Genesis y:0.1 ある、大学に於いて
"A game"


彼がバイエルン州立大学に入ったのは 2011 年、彼が 14 才の時のことである。

翌年。まさか彼よりもさらに幼い子供が入ってくるとは彼も予想もしなかった。
彼よりも下の年代はセカンドインパクトの影響をまともに受け、 本人の才覚にかかわらず英才教育を受ける機会はなかったはずであるから。
彼自身、家がスイスにあるのでなければ、 この年で大学にくることは難しかったろう。

名前だけは聞いていたその子供の姿は、 ほどなく幾つかの講座で見掛けることになった。
ともかく目立った。
その容姿のみならず、その態度によっても。

東洋人の血を引いて、その年齢にしても、 やや背が低かったというのもあるだろう。 どこからみても立派に子供だった。
それが第一印象だった。

一年遅れて入って来たその子供が、 なみいる教授連中を向こうにまわして無理矢理な論理で 喧嘩をふっかけている様子を感動の目で眺めた、
それが第二印象。

大学に入って一年。
その才覚の切れで知られはじめた彼についての噂をも凌ぐスピードで、 その子供の噂が大学を制した。

その小さい体一杯、どころか高所まで使っての傍若無人な発言態度は反感も買ったが、 それ以上に好意も生まれていた。
彼の見たところ、本人にはそれを受け取る余裕がなかったようだけれども。

そうこうするうちに彼女から話しかけてきた。彼もまた、目立っていたから。 いくつかの講義では事実上、彼の独擅場であり、 その一部に彼女が出席するようになってからのことである。


「そういうことは、事前にアドバイスしてくれ!」
「ディベートの時は皆が敵ですからねぇ」

アルはしれっと笑った。
端から見ている時はそれほどでなくても、 直に対決している時の彼女の迫力は予想外なものではあるらしい。
しかし冷静に対処し、彼女と互角以上の対決になる者もそれなりに居た訳で、 迫力がどうとかこうとか言うのは言い訳にもならない。 どこからどうみても、ただの油断以外の何者でもないと彼は思っていた。
はたから眺めていて面白いことに、 その互角以上を維持した者も攻守ところを変えての二度目の対決では まず叩き潰されている。
この手の、勝ち負けが良く見えるものには、 どうやら思いっきり力を入れているらしい。

「なんて分かりやすい子なんだ ‥‥」

彼はつぶやいた。
ただ、アルが一番好きなのもディベートだったから、 本気を出すことに興味のない彼にとって、 力一杯反撃してくる彼女は実はたいへん迷惑な存在だった。
グループの組合わせの関係で他の人より一回多く敵に回すことが決まった時は、 彼もつい天を仰いで嘆息した。

「そりゃ相手できるの僕しかいないけどさぁ ‥‥」

絶対これは教授の陰謀である、と彼は今も思っている。


「おや喧嘩? 暇そうでいいなあ ‥‥ って、
あれは」

アスカのお嬢さんが元気いっぱいに暴れている、ということであるらしい。 人の多い大学の中とはいえ、 メインストリートから少し脇に入った所のため、ギャラリーはいない。

「ま、いたら止める、か。一見、これだけ不公平だと」

一対三。一の方が彼女なので、弱い者苛めにしかみえないはずなのだが、 彼女の方がおしている。

「‥‥ ああいうのに喧嘩売っちゃいけないな」

拙いとはいえ軍の特殊訓練を受けた者の動き。
そんな彼女に、 あんたらがどうにかできるようなはずないでしょうに ‥‥
もっとも、そういうことが分かる人だ、 ということを振れ回るつもりはなかったから、口には出せない。

