イラクの人の願いを受け止める運動を
これ以上わたしたちが、加害者とならないために
おととい九日、イラクに自衛隊を派遣する国会承認案が、大きな疑問点を残したまま、与党の賛成多数で成立しました。憲法に違反するとの追及を、福田官房長官は、もう意味のない入り口論と一蹴しましたが、今日はその「入り口」がいかに間違っているかをお話したいと思います。
昨年三月十九日、ブッシュ政権が、発足当初からの目標だったイラクへの武力介入を行い、現在も占領を続けています。今年一月二三日、CIAのデビッド・ケイ氏が、攻撃の最大の名目であった大量破壊兵器の存在を明確に否定して辞任するに及んで、侵略の不当性が決定的になりました。八日には、ついにブッシュ大統領も、TVのインタビューで当時大量破壊兵器があるとした判断が誤りであったことを認めました。
実は、アメリカがイラクを攻撃する名目自体、何度も変わっているのです。
米国中枢同時多発テロ事件、いわゆるセプテンバーイレブン直後には、テロの首謀者はアルカイダであり、イラクがそれを支援しているとブッシュ大統領は言いました。しかし、フセイン政権は「イスラム原理主義」のアルカイダとは反目しており、ハイジャック犯にひとりのイラク人もいないことが明らかになりこの主張は成り立たなくなりました。
次に、二〇〇二年一月十九日の一般教書演説で、ブッシュ大統領はイラク、北朝鮮、イランを「悪の枢軸」という言葉を使って非難し、イラクが国連決議に反していまだに大量破壊兵器を所持しており、米国や世界の脅威になっていると、ひさびさに大量破壊兵器問題を中心にすえました。しかし、イラク側の協力により国連の査察団の調査は順調に進み、十二月十九日パウエル長官が安保理で行った独自調査報告もあまりに信憑性が低く、加盟国の支持を得ることができませんでした。
そして、二〇〇三年三月十七日、全米市民に向けたTVでの最後通告で、ブッシュ大統領は大量破壊兵器の証拠提示も投げ捨て、フセイン大統領のような独裁政権を倒してイラク国民を解放するのが世界に自由をひろげるアメリカの使命だ、とし、フセイン政権打倒を攻撃の理由に変えてしまいました。
わずか一年半の間にこれだけ大義名分が変わることは、この戦争が戦争そのものを目的として始められたものであることを示しています。
イラクは湾岸戦争で軍事的に敗北し、それまで進めていた核兵器開発施設はほとんど破壊されました。イランのイスラム革命の波及を恐れて、ブッシュ前大統領がCIA長官時代に大量の武器援助を行ったことにより肥大化した軍事力はもうありませんでした。
十年を超える経済制裁は、過酷なものでした。湾岸戦争後、アメリカ、イギリス、フランスが一方的に設定したイラク全土の三分の二を占める飛行禁止空域に、アメリカ軍の爆撃が繰り返されました。鉛筆一本から医薬品まで、武器に転用されるという理由で輸入を禁じられました。湾岸戦争前まで、中東屈指の教育水準を誇っていたイラクで、学校に行かない子どもが増えました。壊された校舎がそのままのところもたくさんありました。バグダッドの病院に溢れた病気の子どもたちは、有効な薬も与えられずあっけなく死んでいきます。二〇〇一年、国連は経済制裁によるイラクの死者数が一五〇万人に上ると報告しました。そのうち六〇万人以上が五歳以下の子どもです。経済制裁だから、平和的手段などということはありません。これは、人類史上最も残酷なジェノサイドに他ならないのです。
子どものガンが五倍、白血病と奇形出産が三倍、と劇的に増加しました。これは、湾岸戦争でアメリカ軍が使用した劣化ウラン弾の放射能によるものと見られています。
劣化ウランは、核爆弾や原発の主原料であるウラン二三五を濃縮する工程の残留物として生成されます。核兵器製造工程の廃棄物ですからコストも安く、鉛の七倍という超高密度であるため、弾丸として使えば貫通力が高い。さらに、自然発火性があり、高速で戦車に衝突すると、一瞬にして炎上して乗務員を黒焦げに焼き尽くすうえ、直径五ミクロン以下の細かい粒子となって大気中に拡散し、人の肺に吸入されます。そして、人の体内にとどまると、他の放射線よりも重いα粒子を放出しつづけるのです。日本平和委員会の推定によると、湾岸戦争では、広島に落とされた原爆の二万倍から三万倍の放射能原子がばらまかれたことになります。その半減期は約四十五億年であり、イラクや近隣諸国、アフガニスタンは、事実上永久に放射能の脅威にさらされることになるのです。被害は従軍した兵士にも及んでおり、今月イギリスの法廷は、湾岸戦争で劣化ウランに被爆した元兵士の補償を初めて認める判決を下しています。
