秋深まる洛外を訪ねて(京都府 2009.11)

大原の里 三千院〜嵐山・嵯峨野〜栗生の里 光明寺



大原の里 三千院


大原の里は市街地を抜けた京都の北東に位置し、山々の間の里地である。 大原の地は魚山と呼ばれ、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至っている。
三千院は皇子、皇族が住職を務めた官門跡でありいわゆる格調の高い寺であったが、 地元で採れた花を売る大原女は皇子や皇族の生活費の稼ぎのためであった。

大原の里から呂川のせせらぎを聞きながら上ると三千院に
三千院は天台宗三門跡に数えられる古刹。
宸殿(しんでん)より庭園を望む風情は世の喧騒とはかけ離れた別世界
杉木立と苔が美しい有清園。
紅葉の有清園の奥には国宝の阿弥陀三尊像が納められている往生極楽院
平安時代の寛和二年(986年)に建立された往生極楽院から宸殿(しんでん)を望む 
三千院から大原の里に下る小道には風情ある茶店が並ぶ
小道の左側からは呂川のせせらぎが聞こえ夏でも涼しげであった
嵐山から嵯峨野


嵐山・嵯峨野は京都市街地から西側の洛外。 化野(あだしの)念仏寺付近より嵐山から嵯峨野への散策へ

嵐山は平安の昔から貴族たちが紅葉狩りや船遊びに興じた風光明媚な景勝の地である。 京風の風情のある静かな家並みの道を歩んでいくと祗王寺に。
祗王寺の門に至るなだらかな階段は緩やかに曲がり女性的な紅葉模様
祗王寺から200mほど歩くと二尊院の門が。 二尊院の門の奥には奥深く紅葉の道が続き、大自然の中に調和された紅葉の参道は いかにも京都らしさを感じさせる
嵐山に隣接する嵯峨野は、かつて世をはかなんだ人々が隠居したところ。
「源氏物語」や「徒然草」など多くの文学作品にも描かれた、 風情あふれる神社仏閣や庵がのどかで素朴な田園風景の中に点在しています。

写真右は芭蕉の高弟・向井去来が晩年を過ごした庵の落柿舎を望む嵯峨野の風景
この庵には芭蕉も訪れ「嵯峨日記」を記した。
嵯峨野の落柿舎の斜め横の高台にあるのが小倉山・常寂光寺。 小倉山の山裾にある常寂光寺は、嵯峨野随一の紅葉の名所であり、 常寂光寺の境内からは嵯峨野が一望できる。 藤原定家が「小倉百人一首」を編んだ山荘・時雨亭があったとされる。
昨夜の雨は朝方に上がり常寂光寺に着いたころには青空から陽がさし始め、 見頃の紅葉がいっそう際立って見える。
常寂光寺の鐘楼も紅葉に染まって華やかに見える。 つれづれ草の一節、「諸行無常の響あり」とはこの鐘の音だっただろうか。
常寂光寺を後にして小倉池を通りトロッコ嵐山を抜けると竹林の道。
うっそうとしたなかにも手入れの行き届いた竹林に秋の光が差し込むさまは竹林の美しさを引き立て 竹取物語を連想させられる風景であった。
この地域ではこの竹で竹細工が営まれ生活の糧でもある。
嵯峨野の散策の終点は桂川に架かる渡月橋。
桂川は昨夜の雨で水量が多く上流の保津川下りは中止されていた。
栗生の里 光明寺


嵯峨野を後に南へ下って光明寺へ。
京都の西南、西山連峰が穏やかな稜線を描き、美しい竹林や杉、松の森に囲まれた栗生の里は、 800年前に法然上人が初めて「お念仏」の教えを説かれたところ。

この栗生の里の長閑で四季の変化に富んだ風景の中に立つのが光明寺。
総門から薬医門を経て玄関にいたるゆるやかな坂道の参道は、もみじ参道と呼ばれ両側から楓の木々が大きく 枝を伸ばし、紅葉の季節には華やかな紅色のトンネルになります。

今回の紅葉狩りではまだ見頃前でしたが、 長い参道の楓が真っ赤に紅葉しハラハラと散った楓が参道を埋め尽くす風情は、 今年のJRのポスターによる京都キャンペーン風景でした。
   
 
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