦粉→卵という順番が重要なのだそうだ。ふんわりとするとか。
 揚げかたは、テレビ「あるある大辞典」で有名になった二度揚げ。最初に強火で一分ほど揚げ、取り出して五分ほど置いておくと、外側は短時間の強熱で封じられ、肉汁は出ずに中にこもる。置いているうちに表面の熱がゆっくりと肉の内部まで浸透し、中まで火が通る。それから二度目は中火で三分ほど揚げ、表面をからっとさせる。

 同時につけダレの用意もしておく。水と酢と醤油と砂糖を鍋に入れ、ひと煮立ちさせて酢のきつさを和らげる。酢と醤油と砂糖の量はお好みで。砂糖を多くして甘めにしたほうが、料理の味のバランスがいいようだ。好きなら、煮立ったところにタマネギ、ネギ、ピーマン、ニンジンのせんぎりや唐辛子を放り込んでもいい。
 鶏肉を揚げたら、油を切って暖かいうちにこのつけダレにつけこむ。漬け込み時間は、一分、というサイトもあり、半時間、というサイトもあった。つけこむほど肉が甘酸っぱくなるらしい。私はコロモがぐにゃっとなるのを心配して、二〜三分で引き上げたが、もっと長い方がよかったようだ。

 揚げ鶏をつけダレから引き上げたら、タルタルソースをぶっかけて食べる。
 面倒ならマヨネーズで代用してもいいが、せっかくここまで作ったのだ、タルタルソースも作ってしまえ。
 ゆで卵、タマネギ、キュウリ、パセリ、ピクルスをみんな細かくみじん切りにし、マヨネーズであえる。ケチャップをちょっと混ぜるという人もあれば、辛子を入れる人もおり、最後にレモン汁を垂らすという人もいる。そのへんはまあ、好みでということで。
 ということでできたのが、この料理である。

チキン南蛮

 食べてみた感想はというと、いまいちでした。タルタルソースはおいしかったのだが、肝心の鶏肉が、なんかただの唐揚げみたい。これでは苦労した甲斐がない。最初だからしかたないとはいえ、もっと美味しくなるべきだったな。
 まず、タルタルソースの野菜の水切りが足らないのと、つけダレを引き上げたときのタレ切りが足らないために、料理が水っぽくなってしまった。タルタルソースの野菜は、ふきんでぎゅっと絞っておくべきだった。
 つけダレとタルタルの味も、もっと差をつけるべきだった。もひとつアクセントが足りないのだ。もっとつけダレを酸っぱく甘くして、タルタルはこってり濃厚に。つけダレに唐辛子も入れるべきだったかな。
 味にアクセントがつかなかったのは、つけこみ時間が短いのも原因かもしれない。つけダレの味が足らず、ただのトリカラマヨネーズ和えみたいになってしまったのだ。こんどは十分くらいはつけておこう。
 鶏肉の下味も、もっと塩胡椒を多くした方がよかったかも。


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