〈アメリカの同時多発テロに思う〉(2001年9月15日記事)

アメリカで起こった同時多発テロ事件は、想像を絶するものである。

 このニュースが判るにつれ、数年前に読んだ「トムクランシー」「日米開戦」を思い出した。

 (本ホームページ平成12年5月号の「私の本棚」に紹介した)

読まれた方も多いと思いますが、皮肉にも「鶴マークのボーイング747」がアメリカの国会議事堂に

 突入し、事件が起こったという想定であった。大統領を始め、多くの議員や有力者が亡くなり、大混乱となった。

一部の狂信的な日本の実業家が中心となり、経済戦争と、前の敗戦の恨みで起こしたテロであった。

 今回と同じような危険が8年ほど前に、小説の形とは言え、予測・示唆されていたことに驚きを覚える。

ただ、この小説における日本人についての表現は、我々が自覚しているものと違い、白人の偏見もあり、

 まだ一人前の文明人扱いがなされていない感がするのは甚だ残念である。

予測されたこの種の航空機によるテロについて、アメリカを始め各国がなぜ手をこまねいていたのか、

 あり得ないとたかをくくっていたのか判らない。アメリカでの危機管理もこんなものかと言う疑問が残る。

日本の「サリン事件」も大変にひどいもであったが、今回の壮大?な事件は想像を絶するものである。

 危機管理については、各国とも真剣に考えなければ為らないだろう。

色んな考え方があっても、アメリカは星条旗のもと、国を挙げて、団結してこの難関を乗り切ると思う。

 負けて為るものかという、そのエネルギーが感じられる。どこか羨ましく感じられるのは、私だけだろうか?

一方、わが国では「政治家(屋?)」を筆頭に「官僚(外務・裁判所・警察etc)」の目に余る汚職・不祥事だらけである。

 更に「マスコミ」には信念も無い、付和雷同型の無責任体質で、世界観が乏しい。しかも世の中の人心の荒廃は全く嘆かわしい。

 今回のような事件が起こった時の対応では、事を日本人の個々の問題に矮小化してしまい、グローバルな観点に欠ける。

 問題が起こった時のみ神学論争に終始し、結果総括を先送りし、半ばうやむやにする国民性は、今後の世界の中では通用しないだろう。

日本としてなにが出来るか。なにをしなければ為らないか。非常に大切なところではないか。

 「小田原評定」をかさね、迷走だけは決してやってはいけない。湾岸戦争時、大金を出しながら、感謝もされず、「ただ無視される国」

 なってしまった経験がある。そう為らないためにも、ここが正念場である。

これからは世界観正義感を真ん中におき、変化している国際的な環境に対し、適切な対応が大切であろう。

 更に、身を律し日本人本来奥ゆかしく、礼儀正しい、しかも真面目な特性を再構築し国際的信頼を得ければならないと思う。

 また、最近失われてきた日本の安全の国神話を復活させたいものである。

 国内では、国民のコンセンサスをもった新たな国づくりのテーマを確立し、明治維新の時のようなエネルギーが必要であろう。


「トムクランシー」最後の大作(その後は共著のみ?)「日米開戦上・下」その続編「米国崩壊@〜C」は小説ではあるが、

 世界規模の舞台の中で繰り広げられるストーリーの大冊で、一読をお勧めしたい。



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