〈大学卒業50周年に思う〉
平成20年6月25日 
志村浩道
 私達燦々会のメンバーが東北大学電気工学科を卒業した1958(昭和33)年3月25日から、もう50年の月日が流れました。
この50年間を振り返ってみて、燦々会の皆様は どのようにお考えでしょうか。以下私の思う50年間を記載します。
 非常に速い50年間であったという思いと、色々の事があった長い50年間であったという全く矛盾する二つの気持ちが
同時に存在しています。
 昨年東北大学創立100周年の記念に発行されたDVDを見て、私は大学4年の時に東北大学創立50周年行事が行われ、
私達が会場準備のために椅子運び等の手伝いをした事など今まで完全に忘れていた事をはっきりと思い出す事が出来ました。
大学生時代に感じていた東北大学創立の頃という、当時より50年前というのは、自分がまだ生まれていないので、
何も知らない訳で、遠い昔の事だという感じでした。
しかし70才を超えた現在では50年前の事でも自分にとっての大きな出来事は今でも、つい先日のように思い出されてきます。
世の中もこの50年間ですっかり変りました。
50年前の学生時代は、上野と仙台の間に新幹線はなく、特急でも6時間位、普通で8時間位の時間がかかり、
上野―仙台間はもっぱら夜行列車を利用していたものであるが、現在は新幹線で所要時間は2時間と非常に短くなった。
私は1935(昭和10)年11月25日生まれで、現在72才
であるが、昭和10年の日本人の平均寿命は49才で
あった。
この事は私の父が死んだ時に、父が私にかけた
生命保険の資料に記載されているのを見て知った
事である。
つまり私は生まれた時に期待された年令よりも、
もうすでに20年以上も長生きしていることになる。
私達が学業を終えて会社に就職したころ、会社の
定年は50才か55才だったと思うが、その頃は
定年まで勤め上げるのはごくわずかで、一般の人
は、定年に到達する前に亡くなっていたように
思います。

<大学入学時の時>
<現在の私>
最近新聞の死亡通知欄に記載されている人の年齢が私より若い人が多くなってきました。
私と同じ年に生まれた有名人をあげてみると、日本人では野球の長嶋茂雄(彼は昭和11年生まれだが早生まれで我々と同学年)、
俳優の石原裕次郎(慶応大学在学中から彼の出演する映画がヒットし一躍有名になった。
現在の東京都知事の石原慎太郎の弟、故人、52才で死亡)、外国人では、エルビス・プレスリー(ロックンロール創始者の1人で
ひと時代を築いた、42才で死亡)、ゲーリー・プレーヤー(南アフリカのゴルファー、メジャー大会9勝、世界ゴルフ殿堂入り)
などで、それぞれの分野でひと時代を作った方々ですが、もう無くなっている人も多い事が分ります。

私がこれから何年生きられるのかわかりませんが、今後はあまり年の事は考えずに、毎日を健康で趣味を楽しみながら
生きて行きたいと考えているこの頃です。


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