彼氏彼女の事情
Act:10.0 「すべてこれから」

Author: 神木(version 0.9)

目次

話の感想として
  1. 時の流れの順に
    1.1 Opening.
    1.2 A part.
    1.3 B part.
    1.4 Ending.
  2. 雪野 vs 真秀 の筋
    2.1 真秀の戦術として
    2.2 集団の論理
    2.3 とりえというもの
  3. 雪野 vs 芝姫 の筋
    3.1 芝姫達という友人
  4. データシート
ある評論として ── リアリティということ ──
  1. 「いじめ」と「喧嘩」の対比
  2. 物語のありかたとしての「リアリティ」
  3. リファレンス


1. 時の流れの順に

1.1 Opening.

1.2 A part. 1.3 B part. 1.4 Ending.

2. 雪野 vs 真秀 の筋

この「いじめ」首謀者の真秀は実は大したことをしていない。 きっかけをつかむのは非常にうまかったのは確かだけど。 という「いじめ」構図がここにあるが、個人間の力量でいえば、 雪野が元気でいる間は真秀にはどうしようもなかったのだから、 基本的に雪野が圧倒的に上である。賛同する集団を背景として対抗しようという発想が 真秀にある訳だが、その集団を込みにしてさえ雪野の力のほうが上だ、というあたりが 「いじめ」として風変わりなものになっている。 雪野一人でクラスのポリティカルパワーの過半数を制した与党であり、要は「ボス」なのだ。

芝姫の筋が雪野のコンプレックスに対して透明な友人関係の成立を描いたものならば、 真秀の筋はコンプレックスそのものである。
雪野の視野には「いじめ」そのものはない。 コンプレックスの象徴として捉えられているにすぎない。 「いじめ」られている状況を、たかだか学力というとりえに代償させることで 場をごまかすことができているのは、状況の客観化ができているということでもある。 したがって、最初のうち問題のとっかかりを欠いていたのは 即ち問題の理解に踏み込めていないということも示している。

この文脈では真秀はコンプレックスそのものであり、 「どうしてあなたは他の子を味方につけて自分が優位にたとうとするの?」 という言葉はかつての自分に対する言葉であり、 コンプレックスへの訣別の言葉でもあるだろうと思う。 つまり、 「他の子を味方につけて自分が優位にたとうとする」ことに有意義な理屈が でてこないようならば、 それはすなわち今の雪野自身を肯定することにつながるから。

確かにこれは雪野にとって絶対に負ける訳にはいかない戦いになっていた。

2.1 真秀の戦術として

雪野のパワーが相対的に落ちた瞬間を狙って ボスの座を狙って内乱を起こした真秀の行動は普通なら正しい。
そしておそらくは雪野が孤立している間に例えば球技大会などがあって、 クラスが雪野を除いて団結することができ、そしてあるていどの結果を残すことができるなど 雪野を除いたクラス運営がうまくいったという風潮が生まれさえすれば 雪野の孤立は固定化したものになっただろう。
真秀が集団の頭を抑え続けている状態は事態として以前より不自然であるから、 雪野がとくに関わらなくても反動が必ずある。 ここに真秀はいかなる切札も持っていなかったという点で、 雪野が何もしなくても必ず崩壊することは始めから決められていた。

したがって真秀の戦術としては、 まず第一に状況が凍結される夏休みにその状態のまま逃げきることを考えるべきである。 理想的には終業式の 2-3 日まえからシカトが始まるようにできれば完璧だ.... ほんとか ^_^?

2.2 集団の論理

上に書いたように、ここまで無茶苦茶な論理というのは久しぶりにみた。 (真秀の)権力喪失過程を描くなら、いつのまにか失くなっていると表現すべきところであって、 間違っても「権力を奪取する」と宣言することで行なうところではない (それは正真正銘の権力闘争だって)。 シカト突入時のクラスの話合いもそうだったが、ものすごく粗雑な扱いを受けている。 そもそも突入時と終了時のロジックが対応していない、というあたりも物凄い。 なにをかいわんや、である ── つまり、利用されていたから、というならば 行なうべきは真秀への制裁であって、けっして雪野と和解することではない。 雪野を理不尽と思う事情は何も解決されていないんだから。

この集団の論理だとクラスメートが雪野にどう謝ったのかが面白い問題になる。

真秀に責任転嫁して謝った(ex. 「ごめん、真秀にだまされてた」)としよう。
この集団の論理でいけば非常に正直に謝ったことになる。 さて、ここで雪野が採れる行動は...? と思うと、これを認めると 雪野は真秀を許すことができなくなる。 一番の被害者である雪野が真秀を許すことは、 皆の真秀への責任転嫁を非難することにあたるから。

