前半のつばさの悲しみ、後半のヒカルの痛み。 つばさ自立の最大の好機を逸したのは ── 仕方なかったかもしれない。 どちらの罪とすることもできない。... てーか、あのアホ親父の責任としたい気分なのだが、 それはともかくとしても、二人のために惜しいと思う以上の感情が、胸にある。
翔に関係するすべての人のために、そのことを惜しむものである。
「今のつばさちゃんで、いいと思うよ」どちらかっつーと #9 の感想んとこに置くべきことだが、 #9 について書いてないしってことでここに。
もしかしなくても今まで誰にもそう言ってもらえたことがないのだろうと思える。 現状肯定は基本中の基本だが、 1 話の時点で自分に母親の死の責任の一端があると思っているようではつばさが自分自身を肯定してたはずがないし、 父親もけっこうナンだし、ヒカルからはこういうことは言えない。 ヒカルは 1 話の時点でのつばさの現状を否定するところから始めざるをえなかったから。
たしかに翔の立場からなら言える。でも、翔がつばさに対してこう言えるのは、ヒカルが居るからだ。
つばさの内圧 (次の一歩を踏み出そうとする力) は恐ろしく弱く、 つばさに最初に関わったヒカルの立場からは、つばさを揺さぶるしかなかった。 いまでもヒカルは基本的にはつばさの現状を否定する立場をとりつづける (今話ですら「つばさちゃんは現状でいい」とは一言も言ってない)。 その圧力によって、ようやくつばさは歩める。
ヒカルの欠けていた状況で翔につばさの現状を肯定できたか? それは出来なかったのではないか。実際、1 話の時点で翔はつばさを庇護しなかった。 翔が肯定するのは、今の「歩いて」いるつばさだ。
ヒカルからの圧力に耐えかねて音を上げているつばさを休ませる意味はある。 ヒカルから自立をうながす意味もある。 だが、現状で本当に固定してしまうことを翔も期待はしないだろう ──
「いつもそればっかり。私がどんなに辛くても、いつもがんばれって、そればっかり」疲労困憊して倒れたつばさをけり飛ばして叩き起こすような真似は、ヒカルもしたくはなかったかもしれないが。
だが、たとえばつばさは泣くまでにすら 3 週間かかった。 葬式の夜くらいに泣いてるが、こっちの泣き方は何の役にもたたんのでどーでもいい。 10 才の 3 週間というのは長い。生涯の 3 / (52 x 10) = 0.5% にものぼる (つばさの内圧はそれほど弱いっつうことでもある)。 この長さは、ヒカルも不安になるに十分だ。
その結果として、 上記のつばさのセリフに繋がること自体は、ほんとうは誰にとっても問題にするほどのことはなかった。 いずれにせよ何時かは つばさはヒカルから自立しなければならず、それはヒカルへの反発という形をとるだろうから。 上のセリフは、その一形式にすぎない。
つーかだな、こういう形式を通じて ヒカルへの反発を表現するところからはじまって自立へつなぐ綺麗な筋道があったはずなんだよな。 ヒカルからの圧力が大きくなっていてもさほど心配していなかったのは、この筋道が未来に見えていたからだ。 だから、ここまではいい。
ヒカルも父親なみにドツボにハマってしまっていて、会話の流れはかなりヒカルにも責任がある。 たとえば気球大会のことを黙っていたのを非難したことなど。 けれど ...
「だってヒカルちゃんと私はほんとの双子じゃないもん、ヒカルちゃんは ... 人間じゃないもんっ!」これは ... いかにもまずかった。
椎名家にヒカルがいられるのはもともとつばさが許したからだ。 双子という関係の否定は、ようするにヒカルに死ねと言っているに等しい。 そりゃあもちろん、翔というヒカルからの圧力を避ける傘の下に入ってその安穏さを体験したあとで 傘が消えたらヒカルのほうにも消えてくれないとつばさ的にはバランスがとれないが ...
