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自信はあまりありません。飽き足らない方はぜひ本文をお読み下さい。
(「新渡戸稲造と武士道」須知徳平 著 青磁社 1984年版)
〈序文〉
・ベルギーの法政学の大家ド・ラヴレー氏に宗教問題で「日本の学校では宗教教育はなされていないんですか」
と聞かれ、さらに「どのように道徳教育がなされているのか」とたたみ込まれて、答えられず困った。
・少年時代に学んだ道徳教育は学校で習ったものではなく、自分の中で善悪、不正の観念を分析してみると
実は「武士道」の教えであった。
・また外国人の夫人に、日本における思想や習慣や風俗について
その理由を聞かれたことも多くあり、そのことを 含めて、
整理して書いたものがこの「武士道」である。
明治32年(1899年)12月ペンシルベニア州マルヴェルン にて。
新渡戸稲造
(1) 道徳体系としての武士道
・日本の武士道は、これを表徴する桜の花と同じように、
わが国土の固有の花である。
・武士道は、封建制度の子として生まれたが、その形態を
とらえることは 難しいが、その香り高い道徳は,今なお我々に
桜は古来わが国民の愛した花であって、 |
力強い感化を与えている。
・武士道は武士の道徳的な掟であって、武士はこれを守り、
行うことを教えられ、要求されるものである。
・一人の人物によってつくられたものでなく、
不言不文の道徳の掟である。
・戦闘員の武士はその階級としての名誉と待遇を受けていたが、
武士道は、その行動を律する共通の基準である。
(2) 武士道の根源
・根源は仏教、特に禅の思想(瞑想により悟りを開く)が
大きく影響している。
・仏教があたえる事の出来なかったものを、神道が満たしてくれた。主君に対する忠節、祖先に対する崇拝、
および親に対する孝行である。この三つはいかなる宗教によっても教えられなかったものである。
・道徳的教養に関しては、孔子の教える道が武士道の豊かな根源であった。君臣、父子、夫婦、長幼、
朋友の五輪の道で、孔子の教義の輸入される以前から、わが国の民族的本能の中にあった。
・ただ「論語読みの論語知らず」といわれるように、武士道は単なる知識や学問は究極の目的ではなく、
人間の知恵を獲得するための手段として志すべきとあるとした。
(3) 義
・義は武士道の中で最も厳しい教訓である。
・林 子平は「勇気を伴なってなされる決断力である。道理に任せて決断しいささかもためらわない心」
といっている。
・孟子は「仁は人の心であり、義は人の道」であると説いた。
・義理は義から出たものである。義理は本来、単純で明快な義務のことで「正義の道理」の意味であった。
(4) 勇気
・勇気は義のために行われるものでなければ、徳としての価値はほとんどない。
・孔子は論語で「義を見てなさざるは勇なきなり」と説いているが「勇気とは義をなすことである」といっている。
・武士の子は少年時代に、親は子の勇気や豪胆な精神を養うために、「獅子はその児を千じんの谷底に
落とす」事さえした。勇気は人の精神に沈着と不動の形として現れる。勇者には、心の中に常に余裕がある。
(5) 仁愛
・武士道は、愛情、寛容、同情、憐憫をもって、昔から最高の徳とされてきた。これを仁という。
・孔子や孟子も「仁は人なり」と言って、人を治める者の最高の必要条件は仁としている。
・仁は和やかな徳(母の心)で、誠実な道義と厳格な正義は男性的なものである。
(6) 礼儀
・来日する外国人が日本人の丁重な礼節に、これが日本人の特性と思うようである。
・日本の礼式、礼法については茶道や小笠原流などに見られるが、これらに代表されるように精神修養の
結果生まれるのが、礼であり、他人に対する同情的思いやりである。徳の現れである。
(7) 誠実
・礼儀をおこなうのに、誠実の心が欠けていれば茶番になる。
・武士は社会的な地位が高いところにあるので、誠実であることが要求された。
・うそや逃げの言葉は卑怯なものとされ、武士に二言はないという重い価値を要求されていた。
(8) 名誉
・名誉の観念は、人格の尊厳とその価値の自覚からうまれる。武士はその身分に伴なう義務と権利を持ち、
そのための教養が無ければならない。
・武士は名誉を重んずるあまり、恥じを嫌っていた。そのために極端な行動に陥りやすく、これを未然に防ぐ
ため、寛容と忍耐の教えがあった。
(9) 忠義
・目上の者に対する服従や忠誠の徳と説明される。
・アメリカのように「全ての者は平等である」という主義の国では、不合理と思われるかもしれない。
・ただ主君に盲従することではなく、主君の非を正すことも忠義であり、それが入れられなければ、
死をもって訴えることもあった。
(10) 武士の教育
・武士の教育では、最も重んじられたのは、品性を確立することにあり、思慮、知識、弁説などの知的な
才能は二義的であった。
・「知」「仁」「勇」は武士道を支える三つの柱であって、武士は行動する立場の人であった。
・現実には教育の課程として剣術、弓術、柔術、馬術、兵法、書道、道徳、文学、歴史などから成っていた。
・武士は知識よりも品性を重んじ、知性よりも霊魂を磨くことを任務とした。
(11) 克己
・日本人は感情が細やかで、自然に発する感情を抑え、かえって苦痛を感ずる民族である。
・幼いときから、自分に感情を抑えていたずらに涙を流したり、苦痛を表したりしない様に教育されてきた。
・武士は、感情を外見に表すのは男らしくないと考え、「喜怒を色に現さず」が強い男子と言われてきた。
(12) 切腹および敵討ち
・日本人の心には、切腹という死に方が最も高貴で最も哀切な行為であると言う連想がある。
・旧約聖書にもあるが、腹に霊魂が宿っているものとした日本人の信仰による。
・敵討ちは自分の正義を満足させることである。ただ近代では刑法が施行されて存在理由を失った。
(13) 刀・武士の魂
・刀は、武士道における力と勇気の象徴であった。15才で帯刀をゆるされ初めて武士の資格を認められた。
・腰の刀に誇りと責任を持ち「刀は伊達にささぬ」もので忠義と名誉の象徴となった。
・刀は神聖なものとされ、決してまたぐことはしなかった。
(14) 婦人の教育と地位
・武家の女性の教育で最も重要なことは、家を治めることにあった。芸は客を歓待するためであった。
・母として子供のために己を犠牲にし、己を空しゅうすることを教えられた。(内助の功)
(15) 武士道の感化
・武士道の道徳は、わが国民生活の一般的な水準よりもはるかに高い山脈をなしている。
・一般民衆は、主題の多くが武士の物語から採られた芝居、寄席、講談、浄瑠璃、小説等により教育を
受けた。武士はわが国民族の理想であった。
(16) 武士道はなお生きられるか
・(省略)
(17) 武士道の将来
・(省略)
以上要約したつもりであるが先人の思想を要約する事自体おこがましい事なのかもしれません。
小冊子ではありますが、豊富な知識と、洞察力のみなぎっている名著で、10数カ国語に翻訳され、
100年にもわたり、ベストセラーになっていることが良くわかります。
内容も、現代でも十分に通用するもので、特に現代の世相を考えると、これこそ教科書に
採用しても宜しいいのではないかとも思った次第です。
出来れば本文を、一度読んで見られたら、いかがかと思います。