Genesis a:9 「プライド」
"MOTIVATION"


── その噂を耳にした時、首を傾げた。暫くして事実らしいと知った時、目を瞠った。
ひとつ、しておくことが増えたらしい。


妙にけだるさが身体に残っている。 身体を横たえているベッドのスプリングは固く、あまり寝心地はよくない。 自分が何故ここに寝ているのか、思いおこそうとしてもよく思い出せない。 直前まで異常に緊張していたはずのことと、 いまの状況のギャップに何時か感じたエアポケットのような気分を時田シロウは思う。

「あれは ‥‥」

そう、なんだったか。枕の固さを改善させることを何かに誓いつつ、 白い天井の模様を眺めて彼は二、三度まばたきした。

「時田さん ‥‥?」

そっとベッド脇のカーテンの隙間から部下の山崎が顔を覗かせていた。 山崎は時田が目を覚ましているのをみて、カーテンを大きく開ける。

「だいじょうぶですか、時田さん」
「ああ、‥‥ だいじょうぶだと思う。頭も打ってない。
‥‥ で、ええと、なんだったっけ」

ベッドに腰かけなおし、背広を受け取ったところで彼は尋ねた。

「やだなあ、やっぱりどこかぶつけたんじゃないですか?
‥‥ 映像、とれてますよ」

苦笑しながらそっと告げられた最後の一言に時田の目も一気に覚める。 声を上げようとしてかろうじて息を止め、声を顰めて、

「やっぱり第三東京?」
「ええ。浜松に連絡とれました。向こうからは東北東だそうです。
それで、うちに出ばってきてる学生連中がさきほどヘリ飛ばしました。 もちろん戦自は富士のが現地にいるはずですけど ‥‥」
「うん、駄目だろうな。そうすると次に近いのは、百里?」
「百里はダメです。返事もありません。どうせうちのが早そうですしいいんですけど。 それと、衛星からの絵もとれません。 あれの余波くらったか何かでぜんぜんコマンドを受け付けません。 ビーコンは出てるんですが ‥‥。 でも腰抜かさないで下さいよ ‥‥ 地震研の感触なんですが、 やはり新横須賀のあたりで巨大な質量欠損の疑いがあるそうです」

一瞬、反応が遅れた。 もちろん機械畑の時田にもその物理学的表現が理解できないことはない。 昨日(か?)ビデオを回しながら眺めていた光景を思い起こし、眉をひそめた。

「そんなに酷いのか?」
「何かの計算違いじゃないかって。大騒ぎです。 もうすぐ速報が出ると思いますが、止めさせますか?」
「第二東京が言ってくるだろ。絵は向こうに回したのか?」
「いえ、時田さんしかパスワードもってませんから、お願いします」
「あ? 隣の藤田君は?」
「まだ行方不明です」
「そうか。分かった」

うなずきながら彼は立ち上がった。 自分達の眼で見に行く人間の多い、 ここ筑波では情報は抑えられまい、それは第二東京も分かっているだろう。 第一、彼自身からして本来は今回の事件にタッチすべき位置には居ない。 たまたまネルフとも戦自とも近いところにあればこそ、 ビデオを回していたのは単なる予感である。

「うちの所内はどうなった?」
「飼育室のほうでマウス、ラットの 1 割がダメになった他は大きな問題はないようです」
「マウスをスリープモードに固定は出来ないからな。 例の精神汚染とかいう可能性は?」
「マウスがですか? いえ、単に栄養バランスが崩れて実験が継続できなくなったと メールにはあっただけで、詳しいことは特に」

当事者の戦略自衛隊、国連軍、それに政府、ネルフそのものを除けば 予期していた分だけ筑波中央研の動きは早い。 同等以上の機動力をもつのはここ以外では 近所にある戦自の百里基地、爆心地の向こう側にある浜松戦略研、北の松本駐屯地、 ヘリを常駐させている新聞社 ‥‥ 周辺地図を思い浮かべながら数えあげ、 ネルフ松代実験場も意外に近いことに気付いて彼は戦慄した。 松代に航空機があるのかどうか確信はなかったが、輸送機くらいはあるだろう。 もっとも基地としての能力を残しているかどうかは疑問だし、第二東京の防空網も間に挟まっている。 まず問題あるまいと彼は思った。 いちおう後で第二東京に注意を促すべく頭の隅にファイルしておく。


── 敢えて言えば、これは私的な拘りにすぎない。 彼の作品を止めた連中がたかだか在来兵器を操る軍に制圧されるなどとは、 兵器開発を指揮する者として彼のプライドが許さない。
もちろん「あれ」がなんだったのかは彼の理解の範疇を越える。 しかしそれとは別に、爆心地には彼が理解できるはずのものが何か残っているべきであり、 残っているはずなのだ。彼の何かを納得させるはずのものが。


