話としては海のものとも山のものともつかず、
ただ三石琴乃演じる叔母さんと
まだ本編には出てきてない知世ちゃんもとい鳩子ですか、が良い感じ。
... つーかですね、関西方言表記の脚本を
おもいっきりベタで関東アクセントで喋らないで欲しいんですが。
聞いてて気色悪いです。
自分の使ってるエンジェルが大破したとして、したら、 それに対する感情はどういう風なものになるんだろう。 「友人」を大怪我させた直接の責任は自分にあるわけだから、 罪悪感とかそのテの感情が先に立つはずだが、 そうするとそのことの贖罪として、 次からは試合にエンジェルを参加させることができなくなる。 つまり勝ってるうちはいいけど一度でも負けたら引退だと。
現実世界でも闘犬のように同じ論理が通るゲームが存在する。 で、こちらではどうやら本人つうか本犬が自分の意志で試合にでる ... という形をとるようにするらしい。 これなら本犬が怪我の責任をとるので再起させることが可能だ。 人間の感情の投射と責任回避なわけだが、これはこれで内心のレベルでは筋は通っている。 ボクサーとセコンドの関係なら、同じ論理が投射でなく ほんとーにボクサー本人の意志になって、本当に本人の問題になるのでおっけー。
で、この論理をエンジェリックレイヤーで援用するとすれば、
ヒカル: < わたしは闘いたいの >のたぐいの儀式を経由しなければならないはずだ。
みさき: 「そうなの? 分かった、じゃあ ...」
「たったひとり、しかいない私、もっと信じればいい」「自分を信じないこと」が基盤の最初にくる者として、 羨ましいつうか、そーですか、つうか。
「ヒカル、一緒にがんばろっ」話ん中のセリフではないけど、ちょっと良い感じ。