『機動天使エンジェリック レイヤー』 #1 の感想


粗筋
東京にやってきたみさき。駅のそとにでると、ビルの壁面で白いエンジェルの戦いの様子を流していた ── エンジェリックレイヤーの試合だった。
概観
原作の絵そのまんまの絵が動いてる。ベタの彩度の高いのも原作ゆずり。いやあ、もとが アニメ用の絵を載せたんかと思うほど細部が手ぇ抜かれた絵だったからな ...。

話としては海のものとも山のものともつかず、 ただ三石琴乃演じる叔母さんと まだ本編には出てきてない知世ちゃんもとい鳩子ですか、が良い感じ。
... つーかですね、関西方言表記の脚本を おもいっきりベタで関東アクセントで喋らないで欲しいんですが。 聞いてて気色悪いです。

試合に至る道筋
このテの話でよくわからんのは、人形とか、ロボットとか、ポケモンとか、 まあいろいろあるわけだけど、主人公が友人視しているところのそういうのを {操って|扱って}他者を攻撃させようとか壊れるまでの格闘技させようとかいうのを どういう論理で矛盾せずに扱ってんのか、ってことだな。

自分の使ってるエンジェルが大破したとして、したら、 それに対する感情はどういう風なものになるんだろう。 「友人」を大怪我させた直接の責任は自分にあるわけだから、 罪悪感とかそのテの感情が先に立つはずだが、 そうするとそのことの贖罪として、 次からは試合にエンジェルを参加させることができなくなる。 つまり勝ってるうちはいいけど一度でも負けたら引退だと。

現実世界でも闘犬のように同じ論理が通るゲームが存在する。 で、こちらではどうやら本人つうか本犬が自分の意志で試合にでる ... という形をとるようにするらしい。 これなら本犬が怪我の責任をとるので再起させることが可能だ。 人間の感情の投射と責任回避なわけだが、これはこれで内心のレベルでは筋は通っている。 ボクサーとセコンドの関係なら、同じ論理が投射でなく ほんとーにボクサー本人の意志になって、本当に本人の問題になるのでおっけー。

で、この論理をエンジェリックレイヤーで援用するとすれば、

ヒカル: < わたしは闘いたいの >
みさき: 「そうなの? 分かった、じゃあ ...」
のたぐいの儀式を経由しなければならないはずだ。
... なんか次回いきなり初試合しちゃってんですけど(汗)
OP
「たったひとり、しかいない私、もっと信じればいい」
「自分を信じないこと」が基盤の最初にくる者として、 羨ましいつうか、そーですか、つうか。
おのぼりさん
どーみてもおのぼりさんが悪いおじちゃんにダマされた、 という構図だけど、いいのか?
ED のパソコン
母親が使ってるパソコンが US 配列だった。
... ちょっと嬉しい :-)
ところで
感想書きに久しぶりに 1 話を見直したんだけど ... うぅ、内容が相当に恥ずいっす。なんでだぁ?
2 話以降はンなことないのにぃ。
今回、この一言
「ヒカル、一緒にがんばろっ」
話ん中のセリフではないけど、ちょっと良い感じ。
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