内山 啓次郎

 

 
寮生活の断面

 

 

@    睡眠不足;「寮に入れば、奨学金とアルバイトで暮らせる。」高校3年・夏休みのアルバイト

先で東北大生から聞いた情報が進路を決めた。入学試験時の宿は有朋寮にお願いした。費用は

安く済んだが、2段ベッドに4放り込まれ、睡眠不足に。

A    少年院前;昭和24年に新設された「三神峯明善寮」の廃寮に伴い、昭和28年秋に「有朋寮」

が新築された。我々は新入寮生としての第1期生だった。机と電気スタンド、ロッカー、

2段ベッド作り付けの2人部屋が120室(2階建てx3棟)で、合計240人の寮生が暮らして

いた。寮は新しく文句は無いが、最寄のバス停の名前が良くない。「鹿野橋・少年院前」。

B    エンゲル係数60%;入寮後、奨学金とアルバイトで生活を軌道に乗せるのに3ヶ月かかった。

寮費は2,200円程度だと記憶しているが、育ち盛りの為、補食が必要で、エンゲル係数は60%

程度に達していた。食券(870円で15日分)を買えないゲルピン学生の為に「食券前借制度」

もあった。やがて、物価高騰で、158円で3食の食費では満足なカロリー摂取は出来なく

なった。そこで、158円で2にして、食事の質を充実させる提案(昼食は学食で摂る)

が寮生大会で提案され、2晩に及ぶ大激論の末に可決された。

C    醤油ライス;昼食代の出費増を抑える為、学食ではライスだけを注文した。それに醤油をか

けて食べると結構おいしい。ウインク付きで、沢庵を2~3切れをサービスしてくれる学食の

お姉さんがいた。「お前は2切れか?俺は3切れだぞ」変な自慢をする始末。

D    親元に送金;初期のアルバイトは、圧延工場等の力仕事を避けて、工場の電気炉運転の夜勤、

ガリ版の原紙きり、商店街のサンドイッチマン、ビラ配布、アンケート調査業務、等で稼ぎま

くった。しかし、仰天したのは、アルバイトで稼いだ金を病気がちの「親元に仕送り」してい

る豪傑の寮生がいたのである。お陰で、「仕送りなしの生活」に悲壮感が消えた。

E    畜生め!;後日、大学進学を目指す高校生に模擬テストを行う組織(進学指導会)が出来た。

テストへ勧誘、問題と模範解答作成、試験会場の監督、採点、集計等が稼ぎになった。テスト

へ勧誘以外の仕事は休日と夜間に出来るので、授業に出る回数が増えた。当時、指導会は「理

処理」の専門知識で困り、女子の経理担当を募集。代表が面接して、美人の事務員を採用した。

以後、2教・学食の建物内にあった指導会事務所は美人目当ての学生で賑わった。しかし、

代表が卒業時に美人を「自分の奥さんに採用」して消えた。畜生め

F    寮の部屋割り調整;仲間同士でグループを作って部屋を連ねる「グループ制度」が発足し、

1回目の部屋割りの調整を担当した。医学進学、ガリ勉、聖書研究、思想研究、文学研究、

英国法制史研究、社会心理研究、経済研究、理学研究、農業研究、語学研究、映画研究、中国

語研究、東洋文化研究、読書、友人、セッツルメント、スポーツ、 タンツエン、中南米音楽究、

ディレッタント、コーラス、ヴァンデルング、書道、静寂、スケッチ等、26のサークルが出た。

入試を控えた「医学進学Gr.」に敬意を表して、静かな環境を用意した。他は平等を原則とた。

文系の連中には論客が多く、勝手な理論を振りかざして、気に入った場所の確保に熱弁を振う。

調整と言うよりは、勝手な論理を封じ込む役割である。5日間かけて調整を終わったが、議論

には負けない体質習得の契機になったかも?

