燦燦会50周年記念・九州からの便り・江渡清明私が九州・八幡の地を踏んだ昭和33年は、九州と本州を結ぶ海底トンネル(関門国道トンネル)が開通した年であります。しかし自分にとっては当時世界一高い東京タワーがこの年に完工し、333メートルと何故か3尽くしであることが印象深い出来事でありました。 この年に映画「この天の虹」が上映されたような記憶があります。芸術祭参加作品で木下恵介が脚本と監督、出演は浦辺粂子・笠智衆・田中絹代・久我美子・田村高廣・川津祐介・高千穂ひづるなどでした。この映画のロケを見た先輩社員が「久我美子」を類稀な美形であったと述懐していたことを思い出します。余談ですが私は昔も今も「八千草薫」ファンです、諸兄はいかが? ![]() 当時は日本一、東洋一と称する製鉄所から出るばい煙がたなびく様を虹に例えて映画の題名にしたもので、公害の観念の乏しいのどかな?時代でした。日本で最初にスモッグ警報がでたのは八幡だったように思います。 この地に住んでみて期待はずれだったのは、南国九州・八幡の冬は天気に恵まれず寒いことでした。11月中旬には霙がふり、陰鬱な日本海の冬の日がつづきます。昭和41年に雪で遊 ![]() 九州には世界一があります。雄大な阿蘇のカルデラです。その阿蘇山は昭和33年に大爆発があり、多数の観光客に被害がでました。怖いもの見たさの野次馬根性で、私が最初に阿蘇を尋ねたのは昭和34年か35年でした。バスで阿蘇の外輪山から見た風景には言葉で表せないほど感激しました。北側から阿蘇を目指して、阿蘇外輪山の大観峰から望む風景が阿蘇観光にはお奨めのルートです。外輪山から阿蘇山を眺望する写真がないのは残念ですが、 ゴルフ場の日本一が雲仙国立公園内にあります。雲仙ゴルフ場は、大正2年(1913年)、わが国最古のパブリックコースとしてスタートしました。風光明媚な観光の山・雲仙では平成3年(1991年)発生した火砕流によって、阿蘇大爆発を上回る惨事となりました。溶岩ドームの成長が連日報道されている最中の災害であり痛恨の極みであります。南に転じると、桜島火山は大正3年(1914年)に噴火を開始し多量の溶岩や軽石を噴出しました。楽しい話題ではありませんが、火山の話抜きに九州を語れません。 (図3)![]() 巨樹の多い楠は日本一から三位までが九州にあります。日本一の楠は鹿児島県の蒲生の大楠です。西郷さん終焉の洞窟や田原坂の戦いの跡を見るついでに、蒲生の大楠の写真を撮りました。使い捨てカメラを使用したため、樹木全体を収めることが出来ませんでした。 ちなみに、第二位は佐賀県に、第三位は福岡県に存在しています。 古希を機会にパソコンを始め、その後デジカメ片手に散策三昧の日々をすごしています。散策コースの金山川は有志による桜の植樹、チューリップ、菜の花、コスモス等四季折々の風情ある場所となってきました。鷺が住み着き、マガモが越冬し、ときにはカモメや鵜が摂食する姿を見ることができます。2羽の鵜の姿は 最後は九州から離れた話題です。今は昔、こんなことは無いだろうと思われる写真を(図5)、(図6)で紹介します。昭和40年(1965年)のルーブル美術館の展示品ですが、ガラスで仕切って保護されていたのは「モナリザ」だけで、展示室は明るく写真撮影が自由でした。当時のカメラ、フィルムでもフラッシュなしで撮影できる明るさでした。囲いもなく、ヴィーナス像に寄りかかっているところをパチリ。 (図5)
日本の美術館にのぞむこと;もう少し展示品を鑑賞しやすいように工夫してほしいものです。内容に記憶違いがあれば、なにとぞご容赦のほどを! 平成20年5月30日記 |
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