比翼の羽根

　

　

　

「あ〜、こんなに天気が良いのに部屋に篭りっきりで綺麗に歩く練習だなんて」
行儀作法の授業を真近に控え回廊を急ぐアリーナはぶつぶつと文句を呟いていた。回廊には春の暖かな風が吹いている。外を恨めしそうに見つめながら歩いていたアリーナだが、急に立ち止まると一人頷く。
「そうよ、こんな日は外が一番よね。うん、今日の授業はお休みにして……」
アリーナはくるりと回れ右をした。視界に入ってきたのは緑の神官服。授業をさぼりたい日には会いたくない人物の内の一人が着る制服だ。
アリーナはそろりと視線を上げる。
「行儀作法の教室は此方ではありませんよ、アリーナ様？」
アリーナの御付であり恋人でもある神官クリフトはこの上なく優しい微笑を浮かべる。
「……今日は見逃してよ。こんなに天気が良いんだし」
「駄目です。ブライ様からも厳しく言付かっております」
クリフトはぴしゃりと跳ね除ける。アリーナは一瞬しょげた表情を見せるが、気を取り直して再び攻撃を開始した。
「だって、私……クリフトとお散歩がしたかったんだもの」
アリーナは効き目があるのを知っている上目遣いの視線をクリフトに投げ掛けた。クリフトは一瞬怯んだが、咳払いをして自身を落ち着かせる。しかし、長年側に居てクリフトの何気ない仕草から心理状態を読み取る術を会得したアリーナは追撃の手を止めなかった。
「クリフト、此処最近ずっと忙しいじゃない……私、寂しかったんだよ？」
アリーナの作戦だと百も承知のクリフトだが言葉に詰まる。
現在クリフトはサランの神学校の講師をしており、昼間は学校に詰めている事が多い。神官との午後のお茶のひと時を長年楽しみとしていたアリーナが本当に寂しいと思ってくれている事も知っている。
「……解りました」
ブライ様、申し訳ありません。姫君のお願いに弱いクリフトはあっさりと白旗を掲げる。
「本日の行儀作法の授業は明日の神学の授業と入れ替えて貰います。明日は必ず受けて下さいね？」
「うん！有難う、クリフト大好き！」
アリーナは人目を気にする事無くクリフトに抱きついた。くすくすと笑いながら側を通り過ぎていく女官達に会釈を返しながら、クリフトは自身の手を恋人に回すべきか恋人を自分から離させるべきか、考えに窮していた。

The feather of the single garment made to look double at the sleeve and skirt

「あ、白鳥よ。何しているのかしら？」
クリフトの腕を取りながら白鳥の居る庭園側を通りかかったアリーナは足を止め、不思議そうな表情で羽根を切る職人達を見つめる。良く見ると職人達は手際よく左の羽根の一部のみを抜いているようだ。
アリーナはクリフトを見上げる。
「何で羽根を取るの？それに左の翼からしか取っていないわ」
「あの羽根は羽根ペンの材料になるからです。姫様も使っているでしょう？」
アリーナは頷き、再び作業を見つめる。
「良質の羽根を得るには、春、生きた鳥の翼から翼端に近い風切り羽根を抜き取る必要があるんです。左の翼から取った羽根は右利きの書き手に使い良いので好まれるんです。左利きの私には使い辛いので、たまに右の羽根を頂きに此処へ来るんですよ」
「そうなんだ」
二人の会話を耳にした職人が愛想の良い微笑を見せる。
「クリフト様、羽は御入用ですか？」
「あ、はい。お願いします、今の羽根先ももう直割れそうなので」
クリフトはまだ風切り羽根を取られていない白鳥をざっと見つめ、選ぶとそっと捕まえる。
「このお転婆な白鳥の羽根を頂きましょう。可愛らしいまん丸の瞳が姫様そっくりですから」
「もう、意地悪ね」
苦笑するアリーナの側でクリフトは丁寧に羽根を抜き取る。白鳥はびくりと身体を震わせた。
「それは羽根ペンなの？私のと違う気がするけど」
何時も自分が使用している羽根ペンを思い出しながらアリーナが問う。
「勿論、この後加工するんですよ。抜き取った後羽根を整形し、インクが染みる様に根元に切れ目を入れるんです。姫様や貴族の方の物は職人の皆さんが細工を施したりもします」
「ふうん……、ねえ、風切り羽根ってこれ？」
アリーナはしゃがみ込み、先程クリフトが羽根を拝借した白鳥の左の羽根の一枚を指差す。
「ええ、そうです。……ちょっと姫様！」
クリフトは慌ててアリーナの手を制すが、既に風切り羽根は抜き取られ、姫の手の中にあった。
「姫様はこれより上等の羽根ペンを持っていらっしゃるじゃないですか。無闇に抜いてはいけません」
「でも、この子の左の羽根が欲しかったんだもん」
「……？」
クリフトは首を傾げる。アリーナは少し頬を染めながら可愛らしく尋ねる。
「比翼の鳥って、知ってる？」
雌雄が各々翼と瞳をひとつずつ持っており、雌雄一体となって飛ぶという番いの鳥。大昔に存在したという鳥とどういう関係があるのか解らないクリフトが黙したままなのを知らないと思ったのか、アリーナは説明を続ける。
「大昔にはね、片方の翼だけを持っている鳥が居たんだって。右翼のみを持つ雄と左翼のみを持つ雌の鳥は何時も互いの翼を羽ばたかせて一緒に空を飛んでいたのよ。互いを支え合って生きる鳥……素敵よね」
羽根を胸の前で持ち、アリーナは柔らかく微笑む。
「私達もそうなれたら良いわね。……ううん、きっと私達も互いを支え、二人一緒でないと空を飛ぶ事が出来ないわ」
「ええ、……そうです」
王女を抱きしめたい衝動を何とか抑えた神官は、自分が持っている羽根と交えるように王女の手を取った。
「私達も片方の翼同士を併せていきましょう」
大丈夫。クリフトとアリーナは絡めた互いの手に力を込める。
二人一緒ならどんな困難だろうと立ち向かい、何処までだって飛んでいける。
私達は、比翼の鳥、だから。

　

ＳＳ作・阿川さくらさま

イラスト作・ばーにん

　

---