G    女子寮と交流;「メッチェンと交流の場を作れ!」という寮生の切なる願いを実現するため、

文化部委員(1年生)時に、勇気を奮って、宮城学園の女子寮を訪問した。寮の舎監先生と女

子学生に囲まれ、委員長と交渉し、話を纏めた。交流日当日、ドテラ姿しか見た事の無い連中

が、綺麗に変身して、角帽まで被って来たので、出欠確認に手間取った。3台のバスに乗り込

み、鳴子の紅葉狩りですっかり仲良くなり、多くのカップルが誕生したが、殆どは2~3ヶ月

で振られてガックリ。結婚に至った話は聞かない。しかし、この企画は後輩に引き継がれ、「如

春寮」との合同ハイキングに発展し、この中からは結婚組がいる。

H    8教養部;部屋替えの時、上段ベッドは覗き込み難く忘れ物が多い。ヴァンデベルデ氏著

の「完全なる結婚」なる本は人気があり、忘れてゆけば、回覧本になる。中には、「そんな本

を読んでも、理論だけで実技が肝心」と言い、第8教養部=8番丁に実習に行く奴もいた。実

習で学んだのは、仙台弁で「決まったの?」=「終わったの?」の意味だと言う事か?

I    ゲルピンの味;寮の食堂内に「毎度ダンケ」が口癖のオジンチャンが経営する売店がある。

12円で、たばこ(新生)をバラ売りしてくれた。冬は各部屋に火鉢が配られ、

寮生の議論の中心に鎮座する。火鉢の灰の中には、昨年以前の吸殻が残っている。ここで、

必需品であるパイプが活躍するのだが、古い吸殻の味は「辛く」、ゲルピンが身に滲みる。

J    焼き芋の匂い;火鉢で炊事もする。洗面器や薬缶で調理するが、匂いを遮断できないので、

食べ頃には箸を持った仲間が集まる。食器は無いので古新聞を使う。焼きそばには文字が転

されるので判読する楽しみもある。ある晩、焼き芋の匂いに気がつき、廊下に出たが、

料理している部屋を特定できず、自室に戻ると、自室が一番強く匂う。しかも、匂いの発生源は

上のベッドの辺りと見た。さっとカーテンを開けると、電気スタンドが倒れ、枕が焦げていた。

火事にならず良かったが、焼き芋の匂いに感じるのは空腹のせいか?情けない。

K    サンマパーティ;腹一杯旨いものを食ってみたい。そこで、塩釜に行き、漁船と直接交渉し、

サンマを大量に仕入れてきた奴等がいる。調理器具はいつもの通りの洗面器。仲間と一緒に腹

一杯食べた。部屋中に飛び散った脂は床板に浸み込み、数ヶ月は臭いが残る。

L    マタイ伝;休日が続くと、寮生は故郷に帰宅する。我々は、ここを先途と、アルバイトで稼

ぎまくる。アルバイトが無い日、仲間の金を集めても30円しかない。知恵を結集し、寮内の

空き瓶、空き缶、古紙等を集め、業者を呼んで査定させたら、数百円になった。チラシ配布の

アルバイトで配布した筈のチラシも大量に発見した。和式トイレを跨いだら、「聖書」の「マ

タイ伝」が開いてあり、思わず笑った。布教の為に牧師が配布した聖書はトイレ付近で大量

に回収、現金化され、我々の胃袋に収まり、我々を救済してくれた。アーメン。

M    教科書は要らない?;教授の顔を知らずに追試のお願い行った失敗談は有名。そこで、1

は出席し、教授の顔を記憶する。先輩の「心理学」の教科書を短時間読み試験に臨んだ。

試験問題は回答できないが、計画通り「セツルメント活動で得た活動家の心理」を、解答用紙裏に

書きまくったら、単位が取れた。先輩から聞いた「単位取得ノウハウ」は貴重。

N    栄養補給作戦2年生の夏、寮委員長の過労か?急性腎炎に罹り、大学病院・長町分院に入

院した。早速、入院情報を女子大寮に流した奴がいる。しかも、「病人の好物」と称して、

自分が食べたい物の情報に付け加えた。「そろそろ見舞いが届いたろう。」と、病室に入り、

栄養を補充する作戦に利用された。当方は、4ヶ月余の入院の末、12月に退院。留年を覚悟

し、2年生後半から始まった「電磁気学」と「交流理論」には出席していない。

O    新郎の代役;寮で同じ釜の飯を食った連中は卒業後も仲がいい。「フィアンセを連れて仲人

へ挨拶に行くのは新郎」と相場が決まっている。所が、挨拶参上の日に、「外せない仕事が

発生した。俺のフィアンセを連れて、今日、仲人宅に挨拶に行ってくれ。」と友人に電話で

頼んだ元寮生がいる。仲人も、フィアンセも仰天して、今も語り草に。

                     ( 2008531寄稿)


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