重大なのは、日本政府が、イラクでの劣化ウランの使用も、劣化ウランの健康への被害も認めない姿勢をとり続けていることです。今年一月七日、国連環境計画はイラクの劣化ウラン汚染に関する報告書を公表し、戦争で深刻な環境破壊が起こっており、詳細な調査と医療支援が急務であると指摘しました。にもかかわらず、川口外務大臣は、その十日後の十七日、同志社大学で行った講演で、劣化ウランの健康被害は国際的に認知されていないとする、とんでもない虚偽答弁を行いました。これは、劣化ウランに関する被害について、日本が一切調査も支援もしないと公言したのも同然です。これでも「人道支援」と呼べるのでしょうか。
政府の無知も際立っています。劣化ウランの使用を認めないのと裏腹に、石破防衛庁長官は派遣される陸上自衛隊に放射線量計を携行させました。ところが、これはγ線を計測するもので、α線を主に放出する劣化ウランを検出することはできません。
経済制裁下の十年間を、イラクの人たちは、けなげに暮らしていました。私はイラクを訪れたことはありませんが、イラクを旅した人から聞くのは、イラクの人のたくましさ、文化の豊かさ、子どもの目の輝きです。フセイン政権は、間違いをたくさんおかしました。それを免罪することはできません。しかし、一方で、石油メジャーの言いなりだった石油を国有化して、その収入を、教育の普及、医療の無料化に使い、女性の社会進出に貢献した、という実績も公平に評価されなければなりません。
今日、この会場に展示したのは、アマチュア写真家佐藤好美さんが一昨年、攻撃が開始される前のバグダッドで撮影した子どもたちの写真です。どうか先入観なしで彼らと向き合っていただきたいと思います。そして、この目の大きな可愛らしい子どもたちの頭の上に、爆弾を落としたということを想像してください。私たちの手は汚れていないでしょうか。この子たちを殺したのは、私たちではないのでしょうか。
今回のイラク侵略開始前には、ベトナム戦争のときを上回る史上空前の反戦運動が、世界中でとりくまれました。昨年二月十五日の統一行動には、アメリカでも百万人が行動に参加しました。全米百六十二もの議会が攻撃反対の決議を採択しました。その中には、セプテンバーイレブンの直接の被害者ニューヨーク市も含まれています。イラク攻撃に反対することは、ひとりひとりの人間にとって、石油に依存した生活を見直すことを意味していました。当時、アフガニスタンでの戦闘は泥沼状態になっており、アメリカの圧倒的軍事力を持ってしてもテロの不安から解放されないことに、市民の間で疑問や不満が高まっていました。暴力は問題を解決できない。私たちの名前で人を殺すな。この願いは、イラク攻撃を止めるだけでなく、米国内のさまざまな差別を解決する運動とも合流して大きくなりました。
この盛り上がりは、決して偶発的に起こったものではありません。
カリフォルニア州選出のバーバラ・リー議員は、二〇〇一年九月十四日、米国下院で唯一アフガニスタンへの武力行使に反対し、当時裏切り者の中傷に苦しみましたが、昨年見事に再選を果たし、彼女の主張が今は広く支持されていることを示しました。彼女は、イラク攻撃の大統領委任決議はもちろん、九九年のコソボ空爆にも議会でただひとり反対を表明しています。私は、アメリカ最初の女性国会議員であり、二度の世界大戦に参戦反対の意志を貫いたジャネット・ランキンを思い起こしました。
大規模なアクションを世界に提案し続けているアメリカの市民団体ANSWERの代表のひとりであるラムゼイ・クラーク元司法長官は、湾岸戦争で多くの戦争犯罪を犯したブッシュ前大統領を裁いた民衆法廷の中心人物でした。彼が二〇〇二年九月二〇日国連安保理に提出した公開書簡は、十年以上イラクを調査し続けた人ならではの、説得力あるものでした。また、セプテンバーイレブン直後から、報復が答えではない、と命がけで訴えてきた市民がいました。テロの犠牲者遺族二十三人がつくった「ピースフル・トゥモロウズ」は、「犠牲者はどの国の人であっても苦しい」とアメリカ全土を旅して平和を訴えました。
そのほか、労働運動や、宗教者の運動などが、これまで連綿と力を蓄えてきたからこそ、爆発的な力を発揮できたのだと考えます。
