だが、描くほうの人間が、現状をほほえましく描くつもりでいるのか、 あるいは病的な状態であると認識して描くのか、によってすこしこちらの物の見方が変わる。 あまりよい状態ではないにせよ、10 話の直後として一休み入れるのはそんなに悪いことでもないから、 忘れろと言われれば忘れていることはできる。
それと、もう一点。つばさの正常化にむけて、つばさはもちろんのこと、もはやヒカルも動けない。 11 話開始時点では恢復する方法がない。... と思う。 故に、11 話中にその契機となるイベントが欲しいが、それがどういう形をとってくるのか ──
てあたりが、基本的に鑑賞点。
「いっしょに滑べろうよ」つばさをヒカルからひっぺがすのは翔くらいにしか出来ねぇだろ。健太にもまだ無理だ ... つうか、近い将来も無理だと思うんだが、 つばさからヒカルをひっぺがすのはそーいやーヒカルの協力があればなんとかなるかもしれんな。 目的のためには向きはどちらでもいい。
その役を青山に振るのはちと ... いやかなり腹立つが、このさい青山でもいいや。 即決で断られてたけど(笑)。
てーか、健太による救出とヒカルの礼へ流れ、あんたらほんとに小学生か ...?
この問題を現実のものとして考えるとしたら 日比野先生の介入が個人的に第一希望で、そのくらいのことはできる先生だと見ているが、 そこまで先生の力を強めるのは物語的に色々マズいかね。
児童の一人が亡くなったんだから、教室内のパワーバランスがどう変化するかくらいは注意して見てると思う。 萩原健太に魔法使い役を振ったよーな先生だし。
しかし、地元民が地元で観光してんなよ ...
「つばさちゃん、真似ばっかし」そらヒカルも気付くくらいはするだろう。手が出ないだけで。
ヒカルがふらついて倒れた時、つばさも父親も見てなかった。
てことは、これかなり重い病気 ... やな。
むぅ、つばさ正常化へのイベントとしては確かにこれでもいいのだが、...
できれば誰かの意志であって欲しかったなぁ。
たとえばヒカルのベッドん中にモソモソと潜り込みにいくシーンが #2 や #3 にあったんなら なにごともなく「あ、かわいいな」と思ってりゃすんだ話。
ヒカルへの依存がネガティブに働く(つばさが不安に思う)シーンの描写に徹してきたので 描いてる側に病的だという意識があり、それが観てる側にも伝わる。 潜りこむシーンも 10 話のあとにおけば意味がまったく違ってくるやんか。
11 話前半で振って来たネタの意味するところくらいわかるけどさ、 あの 10 話の直後ってのに、半話くらい休み入れてくれよ ... AT-X 組は #10 〜 #11 の間に 1 ヵ月という時間があったんだろーが、 TV東京組は 1 週間しか空いてないんだってばさ (泣)