よくわからん魚を食らう

 帰り道にスーパーに寄ったら、鮮魚コーナーでなにやら特売をしていた。
 のぼりには「どれでも一匹百円!」とあり、かなり売れてしまったものの、いくらか売れ残っていた。
 小ぶりのタコ、ホタテ貝、ホヤ、アジ、サンマ等にまじって、そいつがいたのだ。
 全長三十センチほど。見た目は醜悪。平べったい体つきにぶよぶよした肉体。でろーんと飛び出た腹。そのくせ灰色と褐色でだんだらの皮膚は分厚く硬くでこぼこしており、ところどころ藻がこびりついている。でかい頭のてっぺんから、意地悪そうな眼が飛び出している。
 アンコウやオコゼと同類の根魚だとひと目でわかる風体である。

 ふと、これはいわゆるドンコではないかと思ってしまったのだ。
 ドンコという名前は方言だそうだ。正式名称はタラ目チゴダラ科のエゾイソアイナメ。中公文庫「奇食珍食」(小泉武夫)に出てくる。東北地方に棲息する、やはりぶよぶよした醜悪な根魚で、醜悪ではあるが味噌仕立ての鍋にするとたまらない美味しさなのだそうだ。白身の肉もいいが、肝がでかくてあん肝のごとき絶品の美味なのだとか。
 私の心の中で善の心と悪の心が闘いをはじめる。
(ほら、買っちゃえよ。安いじゃないか。ひょっとすると希有の珍味が、百円で食えるのだぞ)
(でも、ドンコかどうかもわからないのに。さばき方もわからないのに。どうやって調理していいかもわからないのに。危険すぎるよ)
(すごく美味いかもしれないんだぜ。このチャンスを逃すと後悔するぜ)
(でも、料理に失敗して無駄にするかも……)
(なに言ってんだよ。リスクは百円だ。うまくいって美味、最悪でも百円捨てるだけだ)
 ……ええ、善の心が勝ち、一尾買ってしまいました。

 帰宅してその魚をまな板の上に置き、とくと思案する。
 本当にこれはドンコなのだろうか。天下の珍味というような魚が百円でそこらのスーパーに売っているものだろうか。うかつに調理したら毒があったり寄生虫があったりするのではないだろうか。
 そこで魚類図鑑やらインターネットやらを駆使して調べました。どうやらこの魚、ギスカジカもしくはケムシカジカという名前らしい。やはり北の海に棲むカサゴ目カジカ科の魚。食べられるそうだ。ほっ。し、しかし、ケムシって……。
 新鮮なものは肝のともあえで刺身にするとたいへん美味しいらしいが、とうてい新鮮そうには見えないので、今回はご遠慮させていただく。とりあえず味噌汁や煮付けにするといいらしいので、予定通り味噌仕立ての鍋にしてみる。

 まずは下ごしらえ。とはいっても、さばき方をまったく知らないのだ。インターネットで検索してみてもよくわからないので、カサゴのさばき方に準じてみる。
 まずたわしで皮膚をこすり、付着した藻やらフジツボやらをこそげ落とす。
 それからヒレを切り取る。皮膚が硬くてそのくせぐんにゃりしており、おまけに骨が硬く包丁がなまくらなので作業は難航する。とりあえず、強引にぶち切る。骨が残っても知ったこっちゃない。
 さらにエラから強引に包丁を差し込み、頭部を切断。とげとげするエラを苦慮しながらちぎりとり、ざっと洗う。これで生首のできあがり。
 腹部にメスを入れると、大量の水とともに内臓が出てきた。オレンジ色の肝は、居酒屋のあん肝お一人様くらいの大きさ。崩れないように洗っておく。
 そこから身を三枚におろす。もっともぐにゃぐにゃな癖に強靱な皮やら小骨やら大骨やらがあって、とてもきれいにおろせるものではない。皮がおいしいそうなので、皮をむくわけにもいかない。とりあえず適当に三枚っぽくおろし、それを適当にぶつ切り。へたくそなおろしかたのためたっぷり身がついている背骨も強引にぶつ切り。

 さて、ようやく料理だ。鍋に水を張って昆布を投入。沸騰したら昆布を取りだし、ショウガの薄切りと魚の身を投入。生首も投入。
 沸騰した湯にぶちこんだとたん、生首はそれまで半眼だった目をかっと見開き、おまけにくわっと口を開けやがった。怖いよう、ひぃぃぃぃ。怨念の断末魔なのか、それとも抗議の叫びなのか? 
 死を賭けたプロテストを無視し、さらに白菜を投入。アクをすくいながら適当に煮込む。煮えてくると、ぷちぷちぷちと小さな油の玉がいっぱい浮かんできた。かなり脂っこい魚のようだ。
 いいかげんなところで味噌を投入。肝も投入。白菜の葉とネギも投入し、さらにしばらく煮込んで、できあがりとする。よくわからないんだもん。ま、とりあえず火の通りはじゅうぶんだろう。

 食ってみた。もっとブリ大根みたいな強烈な魚臭さがするかと思ったが、味噌仕立てのせいかショウガを入れたせいか、ほとんど臭みを感じない。その分、ダシもあまり出ていない感じがするのだが。ちょっと汁の量が多すぎたのかもしれない。
 大骨小骨がやたら多くて食べにくいが、魚肉は淡泊であっさりした、近縁のせいかカサゴによく似た味。
 皮の脂肪がべろべろとゼラチン状になって、これがなかなか美味い。しかし皮そのものは柔らかく煮えているのだが、さくさくというか、ざらざらというか、無数の微小な鱗片のようなものが舌にさわって気になる。皮のうまみをとるか、ざらざらの舌触りを嫌って皮を剥いでおくか、難しいところだ。
 なんといっても肝がうまい。たいして新鮮でもなさそうなのに、臭みがまるでない。豆腐のようなぷりぷりとした歯ごたえで、脂っこくもなく淡泊すぎもせず、苦みも渋味もなく、魚の旨みを凝縮したような味だけが伝わってくる。ううむ、これは絶品と形容してもあながち間違いではないかもしれない。
 百円なら、かなりお買い得だったんではないでしょうか。


 後記。カジカの類はすべて北国の魚で、どれもだいたい同じらしいです。新鮮なら刺身にして肝のともあえ、ちょっと古いならぶつ切りにして味噌汁、というのが定番だそうです。東北や北海道ではおいしい魚として親しまれていますが、関東ではグロテスクな外見もあって捨て値で売られることがあるそうです。知名度が上がれば、百円どころか千円で取り引きされてもおかしくない逸材だと言われているそうです。ケムシカジカは、やはり皮を剥いてぶつ切りにして味噌汁に入れるのが正解だとか。やはり肝がうまいという評判で、「海のフォアグラ」とも呼ばれているとか。しかし、アレだなあ。もし百円でまた出会えたなら、今度は十尾ほど買って肝だけ取り出して食ってみたいなあ。そんなことしたらバチが当たるだろうか。


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