さて、昨年二月、国連安保理では、査察継続を求める多くの国と、査察を打ち切って新決議を採択し武力行使に国連の承認を得ようとするアメリカ、イギリス等が厳しく対立していました。小泉首相は、アメリカの戦争に協力することが日米友好だと宣伝し、川口外務大臣を通じて、理事国に露骨な外圧をかけていました。しかし、アメリカや日本でも、市民に目を移せば、戦争を期待している人は少数でした。
そこで、私と東京の会社員の小栗さん、国立市議会議員の重松さんの三人が中心になって、日米の市民がどちらも共感できるアピールを作って、ブッシュ大統領と小泉首相に提出しようと思いたちました。多くの犠牲者が出る戦争を一緒にとめることこそが、ほんとうの日米友好であることを示したかったのです。幸運にも、バークレー市議会「平和と正義委員会」のメンバーで、二〇〇一年のアフガン空爆停止決議とりまとめに関わったスティーブ・フリードキンさんも協力してくれることになりました。二週間で、日本で二三五二人、米国で四六六人、合計二七九一人の賛同が集まり、ブッシュ大統領と小泉首相に提出しました。アピールは、「国際紛争や、世界的な経済の動向が、私たちの生活に直接影響をあたえる今、外交政策は、一部の政治家に占有されることなく、ひろく市民の要望に依拠して決定されるべき」であり、「武力行使は、どんな方法でも、罪のないイラク市民の犠牲を伴うだけでなく、米日を経済的に疲弊させ、米日市民を報復テロの危険にさらすことにな」ることを根拠として、武力行使の断念と、査察の継続を求めました。この文章は、今でも意味を失っていないと思います。
しかし、皮肉にも首相あてに提出を予定していた数時間前に、アメリカ軍とイギリス軍は攻撃に踏み切り、小泉首相は即座にそれを支持しました。内閣府への提出行動には、東京の小栗さんはじめ九名がかけつけ、署名と共に怒りの気持ちを担当者にぶつけました。私はその場にかけつけることができませんでしたが、「今日ほど日本人であったことが恥ずかしく思ったことはない。」と参加者のひとりが語っていたと聞きました。
アメリカ軍は、数日にしてイラクの反撃意欲を奪うことを狙って「驚愕と畏怖」と呼ばれる作戦を実行しました。これは、これまで人間が経験したことのない壮絶なものでした。攻撃初日、アメリカ軍は、イラク国内の標的めがけて 三百〜四百発の巡航ミサイルを打ち込みました。これは、湾岸戦争の全期間四十日間に投入された数を上回ります。二日目も同様でした。イラク市民に隠れる場所はなくなりました。しかも、巡航ミサイルの先端には、それが核弾頭か通常弾頭かを問わず、バランサーとして劣化ウランが搭載されています。
その他、郊外でも市街地でも、クラスター爆弾が使用されました。パレスチナやアフニスタンで、国際条約で使用を禁止する動きもあります。不発弾として地上に残ったクラスター爆弾を子どもが何か分からずに手に取ると、爆発し、中から小さな鋼球が猛烈な速度で飛び出し、骨も肉もペースト状にずたずたにして殺傷します。
その他、電子機器を使用不能にするE爆弾、地面深く侵入するバンカーバスター等、アフガニスタンでもそうであったように、イラクは最新兵器の実験場となりました。
圧倒的な攻撃の前で、イラク市民は、なすすべもなく殺されていきました。これだけの攻撃をされてもイラクが長距離ミサイルの一発も、化学兵器のひとつも反撃できなかった事実が、イラク脅威論の空しさを証明しています。
フセイン元大統領が拘束された後も、イラク国内の治安は回復していません。どこそこで爆弾攻撃があってアメリカ兵が何人死んだとか、市民が何人巻き添えになったとか、ニュースは伝えます。しかし、その背後に、アメリカ軍があえてカウントせず、新聞もいちいち報道しない膨大なイラク人の死があるのです。今も住む家を奪われ、アメリカ軍がばらまいた放射能に冒され、理不尽な任務にいらだつ兵士に撃たれた人たちで、病院はいっぱいです。これが、ブッシュ大統領が言う「イラク解放」の実態です。
イギリス、キール大学のスロボダ教授と、フリーランスで調査の仕事をしているダーダガン氏の二人が立ち上げたイラク・ボディ・カウントというグループは、この戦争による民間人死者の合計を毎日更新し続けています。今年一月十八日、イラク・ボディ・カウントの数字はとうとう一万人を突破してしまいました。
