Genesis a:10 「電話」
"Elder friends"


『君達が誰かは知っている。ともかく適格者三名を早急にこちらに送り届けて欲しい』

電話が繋がらなかったことにして寝てしまおうか、と数秒ばかり日向マコトは思った。 第二東京から封鎖の手が伸びる前にと夜を徹して自転車とバイクと車を「徴用」し、 へとへとになりながら明け方に無人の松代にたどりついて約 8 時間。 本部の代替に松代を使うことはマニュアルにも書いてあるとはいっても、 ぱらぱらと集まった旧ネルフ本部の局員がようやく 30 名を越えるかどうか。 物理的な行動力は皆無に近い。

「うちではチルドレンは確保していません」

とりあえず事実だけを彼は告げた。 山一つ越えた向こうの第二東京を刺激しないよう、 松代実験場は活動を地下に限定し、地上はひっそりとしている。 ネルフ本部組織が機能を取り戻しつつあることはまだ誰も知らないはずなのに、 「君達が誰かは知っている」とはどういう意味か。 ネルフドイツ支部 ── ここもクラックを掛けて来たところだ ── から「松代」に電話が掛かって来ることをどう考えろというのか。 そもそもネルフ本部以外のネルフ組織が本部に好意的でありうるとは マコトはまったく想像していなかった。

ただ、電話の相手は彼の声を覚えている可能性がある。 以前この相手とは一度だけ話したことがあった。ネルフドイツ支部司令、J. H. デュナン。 エヴァ弐号機用の資材を回してもらう話を彼にとりつけたのは もう遥か昔のことのようだ。

『やめたまえ、時間の無駄だ。 知っていると言っただろう。名前を呼ばれなければ分からんのかね、君は。 二人の所在を押さえてあるのは知っているし、 三人目についても知っている。今から ‥‥ 12 時間だけ待つ。君は死にたいのか?』

直截的な物言いにマコトは思わず受話器を持ち直し、そこで首を傾げた。 苛立たし気な口調のわりに内容に固有名詞が出て来ないのは「慎重さ」だ。 盗聴されている可能性を考えてというのももちろんそうだろうとして、 自分達が弱者であるという認識があるということでもある。 勝ち組のはずのドイツの態度には見えない。

「それは脅迫にとってよろしいのでしょうか?」
『ほとんど確定した未来というやつだ。19 時間後に国連のラマンと交渉がある。 それまでに体勢が整っていなければ絞首台が君達や我々を迎えてくれるだろうよ』
「ええと ‥‥」

視線を宙にさまよわせる。 言って良いものかどうか。が、なるようになれだ、彼は意を決した。

「我々は『松代』ではありませんが」

舌打ちとため息が聞こえるかのような間が空く。 驚きも敵意もない。

『やはりマギを管理できる人間は居らんようだな。 そこが我々の支配下に入ってもう 20 時間が経つ。 知っていると言っただろう、この馬鹿者が。 我々は生き延びなければならないんだぞ』

彼は周りを見回した。20 時間前はまだ日本には誰もいなかった。 世界にもまだ誰もいなかったのではなかろうか。 次いで手元の端末に目を落とす。 つまり「これ」か ── 松代の中心、マギ-II『セフィロト』。
会話の内容を思い返しながら彼は尋いた。

「そちらの状況判断ですか? ここへの攻撃は本部への攻撃以上に問題になると思いますが、 他の支部との合意の上でしょうか?」
『中国は同意している。アメリカはまだだ。 というより、当面の問題がアメリカなんだが』

トクン。心臓が高鳴る。 アメリカ第一支部、マサチューセッツ州アーカムに置かれた最も親ゼーレ的な支部。 この言葉の意味するところはドイツ支部の造反だ。 20 時間前には動きだし、松代、北京のマギを支配下に置いてしまっているなら その覚悟はおそらくサードインパクト前に遡る。マコトは何故か清清しさを感じた。

彼の語る内容がどこまで事実かは留保するにしても もうひとつ分かることがある。当面ドイツ支部は「本部」の敵には回らない。 マコト達の居場所と活動を把握しているなら、すでに逮捕されていて不思議ではないのに、 自由にマギを使うことさえできる。 そして電話冒頭に告げられた依頼だか命令だかは 「本部」を味方と見なしていることの現われだ。 「支部」が「本部」に命令口調なのは今の力関係としてはやむを得ないだろう。