「おやおや」

当然とはいえ、一方的な終り方。彼は呆れた。
少し離れたところから声をかける。
近付いてからでは、多分いきなり蹴りの一つ位はとんで来るだろう。

「よ、アスカ」
「アル ‥‥ あんたもなの?」

疲れた声。顔を真っ青にしながらの半身の体勢とはいえ、
声に微かに失望が含まれていたのを嗅ぎとってアルは内心で笑った。
多少は信用されていたということになる。

周囲を見渡せば、気絶している者が 3 人。
砂利の上に一人。そして壁にもたれかかっている者二人。

「いいや。たまたま通りかかっただけだ。 後片付け位はやってやろうかと思って、終るのを待ってた」
「ということは ‥‥ 見物してた訳?」

手を降ろして緊張を解くアスカに彼は肩をすくめてみせた。

「助太刀したら怒るくせに。
それに、勝つのは分かりきってたし」

ざっと眺めた限りでは無傷。

「そりゃそうよ。このあたしに喧嘩で勝とうなんて、ど素人が 100 年早いわ」

つまり自分は素人ではない訳だ。公言していいのかとも思うが、 普通は単なる格闘技屋と思ってもらえるだろうか。

「じゃ、そのゴミの掃除はよろしくね」
「‥‥ はいはい」

後片付けを「手伝う」と言えば良かった、と思うが後の祭。
すでにその場から彼女の姿は消えている。
とりあえず気絶している一人を蹴飛ばす。

「おい。起きろ」

しゃがんで傷の様子を見る。
ちゃんと手加減してあるらしい。芸の細かさにアルは少し感心した。

「‥‥ あ、アル ‥‥ あれは、いったい何なんだ ‥‥」

良く見たら知った顔。

「バカだなあ。10 才で大学に入ってくるような天才だぜ?
1 年も居れば、暇で暇でしょうがなくなるだろうよ。大学なんてとこは。
格闘技の一つや二つ、暇潰しに覚えても結構な水準にあるだろう、 位の想像はしろよ」
「そうか ‥‥ そういうことか ‥‥
じゃ、もしかして、お前も、か?」
「そうだよ。俺はあの嬢ちゃんよりは強いよ。
あんまり人を見掛けで判断するもんじゃないと思うがね」
「わ、わかった ‥‥」
「残りの二人にもよく言っとけよな」

あまりのふがいなさについ地が出てしまったが、 のされて朦朧とした頭では覚えていられないだろう、と彼は気にしないことにした。

数日後。アルがアスカと事件後初めて顔をあわせた講座が終ったあとで、 アスカが昼食をおごる、と言うのを聞いて彼は目を丸くした。 後片付けの礼であるらしかった。


「よお、アル。卒業式の答辞、お前じゃないんだって?
あのガキに取られたそうだなぁ」
「そういう言い方は止めた方がいいですよ。
そのガキにいろんなことで負け続けた人を何人も僕は知ってますし。
あなたもその一人じゃなかったかな。たしかディベートで?」
「ふん。お前もきついねぇ。でもお前さんがあのガキをディベートで コテンパンにのした時は気分がすっとしたがね」
「彼女の論理、一応、正論ではあるんですけど、穴だらけですよ?
勢いに負けたあなた方がまずいんです。
それに僕とやりやったあの時は何か調子悪そうでしたしねぇ」

ふと振り返ると、異様に小さい黒衣正装がやってくるのが見える。

「‥‥ ほら、その当人がやってきましたよ。喧嘩ふっかけられたくなかったら、 黙っていなさい?」
「いや、いい。俺、あのガキは嫌いだ」

そそくさと立ち去るのを眺めていると、後ろから声がかかった。

「アル」

一番小さい黒衣をもってしてもなお、ぶかぶかなその格好を見て、 つい笑いそうになるのを彼はかろうじて堪えた。

「やあ。アスカ」
「これで借りは返したわよ」
「借り? そんなもんあったっけ?」

彼が首を捻っていると、アスカが説明した。

「あの時は風邪ひいてたんだもの。あんたなんかに負けるはずないわ」
「‥‥ もしかして、まだディベートで負けたことにこだわってたのかな?」
「これであたしが首席。いいわね?」
「いいけど? たかが首席の一つや二つ」
「‥‥ あたしはね、あんたのそういうところが大っ嫌いよ!」

首を傾げて微笑んだのも気に食わなかったらしい。

「僕はけっこう好きなんだけどね。自分のこの性格。
そうやって丸まって毛を逆だててるアスカちゃんも お気に入りなんだけど」

にっこり笑って答える。 内容はともかく、言い方に多少の問題があるかもしれない。

「あんたねぇ、ものには言い方ってもんがあるでしょうが」
「そうそう。ものには言い方というものがあるんです。
周りを見て下さい。ぼくらがこんな会話してるもんだから、
せっかく祝福されるべきこの日に、
皆から遠巻きにされてるじゃないですか?」