第一次世界大戦の死者のうち、民間人の割合は五%でした。これが第二次大戦では四八%になり、ベトナム戦争では九五%にまで上昇しました。今回の戦争の場合、現時点の私の試算では九九%を超えています。ブッシュ大統領は、精密誘導ミサイルなどにより犠牲を最小限に抑えたと言いますが、そんなことはあり得ません。巡航ミサイルの発射装置をご覧になったことがありますか?オレンジ色の、電気のサービスマンが持ち歩く工具箱のようなものです。それを操作する兵士の目には、スイッチの先で、のたうち死んでいく人の姿は映っていないのです。
戦勝国が占領軍として駐留する場合も、何をしても許されるわけではありません。ジュネーブ条約は、民間人の保護や治安の維持を占領軍の義務と規定しています。しかし、今年一月十二日、人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ラムズフェルド国防長官にあてた書簡で、米軍がイラク人の家屋少なくとも四軒を、軍事的必要性がないのに破壊したり、武装勢力の掃討という名目で一万人以上のイラク人を不当に拘束しているとして、ジュネーブ条約違反と告発しました。この根っこには、日本でも、とりわけ沖縄で米軍の身勝手な行動を許しているのと同じ地位協定があります。これがあるために、米軍がどんな犯罪を犯しても、被疑者の身柄引き渡しを要求することさえできません。
自衛隊は、国連の要請ではなく、こうした占領軍の指揮下に入り、その活動を補完するために派遣されるということを忘れてはいけません。占領軍もそれを明言しています。
サマワにはきれいな水がない、その支援に行く自衛隊に反対する人は、病気で死んでいく人がどうなってもいいのか、という評論家がいます。とんでもありません。浄水活動をするのは陸自派遣要員五五〇人中わずか三十人、残りのほとんどが後方支援です。一月二八日札幌地裁に派遣差し止め訴訟を起こした箕輪元郵政大臣も語っていましたが、人道支援に装甲車などの重装備が何でいるんですか。
サマワの人たちの熱狂的なる歓迎は、戦後復興を果たした日本の経験と科学技術を期待してのものであって、軍事力を期待しているわけではありません。むしろ軍隊が行くことで、今まで戦闘地域でなかった場所が戦闘地域となり、NGO職員もテロの標的とされ、支援活動をかえって妨げてしまいます。サマワで最も不足しているのは仕事です。自衛隊の前にサマワの統治を任されていたオランダ軍は、約束した雇用を創出できなかったために、急速に信頼を失っています。占領軍が撤退しイラクが主権を回復しない限り、失業問題は解決しないでしょう。
さらに、日本政府は一月十三日、サマワに派兵する陸上自衛隊員の法的地位について、自衛隊員がイラク国内で刑事、民事、行政などの事件にかかわった場合、米軍と同様のCPA命令十七号を適用し、イラクでは裁かれない特権を付与することで連合国暫定当局と合意しています。これほど、占領の本質を露にしたとりきめはないでしょう。
他国を侵略し占領する軍隊が右手で殴り、左手でアメを与えることはめずらしいことではありません。仮に、自衛隊の活動がアメを与えるだけだとしても、軍事占領の一環であることに変わりはないのです。
防衛庁は、一月九日、まだ自衛隊が現地で活動もしていない段階で、報道各社に対し自粛要請を行い、その後も幕僚長の記者会見廃止通告、現地でのテロの取材拒否など、高圧的な姿勢をとり続けています。しかし、政府がどんなに報道を規制しようと、サマワの人々が自衛隊派遣の本質に気づき、期待が失望と怒りに変わるのはそう遠くないと思います。
ところが、昨年まで派遣反対が大勢だった国内世論は、航空自衛隊の先遣隊が現地に到着した頃からじわじわ変化し、最近の調査では、賛成が反対を逆転してしまいました。
これまで、多くの人が派遣に反対した理由は、主に現地の危険性でした。イラク特措法第二項「基本原則」にも、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」において活動するとかいてあります。本来日本の防衛を志して入隊した隊員が、日本が攻撃されてもいないのに危険な戦地に向かわなければならない。事実上任務拒否の自由もありません。隊員やご家族の方のお気持ちはいかばかりかと思います。最初に陸上自衛隊本隊を派遣する北海道旭川では、無事の帰還を願う「黄色いハンカチ」運動が商工会議所等の呼びかけで取り組まれ、全国に波及しようとしています。でも、ちょっと待って下さい。無事に帰る、ということは危険なところに行くことが前提になります。これでは戦前の千人針と一緒で、隊員の命にも、イラクの復興にも何ら責任を負うものではありません。もっとも、危険にさらされるのは、自衛官だけではありません。これから、私たち日本人全体が、どこにいても報復テロに怯えて暮らさなければならないのです。
