『カードキャプター さくら』 #30 の感想

(初出: Nov. 13, 1999, revised: Nov. 14)

粗筋
さくらに追い詰められたダッシュのカードはケガをしたまま玲の家に飛び込んだ。 ピューイと名付けられ、玲に手当してもらったダッシュは玲になつく。
一方、さくらはダッシュが魔法で玲の走力を後押ししていることを知りつつも、 玲の陸上競技大会出場を目前にしてダッシュを封印することができなかった。 ダッシュが玲の精神的支えにもなっていたから ──
概観
タイトルからして好みのジレンマ系を予想させ、そして確かに期待を裏切らなかった。 アヤの織り込み方も芸術品の域。 さくらがなぜ封印を拒んだか、ということを 素朴に「ダッシュがいれば不調の玲でも競技大会で勝てる」から封印するのは後回し ── と解釈してしまうとアヤをまるごと捨てたことになるが、「精神的支え」とは物語中で ついにただの一言も出て来なかった。

さくらの話にしてもひさしぶりに 5 回ほど見直したので、このページも少し revise した。

「明後日」
いつまでにダッシュを封印しなければならないか、という問題。
原理的にというか法理的には 競技大会の走る直前までに封印してれば良い訳だけど、 実質的には 2 日前がリミットだろう。 前日では本人が心の整理をするヒマがない。

ゆえに物語が動くのは 2 日前だろう、と予想してたらそのまんまで、 小狼から話をもってったやり口はやや作為がみえるけど綺麗なセンスだった。 さくらからでは話を動かしようがなかったからねぇ。

カードとのコミュニケーション
さくらのジレンマは基本的に
「カードに戻すのを暫く猶予するかわりに力は使わないでくれるか ──」
位にダッシュを説得できればコトは済んだ。 (言葉の通じない可能性の高い)動物形態をとっていたこと、 すでに敵対関係にあって警戒心が強かったことなどから実質的に説得チャンスは無かったが、 ミラーのカードの事件以降の話なんだし、 知世あたりからそういうアイデアが出て来る位のことはしてくれてもバチはあたらないと思う。 物語上なんの意味ももたず しかもせっかくのネタを使い捨てにした桃矢や雪兎とのだんらんのシーンを挟むくらいなら ...
功利主義と精神的支え、ウラ側の筋
さくらが無意識のレベルで感じていた「精神的支え」。 素朴な功利的な考え方の裏側にあるこの視点が、唯一明瞭におもてにでてきたと思われるのが 競技場での小狼とのシーンである。

ケロベロスの「魔法で勝って心からおめでとうって言えるんか?!」 に後押しされてはいるものの、さくらの自由意志によってダッシュは封印された。 したがって玲は競技会では自力で走らねばならないし、走るべきである、 というところまでさくらの論理は達している。

この論理の筋によれば、 小狼によって競技会で再びダッシュが出現した時、 さくらは小狼を非難しなければならない。 さくらがやっとの思いでなした決断に 小狼が反対したということを意味するからだが、そうはならなかった。 これはダッシュの出現自体はさくらにとって小狼を非難するほどのものではないことを意味する。

さくらが心配したのは、 ダッシュが玲を後押ししたのかどうかという最も本質的な部分だけだった。 ダッシュが魔法を使えない、あるいは使わないなら、玲の前にいてもよかったのだし、 封印の副作用として、さくらがいちばん心配していた部分。

‥‥‥‥ という読み方でいいんだと思うけど、綾の折り込みが微妙すぎてよう分からん。

封印後も落ち込んだままのさくらとウラ側の筋
「魔法の力じゃなくて、 玲さんが自分の力でがんばったんだね ‥‥」
オモテ側のキーシーンは やっぱり小狼の会話の直後、ふりむいたさくらの表情。

オモテ側をオモテ側として、これを素直に読むと実に素直に読めるが、 じゃあ昨日までさくらがおちこんどったのはなんだったんだ? という話が絡む。

玲が自分の力で一位を取ったというのが さくらにとっても最高の結果だというのはいうまでもないが、 オモテ側(魔法の力でも一位になれるほど調子がよいならダッシュの封印はどうしようかな...) という論理が一昨日まであったことを思えば、 魔法の力を使っての一位としても さくらのショックはさほど大きなものではない ── そのショックはほぼケロベロスに 説得された分「心からおめでとうって言えるんか」に掛かる分だけ。