時田が山崎に案内されてたどり着いた部屋では、 部屋の中央にごちゃごちゃ引き回された細いケーブルの山の上に鎮座するディスプレイが すでにヘリからの映像を映し出していた。 ヘリは比較的大きな河川を越えるところで、 部屋でディスプレイを凝視していた一人に「荒川を越えるところです」と耳打ちされ、 彼は頷く。

適当な椅子を引き寄せ、彼も食い入るように情景を見つめた。 特に大した観察眼をもたずとも、状況は旧東京にたどりつく前には見て取れる。 茶色に濁った朝日に弱々しく照らされる西方にはあるべき山々がない。 富士山、そしてその手前の丹沢山塊。
心の準備に忙しく、ヘリから足下を観望する者は居なかったが 詳細に観察してみれば爆弾の破裂による被害とは異なる様子にも気付いたに違いない。 熱線による融解の跡は皆無に近く、それは筑波から遠望した映像を裏付けている。

ヘリで現地に向かう者、中継映像を受ける者、傍受する者、 彼ら全てを沈黙させるにそれは十分に虚無だった。

「ううむ ‥‥」

予定調和を乱す事件とはかくあるか ── その虚無が次第にディスプレイを占領するようになって時田はうなった。 政府も予想もしていなかったに違いない。 旧東京から神奈川に移り、 まだいくばくも踏み込んでないのに眼下には荒涼たる赤土が姿を見せはじめている。 確かに「サードインパクト」とやらよりは被害は桁外れに小さいかもしれないが、 第三新東京市をはじめとして 大和市、新横須賀市など 10 以上の市が地上から文字通り消滅し、 被害の絶対額そのものは国を揺るがす規模で、 この分では負傷者が少ないことが唯一の救いともいえる事態になりそうだ。 特務機関ネルフの「仕事」なら、金をだすのは日本とは限らなかったが、 ネルフはもう存在しない。国連が金を出し渋ることは容易に想像がつく。

「ひどい ‥‥」
「なにをどうしろってんだ ‥‥ こんなの ‥‥」

部屋の誰かが吐息とともに漏らす。

「ここまでいったら救助もなにもないから、まあ ‥‥」
「そうだけどよ ‥‥」

その時「人が居ます!」という驚きの声がスピーカーから飛び出した。


映像の遥か向こうの小さいシルエットだけでそれが誰かを真っ先に知った時田は、 すぐさま二人の救助を提案した。提案は容易に受け入れられ、 その場にへたって動けないらしい二人をヘリは回収することになる。

「あれって、もしかして?」

旧東京の JA のデモンストレーションの場についてきていた山崎が彼に尋ねた。 山崎も彼同様チルドレンとの直接の面識はないはずだが、重科学共同体の研究員としては やはり心安らかではいられなかったのだろう、 ネルフの人員構成に多少の知識があることを時田は知っている。彼は小さく頷いた。

「たぶん。そうだと思うが」

戦自の対ネルフ掃討命令が出ている範囲について彼は記憶を堀り起こしながら ディスプレイを見つめた。 その姿形が大きくなるにつれ、 片方の風変わりなパイロットスーツの様子も見て取れるようになり、 部屋の中でも気付く者が出始める。

「あれ、あの格好 ‥‥ 片方はエヴァンゲリオンのパイロット、という奴か?」
「子供が乗ってるって本当だったんだ ‥‥」
「もう一人はなんだ? なんで中学生があんなところに。 あれもパイロットだったり?」
「奇襲だったからな。スーツくらい大目にみてやれよ。それともバックアップかな?」
「ところで拾いあげていいのか? 戦自の制圧戦は ‥‥」

時田は釘を刺しておく必要を感じ、部屋の全員に通る声で話しかけた。

「まあ、見捨てる訳にもいかないだろう? 人命救助としては問題ないんじゃないか? 引き渡せと言ってくれば引き渡してもいいし。どうだろう?」
「誰が面倒みるんですか? なんだか怪我してるみたいですよ」

確かに女性のほうは包帯を巻いているらしい。

「そこの病院に放り込んどけば? 助けるまではともかく、 監視てなきゃいけない義理が戦自にあるわけでなし」
「戦自には私から連絡いれておくよ」

時田は最後に簡単にまとめた。


もちろんそれは当然だ ── 彼は得心する。 あの爆発で生き延びたのがエヴァンゲリオンパイロットであったことは。 メルトダウン間近の JA に平然と近付き、 中に人を送りこむことができるだけのハードウエア。 半径数十キロを越す領域のありとあらゆる兵器が崩壊消滅する中で、なお搭乗者を護る。 彼が敵に回したのは、そういう兵器であるはずなのだ。 そうでなければ、つまらないではないか?


予告
一人の技術者のこだわりがパワーゲームをごく僅か揺り動かした。
それは小さいながらも政治的空隙を生み出し、
ひいてはネルフ新地位協定に多大な影響を与えることになる。

次回、「ネルフ新地位交渉」