また、憲法に違反する、ということはもちろんそうなのですが、私たちは九条をお題目のようにかかげているだけでは不十分だと思います。特に私のような戦後世代にとって、憲法の平和主義が生まれた、掛け値なしの思いを実感するのは難しい。まして、小泉首相や石破防衛庁長官まで、憲法前文を恣意的に引用していますから、なぜ平和主義が生まれたか、それはどんな力があるのか、をひとりひとりが自分の言葉で語れなければ、説得力を持ちません。
そして、平和主義を真剣に受け止めたとき、イラクへの自衛隊派遣に反対する根拠は、無法な侵略行為に手を貸さない、私たちの名前で他国の人を殺させない、ということ以外にないのではないでしょうか。
では、自衛隊を派兵せず、私たちがイラクの人たちに対してできることはあるのでしょうか。
たとえば、将来にわたって深刻な問題となる劣化ウランについて、被爆国で様々な経験を積んだ日本だからできることがあるはずです。学校が修復されても、子ども達が大きくなるまで生きられないのでは意味がありません。
劣化ウラン研究会は、汚染地域の封鎖、被爆した戦車をビニルシートで覆う、住民特に子どもへの情報提供と指導の徹底、多くの人が集まる場所での汚染土壌の削除、など、自衛隊でなくても、事実を知る人なら可能な具体的協力方法を提案しています。もちろん、できることは、劣化ウランに関することにとどまるものではありません。
私達は、よき父、よき夫、よき息子というだけでは、侵略者に仕立てられない保証はありません。後で政府にだまされたと嘆いても、侵略に加担した国民の責任を免かれるわけではないのです。情緒的なファシズムの宣伝に流されず、自分を取り巻く世界の真実に肉薄する努力を続けてこそ、これ以上加害者となることを食い止められるのだと思います。
最後に、憲法九条に関する辛淑玉さんの言葉を引用して私の話を終わりたいと思います。二〇〇一年八月二二日、長崎市での講演で、「憲法九条が求めた人間とはどういう人なのか」ということに対し、ペルーの日本人大使公邸人質事件をとりあげて、彼女はこう語っています。
「本当に人質の命を守ったのは,国際赤十字のミニングさんです。
彼は、最初人質の中にいました。自ら手を挙げて『私が交渉します』と言いました。そして彼は,赤十字のゼッケン一枚つけて,権力側の銃口と、ゲリラ側の銃口の間にあって、臆することなく、いつも下をむいてバギーをがらがらがらと。威張ってないわけですよ。威張らなくて、そして、何回も何回も往復し、人質を励まし、食料を運び、宗教者を連れて行き、そして夢を語り希望を語り,自分は素手でずっと何回も何回も行き来していました。
国際社会が望んだ日本の姿は、そこにあると思います。日本人は、一度として憲法九条というゼッケンをつけて国際紛争の中に入ったことはありません。いつも腐った男のなれの果ての結果である暴力、武力、軍隊、こういったものを背中にしてきました。
一国平和主義ではいけない。確かにその通りです。かつて、自民党は社会党にそう言って、お前たちは一国平和主義だとなじりました。確かに憲法は一国平和主義ではありません。日本国憲法は、武力を放棄し、そして憲法九条のゼッケン一枚つけて国際紛争の中に入り、そしてこの精神を広めなさい、と言っているのです。」
(二〇〇四年二月十一日)
石丸注:この講演でとりあげた情報の信頼性、取り扱いについては、充分吟味したつもりですが、素人が限られた手段、時間でまとめたものですので、誤りや認識不足もあるかと思います。その点は、この戦争への加担をとめるという立場で忌憚なくご指摘いただければ幸いです。
最後に、この文章をまとめるにあたり、多くの方にご協力いただきました。むしろ、私はイラク現地で、あるいは全国で日々体をはって努力されているかたがたの成果をご紹介したに過ぎません。ありがとうございました。
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