翔が亡くなってから 3 週間という時間が経過したのでなければ、 つまり翌々日かせいぜい 1 週間後という話であれば、 「あっち行っててよ、ヒカルちゃん」 てな言葉に素直に頷いただろう。3 週間が経って、 つばさが復活の兆しをみせないという恐怖をかかえてあえて危険な領域に踏み込んだヒカルに対し、 その意味を汲みとることはできなかったのか ── いや、むしろ、その意味を汲みとることもできないレベルで ヒカルからの自立を考えるのが早すぎるのか。
10 話終了時点で、つばさにはヒカルから自立する動機も力もなくなった。 ヒカルを傷つけた代償がこれである。妥当な判決、ではあるかもしれないが ...
今話、ソファでつばさを抱きよせた「父親」に対し、ヒカルもまたソファで「父親」に甘えた。
父親から「力になるぞ」と言われて嬉しそうに頷いたというのもそうかもしれないが、
これまで「父親」は「姉の親」であるか、あるいは「双子の親」であった。
つばさという存在を除いたときに「ヒカルの親」として存在したか。
... 姉に比べりゃ手のかからん妹ではあったし、今話でもそーだといえばそーなんだが。
ヒカルが椎名家の一員としてのポジションを確保しつつあることに、つばさは気付いてなかった。 その意味も。
「あたしには、つばさちゃんが全てだ」と関係を定義させるのは、ヒカルにとって後退である。 たぶん、そのこともつばさは気付いてないだろう。
予告でこのあと携帯を手からすべりおとすシーンがあることは知ってたので、 つばさからの拒否が重なってくることはわかりきってたからねぇ。心の準備が要った。
... で、再開したんだが。ヒカルが自分で断ってしまった。 ちょうどボタン押した時点が折り返し地点になってたんやね。
つまり、ヒカルが自分で断ったってのは、無理を強いないということを先に行動で示した ... ってことなので。つばさからの和解への背を押すかたちになった。 二人のハードな喧嘩は、ここから先は両者とも和解の道を探るプロトコルに入る。 手遅れになるほど状況は悪化して、既につばさ自立の目は消えていたが、ともかくも関係修復へと向かった。
... それはいいんだが。それはいいんだけど、一息ついた直後にそれは起こった。
ヒカルだって弱ってた。つばさから直撃弾くらってそれに抵抗する余力もなく、 まともな判断も出来ないのは仕方ないのかもしれないが。 まだつばさにヒカルを支えるだけの力はない。つばさの視野の狭さは 1 話のころからあんまり変わってない。 二人分の精神をヒカルが独りで支えているという構図は 2 話から今もそのまんまだ。
そのヒカルがついに崩れた。もたなかったんだろうなぁ ...
健太の日直と終業式は DVD だと日付が出てんだろうな ... ま、それはともかく。
6 月 15 日 (金) 1 話にて。つばさと健太が日直。授業参観日。金曜日ってことは 2001 年。 11 月 24 日 対マギュア戦シミュレーションの練習日。つばさの変調 11 月 25 日 気球大会。2001 年なら日曜日。富良野から十勝方面へ? 同日夜半、マギュア 1 体を処理。 11 月 27 日 つばさと翔が日直。 同日夜半、翔が死亡。 12 月 11 日 バケツの水とりかえようか ... な話。 12 月 ? 日 つばさと健太が日直。健太がはげます。 12 月 ? 日 上と同日? 先生が相沢翔への手紙を提案。 12 月 ? 日 上と同日? つばさとヒカルの衝突。 12 月 15 日 日付は不明だが 2001 年での土曜日てことで。翔の墓参り。早目のクリスマス。 12 月 19 日 日直: 山内直樹、村上潤子。教室の掃除ふたたび。ふつーに戻ったつばさ。 12 月 ? 日 終業式。
ここでちょいと気になったのは、気球大会の日と、つばさと翔が日直やった日が何日離れてるのか ... というところ。 翌日でないことは翔の母親のセリフで分かるし、翌日であってはハンカチを洗うヒマがない (少なくとも乾かす時間が取れない) ので「ハンカチ持ってこれなかった、ごめん」という話にはならない。 しかしそーなると 11 月 26 日に翔はつばさに気球大会の話を持ち出さなかったということになる。 学校で顔会わせてはいたが話をする機会がなかったという可能性はなくはないが、 前日にデートしておいて翔がそういう機会を意識的に作らないとも思えない ... つーかだな、 顔あわせておいてさらにその翌日に気球大会を持ち出すっつうのもかなりボケとるのだが。
この物語が何年の話か知らなかったので、ありうべき解は 11 月 25 日が土曜(で学校が休み)、 日直の 11 月 27 日が月曜という組合せだと思い、2000 年の話だ ── と計算したんだが、 6 月 15 日が金曜にならねーよ。
もしかして、気球大会へ行った無理がたたって 11 月 26 日は翔は学校休んだか?