ケロベロスに完全に説得された訳ではないのは 封印直後から競技会前日まで さくらが落ち込んだままであったことからも明らかで、 また、残存するさくらの責任感を軽くするには玲が一位をとるだけでは足りない。 たかだか一位をとるだけでモノゴトがすべて足りるようなら、 さくらは落ち込むのでなく一所懸命に玲を応援するほうに論理が動けば十分で、 そうならなかったのは、基本的には競技会前日にさくらが落ち込んだのは 『ピューイ』を封印してしまったことにあるはずだ。 『ピューイ』を玲に返してあげることはできないんだから、 さくらに責任があることであるにもかかわらず、さくらには手も足もでない次元の話である。

競技会でのピューイの出現は、だからオモテでなくウラ側の筋として以下のような意味をもつ。

オモテ側「『魔法の力なしで」玲は走らなければならない」 ということにぴったり重なるようにして ウラ側「『ピューイがいなくなった』ことを乗り越えて玲は走らなければならない」 の論理がかぶさっている。 ピューイの出現は、ウラ側の論理の玲のショックを和らげると同時に、さくらに対して ウラ側の論理を気付かせた。

心配顔になっているだけだったさくらがここでようやく声を張り上げることができたのも、 さくらの罪悪感がどこからでてきたのかをさくら自身が (無意識のレベルで)理解したことによって、それを消化できたことによる ──

「玲さんがんばってっ!」
は、「(魔法の力はなくてもあなたはがんばれる)」というオモテの意味ではなく、 「(ピューイは返してあげられないけど、あなたはがんばれる)」 という意味があってこそ、ピューイ出現の直後に叫ぶことになった。

小狼のもとにかけよった時に、

「魔法の力を使ったと思ったのか?」
に対する反応が一瞬遅れたのも、基本的にはさくら自身が自覚していなかったウラ側の 論理の礼を言うために小狼のところに行ったからで、 小狼に言われてはじめて自分が小狼を(オモテの論理に基づいて)非難しに行った訳では なかったらしいことに気付いたことの現われだろう。
玲の筋
玲から見ればピューイは怪我が治ったらさっさと居なくなってしまったかにみえる。 ここで問題になるのが、玲がふたたび調子を崩したことを本人がどう思っているかという点。

小狼がピューイに向かって「ダッシュっ!」と叫んだことが玲に聞こえていて、 ピューイの本来の飼い主が別に居たという認識を持った、というあたりが 描写されているとアヤの難しさがまた一段と ... という話になるんだけど、 現状のような描き方でも十分にむつかしすぎます(根性無し)。

ええと、分かってることは突然ピューイが驚いて公園方面に逃げたことですか。 怪我は全快してるようだから、ピューイのことが心配で追いかけていた訳ではない。 純粋に本人の心理上の問題(ピューイが居なくなっちゃった...)ってことになるんで、 本人からすれば「調子を崩した」のは自業自得に見える筈だ。

そうすると競技会でピューイの姿が見えたのは、本物と解釈すると えらく変なことになる (この場合、玲は走り抜けたらそのままピューイ探しの旅にでるだろう) から、直後のさくらの叫びで

「ピューイが居たから速くなったのはかまわないけど ピューイが居なくなったら遅くなったというのではピューイも喜ばないよ」
というところに思い至った以外の話ではないはずだ。

なにげにきっちりさくらのウラ側の筋にそったものになってますな。

小狼の筋
単純にみればさくらの気持ちを組んでなんとかした、という程度の活躍だし、 その程度の筋のつもりでいるんだろうけども、いいとこぜんぶもってたわりには 筋がほんの僅か荒いかも。

つまり、さくらが知っていたことを小狼がいつ知ったのか ── という話。 あっちこっちにさくらが見えてるんだから、問い詰める時のセリフに「やっぱり」 のたぐいのセリフが入ってるべき... ではなかったかな。

玲のことをさくらがどう思っているのかということを小狼がどう思ったか (ええいなんでこんなに階層が深いんだ)ってのも一つあり、 ダッシュをピューイと玲が呼んでいるところを小狼は知ったのだから、 一時的にダッシュの飼い主になっていたことまでは分かっている。 それに手を出し辛くなっている(怪我の治療という話までは知らないはずだ) さくら、という構図に対して、 競技会でピューイを出現させるところまでもっていったのは ... オモテ側の筋だけでも妥協案の提示としてけっこう成り立つなぁ。

ケロベロス
とてもしょーもない奴になっている ....