手をひろげて見せる。二人を中心として、半径 20m 程にはいつのまにやら誰も居ない。 周囲に視線を走らせていたアスカが低い声で断言した。

「‥‥ 責任の半分以上はあんたにあるわよ」
「そうですか? それは悲しいなあ。こんなに穏やかに話してるのに」
「あんた、一度自分の喋り方を録音して聞いてみた方がいいわよ。絶対 ‥‥」
「何度も聞いてるけどね。やはり、訓練になるし。
‥‥ ところで、ソーリューさん」
「な、何」

口調をごく真面目なものに切替えて、アスカが少しうろたえる様を眺めたあと、 おもむろに最敬礼。

「首席卒業、おめでとうございます」
「そ。分かればいいのよ。分かれば」

胸をはるアスカを眺めて、アルは見えないように苦笑した。
この大学では目の前にいる子供を除けば一番若い自分から見てもなお、 やっぱり子供にしかみえなかったから。
大学に 2 年居ただけでは、その子供っぽいところは直らなかったらしい。

「参考になりそうな奴も居なかったしなぁ ‥‥」

自分も棚に上げてつい同情するアルだった。

変わらなかったのはそれだけではない。
勝ち負けに拘る姿もまた、変わっていない。
負けることへの恐怖感が彼女を動かしていることを、 アルは見通していた。

「ふむ。だったら首席を取っとくべきだったか?」

自分との対決を除けば、 彼女の観点から言えば基本的にぜんぶ勝って来たことになるはずである。
そして彼との対決も首席卒業によって克服したことになるとすれば?

「克服できない負け方をしたときにどうなるかね」

いつもの癖でつい手を抜いた結果、首席を拐われていたのだが、 首席に座るための手間暇を思い返してみて、彼は首を振った。

「‥‥ ま、しょうがないか。めんどくさかったのも確かだ」


翌月。

「なんで、あんたがこんなところに居るの?」
「そりゃ、ここに就職したからだろうね。
そういうアスカのその格好は?」

赤いプラグスーツ。
アスカが一応自分の格好を確認するのをみて、アルは心の中で微笑んだ。
もちろん、ネルフに居る者がプラグスーツを知らないはずがない、 ということは二人とも知っている訳である。

「‥‥ あんた、知ってて言ってる?」

アスカがアルを睨んだが、彼も平然としていた。

「それはもちろん」
「あんた、‥‥ 本当に、それ直す気ないようね ‥‥」

すっかり力の抜けた声。

‥‥‥‥ 第三ブロックへ ‥‥‥‥

アスカ呼出しのアナウンスがかかる。アスカが天井に向かって怒鳴った。

「分かってるわよ! うるさいわね!」

走りかけて、彼に向きなおって一言。

「そうだ、アル! あんたの部所は?」
「諜報部 3 課。その先を右に入った所」

彼は静かに答えた。


さらに半年。

「アル! ‥‥ あれ?」

アルがドイツ支部に配属になった加持リョウジと、 自分の部屋で雑談していると、
今日のシンクロ実験を終えたアスカが飛び込んで来た。

二人ともがアスカの方を見る。
アル一人でない、客人がいるのを見てアスカも立ち止まった。

「ふむ。これが例の?」
「そうです。第二の適格者」

加持がアルに確認し、彼もごく静かに答えた。
二人を交互に眺めてからアスカもアルに尋ねた。

「アル。誰?」

彼も立ち上がって、お互いを紹介した。

「アスカ。こちら、加持 リョウジさん。今日からここの所属になる。
加持さん。こちら、惣流 アスカ ラングレーさん。
セカンドチルドレンだってのは、今、言いましたね」

この後すぐにセカンドチルドレンがアルから加持に乗り換えたというゴシップネタ がドイツ支部を走ったが、三人の反応もそれぞれだった。

「あんたバカ?」
「乗り換えられた? そうなるためには幾つかの前提が抜けてますよ。まず第一に ‥‥」
「そんな馬鹿なことがあるわけないだろ? お守り押し付けられただけだよ」


作者コメント。 y:1 より前の話だから、y:0.1 になってるけど実際は 16 話のための習作。 実に平板な話だ...
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