かくしEVA についての雑記


本編の 24 話ないしその前後から話を続けるにあたって、
最初に問題になるのは、多分アスカの処遇だろう。

アスカをベッドに置いたままでは話を続け辛い。
さて、どうするか?

  諦めてベッドに置いておく。
  さっさと死んで頂く。
  いつのまにか復活している
  シンジの愛! の力で瞬時に復活して頂く。
  長いことかけてゆっくりとリハビリして頂く。
  補完されて頂く。

位がとりあえず、ありそうなバリエーション。
アニメ本編22話で、シンジはアスカに話しかけることができなかったのだから、
これより病状が悪化した段階でシンジが何らかの手立てによってアスカを治す、
というケースは、個人的にはあまり好きではない。
これは、
あのカヲルの事件でシンジに変化を認めない立場をとっているからで、
本編 24 話にてカヲルを殺した前後のシンジの変化の解釈から、

  「アスカをどうにかしなければ」

という使命もしくはそれに相当する動機が強くなったとする解釈を
採ってもかまわないのではあるけれど。

   ベッドに置いておく
   死んで頂く、

というのを別枠に置く ....
つまりアスカを話の中に参加してもらうのを前提とし、

  何時の間にか復活している、

という手抜きを除くと、事実上、

    ゆっくりとリハビリして頂く
か、
    神秘的な? 補完計画の力を借りる

位しか私には思いつかない。後者もやや逃げが入っている。
それにたいして、かくしEVA はリハビリケースを正面から描いた、
という点でまず驚異である。... 「好意にあたいするよ」とも言うかもしれない。

もっとも、さすがに 23 話までによってとりあえず言葉が喋れる段階まで
さっさと復活させてしまったのは、仕方ないことかもしれない。

23 話以降のアスカの状態が完全復活ではないこと... 
本来の性格からかなり歪んだままに留まっていること、
そしてその状態にほとんど変化がないことと、23 話までの変化の速さとの落差。
まだアスカは袋小路にはまったままということなのだろう。

停滞したアスカの精神。
それと対比されるレイの急激な、階段状の変化 ... 成長。
例えば、42 話付近のレイの、ほとんど別人にまでなった変化。

42 話を最初の事件として、これ以降もレイの変化は割に急激に起こる。
なんらかの概念の学習という形での変化。「嘘」にせよ、「疑い」にせよ。
ただし、まさにエデンの園の民の変化を見ているようではあるのだけれど、
人間、こうも突然深く「概念」を理解したりはしないものだと思うがどうだろうか?

たとえば 118 話。レイがシンジを疑ったのは、もちろん初めてだ。
しかし、それ以前にレイにとってより衝撃の少ない、
(シンジ以外の)他人を疑うという段階を経ていない。
はたして、こうも唐突に自分の存在にも関わるような心理変化が起きるのか?
精神的な、自己防衛がまったく起きなかったということ。
自分をも欺くような、そういう反応がまったくなかったこと、
実を言えばそのことが私には驚異だった。

何を言われるにしても、言われたこと自体は絶対に拒絶してこなかった、
レイの精神的な強さ、といった条件があってこその描写ではあるのだけれど。


一番最後に回されてしまった主人公シンジについて。

  「他人を好きになるということがどういうことか分かっていない」

というシンジの特徴を話の縦糸とし、
アスカ、レイのそら恐ろしいまでに単純な行動原理(シンジ最優先)を
横糸として話が出来上がっているのだけれど、

アスカ、レイのこの単純さの理由、由来といったものが話に描かれているのと
違い、シンジの反応の不思議さを担う、この縦糸の理由、由来
あるいはゲンドウとの葛藤の中身... といったものはまだ描かれていない。

私がシンジに共感できない理由が、ここに存在する。
シンジが(作者も言うように)病的であるかどうかを別にしても、
理由無き(ように見える、アスカ、レイに対する)傲慢さといったものを
支持することは難しい。
幸か不幸かシンジ一人称文であって、シンジの内心はかなりよく分かり、
この点を前提とする... 「愛を知らない」ことを当然とし、
自覚している傲慢さのほとんどをそこに由来させているにもかかわらず、
それをどうこうする気持ちがない... ということ。つまり、

  「いつか、.... となるのだろうか」

あるいは、

   「.... であってほしい」

というほとんど他人事のような態度は、まだ 14 才であること、
及びその家庭環境を考えても、かなり許しがたいように思う。
斜めに眺めれば、この父子けっこう似ていると言えないこともない。

さらに、多分、父子の対決が「かくし EVA」の
次のクライマックスとなるのだろうけれど、
歴史的経緯が明らかになっていないために、この点がどれほど根深いものなのか、
が読んでいる私に分からない。
この結果として対決に迫力が無くなるかもしれない、ということを私は今、
危惧している。

シンジ一人称文体にしてシンジに感情移入せずに読んでいるとすれば、
私がどうやって読んでいるかというと、「かくしEVA」はチルドレンへの
保護者視点から読むことがほとんどである。
シンジの傲慢さに眉を顰めつつ、レイの変化に驚きつつ、アスカの精神状態を
気にかけながら読んでいる。
他の人は子供達に感情移入して読んでいるのだろうか? そしてその場合には誰に?
特にシンジになって読んでいる人に尋ねてみたい。この傲慢さというものを
内心ではどう解決しているのか、ということを。


最後に。
この話はどのような結末を向かえるのだろうか?
最近、話の中に登場してきた補完計画やレイの正体はことによれば
最後まで明らかにならないかもしれないが、

  シンジ/アスカ/レイの三角関係の解消もしくは解決
  シンジ/ゲンドウの対決の後の、和解か決裂

は多分扱われるのだろう。

  アスカの精神的自立(完全復活)

が描かれるかどうか、という点については、
私はこのところ悲観的になりつつあるけれど、
あるといいなあ、という希望はまだ持っている。

現在のアスカの精神状態には、
たとえば

  あかほりさとる 「セイバーマリオネット」シリーズ

に通じる嫌悪感 ...

  人間関係において、こうも一方的な状況が安定状態であるということに対する非現実感

が浮かぶからであり、
だからこそアスカの状態を病的であると、私は思うのだけれど、
そしてこの状態からの回復があってこそ、ストーリィ全体が成り立つのではないか、
と考えているから。
これが治癒してこそ、シンジのほとんど唯一の美徳 ... 責任感の強さ、
といったものがむくわれるからでもある。

ところで、悲観的に傾いている理由は、あまりにアスカの回復が遅すぎる
からであり、23 話までの変化が速すぎると文句をつけた割には勝手なことを
言っているような気もするが、読者というのはそういうものである。mOm


多分かかれるであろう、三角関係の解決についてはレイの処遇が、父子対決に
ついてはシンジの葛藤の根幹をどう描くか... が問題になる。
シンジの葛藤については、適当に組み立てればいいとして、... とは言え案外
それらしくするのは結構むつかしいけれど、
本編系統のEVA はやはり、

  アスカの処遇の問題

にはじまって、

  レイの処遇の問題

で終るのかもしれない、と最近私は思うようになっている。
さて、どうなるのだろうか?

コメント。 天に唾する行為てんこもりで実に書き辛かった。 清書する気力も失せているので、かなり雑な文になってるのはごめんなさい。 しかし、なんだねぇ、公開するとなるとなんか中途半端な文になっちゃうなあ... 評論家の文章がつまんないわけだ。 なお、これと同文が「かくしEVA」の作者あてに送られています。 この文章気に入らんぞ、とかいう文句、感想は こちらへ。
[かくしEVA へ] [目次] [日誌]