共感する心

 イラクの人の命も,日本人の命も,その重さに変わりはない。阪神淡路大震災で家族を亡くした遺族の悲しみと,イラク戦争で家族を亡くした遺族の悲しみも,本質的には変わらない。イラク戦争の問題を議論するとき,私はいつもこのことを基本に据えなければならないと考えています。

 他人の痛みをわがこととして感じ共感する心を多くの人が持てば,決して戦争などできないはずです。

 北朝鮮の問題があるから,北朝鮮で何かあったときにはアメリカに助けてもらわなければならないから,アメリカには協力しなければならない,という人がいます。しかし私の考えでは、こうした考え方こそ,自分の国の平和のためには他国の平和を踏みにじってもかまわないという文字通りの「一国平和主義」に他なりません。
 日本人がこんな考え方で行動しながら,日本の平和に危機が訪れたとき,世界の人々に何を期待できるというのでしょうか。

 私は,富山の不二越での韓国人強制連行被害について損害賠償訴訟に取り組んでいます。この事件について知れば知るほど,かつて私たち日本人が,韓国・朝鮮の人々の苦しみを顧みることなく犯してしまった過ちの重さにやりきれない思いがします。
 こんな過ちを,もう2度と繰り返してはなりません。

 多くの市民は共感する心を持っています。阪神淡路大震災の被災者遺族に共感できる人は,その共感する心をもう少しだけ広げてもらえればいいのです。
 今回の私たちの運動が,そうした共感の心を広げる1つのきっかけになることを願ってやみません。

9回目の阪神淡路大震災の日を迎えて
島田 広 (弁護士)