カードを封印したさくらに向かって「ようやったな」は無いだろう。 この時点でのさくらの心配事は封印してしまったあとの玲への悪影響なんだから、 ケロベロスはそのことについて語るべきであって、封印したことを褒めても意味がない。

競技場の廊下で
小狼とさくらの会話のシーン。 小狼はただの私服、さくらはチアリーディング部のユニフォームな訳だが、 なんとなくタキシードな小狼とイブニングドレスなさくらが裏モチーフにあるような気がする。

まあ、気がするだけかもしんないし、この流れだと裏モチーフ的には さくらが小狼に振られた形になってしまうようなトコがないでもない。

ED 突入のタイミング
1 秒強おそく感じる。ハイテンポな ED だから、 余韻が薄れて消えるぎりぎりまでひくとかえってリズムがあわなくなると思うんだけど ...
魔法を使ってよいケース、わるいケース
もちろん魔法をここで使うのは「いけないことだ」というのは NHK 教育的なものとして当然のようにまったく議論になっていない。

で、これはほんとうにいけないことか? 「魔法を使ってはいけない」とはルールブックのどこにも書いてないはずだから、 ルール的な反則ではない。 本人の努力によって身についたものではない、といった点からの反論も意味がない ── たいがいの場合、高い身長をもつことを有効利用するのは咎められないが、 高い身長をもつことは必ずしも本人の努力とは関係があるわけではない。 他人がもたないものを利用した、という観点についても同上の論理で反論できる。 そもそもこの観点ではクロウリードが魔法を使うことすらできなくなる。

この問題について、私は次のように構成する:

それが永続的(いつでも使える)ならばそれを利用することは倫理に反しない。
「永続的」という概念はファジィなので、「倫理に合致」するかどうかもファジィ論理になる。 本人の努力によらず、背が高いならばおそらくこれからも背は高いままだろう。 ゆえにゲームで背が高いことを利用するのは認められる。 クロウリードが魔法を使うのも、本人が死ぬまで魔法は使えただろうから 彼が魔法を本人の自由に使うのも倫理に反しない。

翻って玲が魔法で速くなることは、おそらく今回の競技会だけであって、 それ以降は魔法の援助は無くなるから、これは反則である。 ケロベロスが語るように、魔法を使って速くなることが本人のタメにならない、 のはその魔法が一時的なものだからであって、この魔法の効力が永続的ならば 「本人のタメにはならない」とは主張できない。 なんとなれば、魔法で速くなること自体は本人の不利益にはならないのだから。 一時的にしか速くなっない場合は、たとえば地区大会の結果によって上位の大会に出た場合に 本人が困るだろう ── つまり「本人のタメにはなってない」。

ちなみに、以上の論理はもともとカンニング問題に対して組んだ論理である。 カンニングがなぜいけないか、ということを説明するものだが、 いつでもどこでも芸術的なまでにカンニングすることができるなら それはそれで一つの才能であり、カンニングしたことによって見掛け結果が良くなったとしても その良くなった結果は確かに本人の成績とみなしてかまわない ── 自前の頭でぜんぶ捻り出すのも、どこからか他人の結果をひっぱってきて問題を解決するのも、 もしその効率、解決確率、レベルが等しいなら区別する理由はほとんどない。

データベースから適切なネタをひっぱりだすのも一つの才能である。

今回、この一言
「カードの力は、こういうことに使っちゃいけない。
だから俺は何もしてない。ただ ‥‥ こいつを連れて来ただけだ」
主筋はさくらの決断に至る道筋にしてエースをとったのは小狼のセリフ。 まあ、ジレンマを解決したのは小狼だし ...

ところで、これだけのセリフをここで投入しておいて 二人の恋愛感情を いっさい動かさなかったってのがなんとも豪快つうかネタ的にぜーたくな造りですな。


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