もう一点。11 月下旬に日直やっておいて 12 月 19 日までにもう一回日直がまわってきてる。
最長で 17 日しか日直が居る日がない。34 人以下のクラスですな ... って、
よくみたら翔いれて 24 人ですか。
ついでに思ったが、
席替えやった形跡がないから、ヒカルの席が左奥になっているというのはけっこ論理的。
そもそも右奥は机もない空間になってるし。
もしかしたらヒカル用の机は廊下から搬入してその場で置いたね? > 先生
あれ、どっちがどっちだっけと思うことはある。 次回予告で走ってたのがぱっと見でヒカルかと思ったしな。 スケートで手ぇひいてるのがヒカルなのは自明のこととしたからあれと思ったんだが。
だからといって、二人が同時に登場したシーンではこれまでも間違いようがなかった。 双子っつうても精神的にはあんまり似とらんしな。
だからまー、葬式のとこは、ちょいと珍しかった。
相沢翔のほうが出来すぎなおかげでこれまで勝負になっとらんかったのだが ...
亡くなった人と bind してしまったキーワードに近付くのは嫌 ... 今話で言えば空を見上げるのが恐いというやつ。 雨が降ってるか夜でないと外出らんないとのたまいしブラッドベリのとちがい、 おそるおそるながらちゃんと空を見上げなければならないと思い、 また、見上げるだけの力があったという点でつばさは強い。
ヒカルから自立するまで、あとほんの少し待つだけでよかったのに。
ハインライン 『月は無慈悲な夜の女王』。
成人というものの定義 ... にて、 「子供というものは死が自分のところへもやってくるものだということを知らない」 ── だが、10 才ならまだ知らなくていいよ、やっぱり。
母親が亡くなり、恋人未満が亡くなり、まもなく「妹」も宇宙へ帰る(んだろう)。 妹のことは忘れる (のか? まさか) のかもしれないが、 母親が亡くなったことすら自分の責任かもしれないと思うつばさが、3 人も失って精神的にもつのかどうか、 そっちを心配してしまう。
「おまえにとって翔君は、とても大切な友達だったんだな」子供の聖域に土足で踏み込むバカ親父 -_-# 分からんとは言わさん。ヒカルの位置からならともかく。
「だって、ヒカルちゃんと私とは、違うもんっ」ここでこんなにセルを投入するか ...
「翔君 ──こんだけ綺麗に書けるっかつうと、私には書けません。ええ。
私、翔君とお友達になれてよかった。 いろいろなお話をして、たくさんのことを教えてもらって。
ほんとうに、ありがとう。
翔君と一緒に気球に乗ったこと、ずっと忘れないよ」
10 話はただ痛かったばかりでなく、 つばさの自立への道筋すら見失った状態で 11 話を観なければならない。 これでしかも 12 話か 13 話にヒカルとの別れが来るんだろう ...?
微笑ましいとかどーとかの前に心配が先に来るってばさ。
「だってヒカルちゃんと私はほんとの双子じゃないもん、ヒカルちゃんは ... 人間じゃないもんっ!」4 話、どんなに遅くても 8 話の時点までならばともかく、 10 話の時点で言うのは、いかにつばさがヒカルのことを見てないかということでもある。 これはつばさがヒカルに対して無関心だったということの言明だ。
つばさに今それを分かれ ── とは言わない。
だが、いつの日か、自分がそう言ったことを思い出して欲しいものである。