「分かりました。それで本題に戻りますが、 絞首台というのは昨日の件でですね ──」

ふと言葉を切る。マコトの頭の中で話が一本の筋にまとまった。 サードインパクト阻止を名目として軍が動いたところでサードインパクトが 起きてしまったのだから、ネルフの罪はいっとう重くなっている。 支部のマギによる本部への攻撃は秘密裡に行なわれたはずだから 世界は本部と支部を同列に扱うだろう。チルドレンを要求する意図もわかりやすそうだ。

「ええと、それでチルドレンを国連との取り引き材料に使おうと、 スケープゴートにしようと、そういうことですか?」
『君は馬鹿なのか?』

僅かに混じった彼の非難に呆れた声が返った。

『もちろんそれで事が済むなら喜んでそうするが。 実行犯が実際にチルドレンであれ、子供を数人切り捨てたところで ネルフの非難がおさまるものか』

忙しく頭を働かせる。ならばチルドレン確保の意味はエヴァの起動以外にないか? 世界のマギをほぼ掌中におさめ、エヴァを使えるようにする。 ドイツ支部は本部を除けば 唯一、自力でエヴァを運営した経歴をもつ。 状況を整理して背筋が凍る思いがあるものの デュナンとはそういう人物ではないという感触もある。 まだエヴァンゲリオンを保持しているのか、と尋ねようとして彼は思い留まった。 答えるはずがない。

「三人とおっしゃいましたか」
『そうだ』

マコトは眼鏡を外して目頭を押さえた。 二人は筑波中央研から連絡のあった碇シンジと惣流アスカのこととして、 三人目は、もちろん綾波レイのことではないだろう。 北海道に疎開し、今は旧東京に戻って来ている鈴原トウジ。

「三人とも所在は確認してあります。 一人については現状で監視中、 二人のほうは敵対勢力に確保された状態にあるのですぐには無理だと思いますが」

24 時間監視がつくとは病院から疎開させる時に通告した筈だ。 規則ではそうなっているが、 多忙を極めた混乱期にマニュアル通りになされたかどうかまではマコトは確認していない。 しかし事実として彼は今も 24 時間監視下にあり、 爆心地から離れていたこともあって監視体勢は崩れておらず、定時連絡は続いている。 ここ、つまりセフィロト宛てに。なるほど情報が見事に筒抜けになっている。

ディスプレイに中央研のプロフィールを呼び出す。 二人を保護しているのは重科学共同体の筑波中央研究所、生物工学兵器開発局。 総責任者は時田シロウ、かつて急先鋒の反ネルフ論者として知られた男で 日本政府との繋がりも深い。 そんな彼がどういう思惑で二人を確保したのか、しかもそれをどうやって松代に伝えて来たか、 その意図はマコトには分からない。数多い不確定要素の一つである。 マコトの不安をよそに冷やかな声が返った。

『その場合には君達の先がないだけだな』
「二つ質問があります」
『何かね?』
「チルドレンを確保して何をしようとしてらっしゃいますか?」
『交渉を前にして電話で言えるはずがなかろうが ‥‥ ああ、何を心配しているのかは分かる。 それは交渉のカードの一つではあるな。少なくともラマンはそう思っているだろう。 そう ‥‥ そのためというのもファクターとしてはある。
だが、周囲の全てを敵に回しつづけたままでこれから先を生き続けることはできない。 ゼーレがばらまいた文書のおかげで君達を含めて我々ネルフは孤立している。 その解消が最優先だ。それを忘れるつもりは私にはない』

その言葉は不思議とマコトの身体に浸透した。 感情を消し去った高圧的な物言いに何か違うところはなく口先だけの言葉にみえて 浮かび上がってきたのは彼の本音だ。 恐ろしく打つ手が早いが、本質的なところはマコト達とそれほど変わりがないらしい。 彼の全身から緊張が抜けた。ドイツ支部はある意味で「先達」なのだ。