では、自分達の罪を認めて謝っただろうか?
どうして悪いと思ったのかを雪野が突っ込むとなかなか面白いことになるけど これはカドがたつ :-) からやらなかったとして、この場合、この後で真秀は孤立しない。 「真秀と私達のどっちも悪かった、お互い様」 ということだから、 少なくともかつての真秀のとりまきが復活することを止める世論は存在しない。 もしそういう世論があるならば、それは責任転嫁を示している。一種の欺瞞である。

単に「ごめんなさい」だけでは?
確かに雪野の意識では問題が解決さえすればどんな形でもいいとはいえ、 これは呆れるほど後のフォローが効かなくないか ...? この場合、真秀が孤立するのは八割がた雪野の責任だとおもう、というか、 雪野をボスとしてクラスメートが集団で鞍替えしたことにあたるから、 真秀の孤立解消は今はボスになった雪野の義務である。

2.3 とりえというもの

雪野のディフェンスの論理も先に一言触れた。 状況が悪い時の逃避先として定式化される話のはずだが 通常と違うのは「逃避先」がいじめる側への圧力となって映ることである。
これは「いじめ」を加速する側へ働くのが普通だと思うが、 その「逃避先」の価値を「いじめる側」が認めざるをえない、というあたりが 物語における駒の配置として完璧すぎてちといやらしい。 まあ、ここまでしないと初めて書く側としては描いていて不安ではあるだろうけど。

ところで、いじめ問題の最終的解決として、「とりえ」を持つべきだ ── という意見がでてきそうな話だが、これ自体は決して最終的解決になったりはしない。

とりえというのは、さまざまな評価法を座標軸にとった超空間における 評価値集合の convex hull であり、convex hull に触れている(frontier line) 評価値をもつ人だけがとりえをもつと解することができる。 当然のことながら集団の中ではとりえをもてるのは非常に少数である。

.... という文章が図なしで理解できるとはほとんど思わないが ^_^; たいしたコトは言ってない割に真面目に書くと長いから今は略す。

3. 雪野 vs 芝姫 の筋

真秀の筋との対比としておかれ、当然のことながら その喧嘩は非常に公明正大なものだった。 個人的には芝姫のような攻撃が いかなる問題のどのような解決につながるのか さっぱり分からないんだけど、本人のフラストレーションの解消くらいには なっているんだろうな。そこには何の意図もないから、 雪野にとっては煩わしいだけで脅威にはならない。余裕がある訳である。

3.1 芝姫達という友人

真秀の筋では雪野の見栄が最初のトリガーになったが、芝姫の筋では 見栄は何の役割も果たさない。
「顔で女を選ぶようなバカじゃあ、有馬がないからだよね」
「なに結論だしてんのよ、尋いてないわよ!」
と Act:9.0 で椿が語り、それに芝姫が答えているその答えからも、 1-A の雪野のクラスメート達と違い、有馬の判断が正しいとする価値観がここにはある。 雪野の見栄という殻は、それが破られる前の時点でさえ 彼女達にプラスに働いていない。

雪野の見栄がコンプレックスを抱くべきものであるかどうかに そもそも異論があると思うけどそれは脇に置いといて、 雪野の視点からみて今は見栄が雪野にコンプレックスとして負に働いている。

見栄を正として扱った有馬、負として扱った浅葉、真秀。 彼らは雪野のこのコンプレックスに対して発言権がない ── もうすこしきちんと言うと、 雪野は彼らに自分のコンプレックスの悩みを語ることができない。 それは雪野の見栄の有無に彼らの直接的な利害(彼らの雪野という人間に対する評価) が関わるからであり、 たとえどんなに彼らが誠心誠意をもったとしても雪野は その回答に彼らの利害を見出さざるをえない。

芝姫のグループが雪野にコンプレックスに透明であることは、 今の雪野が友人を得るための条件としてまず第一にくるはずのものであり、 芝姫達が自然に友人関係となったのは非常に素直な構図だと思う。

と同時に、雪野が芝姫達という友人を手にいれたことは、 『彼氏彼女の事情』の雪野の筋において、 当初から続いていた 雪野の「見栄」に関わる筋がついに主筋から外れたということでもある。

4. データシート

原作: 津田雅美 『彼氏彼女の事情』 白泉社
製作: ガイナックス
放送: テレビ東京 Dec. 4, 1998; 18:30 - 19:00.
CAST: 宮沢 雪野榎本 温子
井沢 真秀野田 順子
芝姫 つばさ新谷 真弓

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