ネルフがどういう組織だったのか、 松代で身を寄せ合っている誰もがまだ心の整理がついていない。 常に足元から崩れ落ちる不安と戦いながら ちりぢりになっている関係者と横の連絡をとろうと努力している。
ゼーレの宣伝のいうように真実サードインパクトを起こすための組織だったのかどうかは もう永遠に分からないだろう。 今回の爆発事件に関しては被害者だし、今までの使徒を封じてきたのも事実。 たとえネルフが悪魔の使者であったとしても、後者の事実だけは主張し納得させねばならない。 松代を確保したのはそういう意味だ。

ほぼ同じ心理的立場に置かれながら、 自分達が何をしているのかを理解消化し、 素早く着実に行動している人達が電話の向こうに居る。 マコトにはこれはとても大切なことのように思えた。受話器を握る手に力がこもる。

「物理的に確保できるかどうかはともかく、 12 時間で三人の目処は立つでしょう。10 時間後に御連絡します」

ただ筑波が面倒みてくれるならそういう選択肢もある。マコトは思った。 ここに呼び寄せ、保護するのもドイツの干渉を招き一長一短だ。 いずれにせよ三人の所在は明らかにせねばならず、 それはもちろん彼等の安全を確保してからだから、 彼等の安全は近いうちに必ず確保される。 松代の活動がベルリンに筒抜けになっている以上、 セフィロトを奪回するか松代以外のベースを確保するまでは 三人を呼び寄せることは政略的に気が乗らない。

「しかしですね、チルドレン確保を急ぐことはそれ自体が国連の印象を悪くしませんか? エヴァンゲリオンがあるのではないか、という疑いはあるでしょうし」
『補完委員会の命令によって全てのエヴァンゲリオンは第三新東京市の制圧に使われ、 全機を消耗した。故に我々の手もとにエヴァンゲリオンはない』
「‥‥ それで通すおつもりですか」
『冗談だ』

余計なお世話だ、干渉するなということか。

『ところで、君は三人の安全を保証するか? 三人が間に合わないオプションについてなのだが』
「ええと」
『ラマンとのテーブルはヨーロッパに置かれたが、いずれ彼は第二東京に戻る。 連中と、国際世論の圧力もある。君達にそれだけの体力が残っているか?』

セフィロト経由で計算は出来上がってるんだろうが、と思いつつ彼は正直に答えた。

「我々ネルフはチルドレンに負荷を掛けすぎました。 司令がご存じでらっしゃる一人も存命なのが不思議なくらいです。 松代の全精力を掛けてそれくらいはしてやってもよいと僕は思っています」
『やってみたまえ』

マコトは受話器を見返した。揶揄の響きどころか、称賛のニュアンスがある。

『もちろん、その発想は政治的な視野を狭めるものだし、 それが守れなくなってきた時こそが君の真価が問われる時でもある。 また、犯罪者をかくまっている集団だと言われ続けるだろう。 チルドレンを内に抱えている限り君に眠れる日はないだろう。 考え無しに宣言した言葉が実はどれほど重いか、嫌というほど思い知らされるだろう。 しかし、どうやらネルフ日本の舵取りを行なう最低限の資格はあるようだ。 ネルフの未来にとって喜ばしいことだな』
「‥‥ ありがとうございます」

としか答えようがない。

『10 時間後の吉報を待っているぞ』

遠くに笑い声を残しつつ電話は切れた。 つまりは本部の残存勢力がベルリンからみて役に立つかどうかを調べる電話でもあったのか。 ことによるとチルドレンの移送も二の次の話かもしれない。 最後の挨拶からみて松代ごと売り飛ばされることにはならなくなったらしい。

「つ、疲れた ‥‥」

彼は何時の間にか汗でべっとりとした手で受話器を戻し、キーボードの上につっぷした。
1 万キロの彼方の友人は機敏で傲岸で計算高い。ただ、温かくもある。 内容的には教わったことのほうが多かった。

「シゲルぅ、マヤちゃん、葛城さん、副司令、みんなどこいっちゃったんだろう ‥‥」

今日これで十何度目かになる嘆息を漏らしつつ、 山のように積み上がっている仕事のリストに彼はもう一つ付け加えた。 ドイツとの間にもうすこしまともな秘話回線を確保すること ──


予告
ネルフドイツ支部がゼーレに反旗を翻したのは
サードインパクトに遡ることわずか 10 分前のこと。
それは彼等にとって理の必然だった。唯一の道だったのだ。