夏の尾瀬紀行(群馬県形品村、福島県檜枝岐村 2007.07)



新宿を深夜バスで一路尾瀬へ。
私は38年ぶりの、妻は初めての尾瀬である。
翌朝4時、まだ暗い尾瀬戸倉に到着。小雨は上がっていた。 夜が白みはじめるころ尾瀬戸倉から尾瀬の入り口・津奈木へ。ここからはマイカー規制されている。
5時に津奈木のゲートが開けられ鳩待峠まではマイクロバスで10分ほど。
鳩待峠は昨夜の雨で霧に覆われていた。軽い食事を済ませ6時鳩待峠を出発する。
鳩待峠から木道沿いに最初の目的地・山の鼻に向かう。
あたりはブナやミズナラの樹林で、白神山地に似た趣きである。 霧も晴れ、眩しい光が樹林に差し込んできた。
清々しい空気、鮮やかな緑、ウグイスの美声。身も心も洗われる思いだ。
山の鼻は至仏山の麓。その麓には尾瀬植物研究見本園が広がっている。
アザミが見ごろで鮮やかな赤紫色の花弁を見せてくれた。
山の鼻を出ると尾瀬ヶ原である。
尾瀬ヶ原は東西6km、南北2kmの本州最大の湿原。
この時期には非常に珍しい晴天に恵まれ尾瀬ヶ原を渡る風が心地良い。
前方に見える燧ケ岳は標高2356m 東北地方の最高峰で百名山に選ばれている。 38年前にあの燧ケ岳に登った時、眼下に雪解けの尾瀬沼が神秘的に見えたのを鮮明に覚えている。

尾瀬ヶ原の湿原は木道で守られているが、ヘリコプターで木道を運ぶのに 1トンで15万円かかるそうだ。尾瀬ヶ原の木道は歩くだけでも歩ききれないほどだが、 これを維持するには途轍もない費用と労力がかかっている。
湿原の草間に咲くキンコウカ。
昨夜の夜露の雫が残り緑一面の湿原に黄色い花弁は目にも鮮やか。
湿原にポツリポツリとピンクが目立つ。トキソウである。
ピンクのシュンランランを思わせる。
今花盛りのニッコウキスゲ
ノカンゾウの仲間らしい。

背負子で高く積んだ荷物を背負って木道を歩く歩荷(ぼっか)を見かけた。 尾瀬にも売店があるが運搬は人力に頼らざるをえない。 山小屋での食事は食べ残さないようにしないといけない。 尾瀬では焼却ができないので尾瀬の外へ運び出すそうで、これも労力のいる仕事である。 歩荷は尾瀬ヶ原にある11軒の山小屋にほぼ毎日荷を運び、代わりにごみなどを受取って 峠に戻る。往復20kmを歩くときも。 もともと尾瀬の輸送の主役は馬だったが、大量の馬フンが環境問題となり50年代から 歩荷が主役になっている。輸送手段にヘリコプターもあるがコスト高のため尾瀬では 歩荷が主役となっている。
竜宮小屋から至仏山を望む。
至仏山は2228mのなだらかな女性的な山容。 百名山に選ばれており尾瀬随一の高山植物の宝庫と言われる。
朝方、山の鼻から見た至仏山は頂上まではっきりと見えたが、 昼近くになり幾分雲に覆われだした。山の天気は変化が早い。
竜宮小屋からヨッピ橋経由で見晴に向かったが東電小屋近くの橋が流されており、 ヨッピ橋で引き返し、竜宮小屋から本日の宿がある見晴に向かう。
道すがら真っ白なオサバ草が咲いている。

見晴の山小屋に着いたのは午後2時30分。夕方、山小屋の風呂に入ると少し硫黄の匂いがして温泉気分になった。 夕食。木曜日というのに64席は満席。

夕暮れ。見晴の山小屋から尾瀬ヶ原に薄暗い至仏山が浮かんで見える。至仏山の麓に白い雲がたなびき 墨絵のように幻想的な風景を見せてくれた。
山小屋の朝は早い。4時にはこそこそと人の動きが始まる。つられて5時前に起きた。 空は曇っているが朝の空気は格別に旨い。
朝食をいただき6時55分山小屋を出発し平滑の滝、三条の滝に向かう。
赤田代を過ぎ、温泉小屋の近くで休憩。ヤマオダマキが綺麗な容姿を見せてくれた。

尾瀬ヶ原には所々にトイレがあるが、汚物をそのまま流すわけにはいかず、 トイレの処理には多大な費用がかかるとのこと。尾瀬ヶ原のトイレには100円程度の寄付を お願いする箱がおいてある。尾瀬ヶ原に多くの人が入ることで尾瀬ヶ原の自然の バランスが崩れないよう守るためには屎尿処理は重要な課題だ。
温泉小屋を過ぎたころから木道はなく、急な山道を下っていく。 所々清水が流れ足元も悪い。しばらくすると川が激しく流れる音が聞こえてきた。
平滑の滝の音だ。
平滑の滝は長さ500m、幅50mに渡り一枚岩を滑るように流れる。
豪快な三条の滝に対し、平滑の滝は滑らかさから女性的な滝と言われる。
平滑の滝を更に下ると三条の滝だ。
高さ100m、幅30mの豪快な日本一の大瀑布である。
只見川として新潟県に流れ込む。

尾瀬ヶ原、尾瀬沼は四方を山に囲まれ、山々や尾瀬ヶ原に降った雪や雨は 沼尻川やヨッピ川となって尾瀬ヶ原を抜け、只見川となる。 水芭蕉の咲く雪解けのころ水量は最大となり三条の滝はより迫力を増す。

2日目の大きな目的は、38年前に見たこの豪快な三条の滝を妻に見せることであった。 ここへ来るまでの道のりは厳しいが、誰もが来た甲斐があると感想を述べていた。
三条の滝を後にして1時間ほど急な山斜面を登ると燧裏林道。
燧裏林道はブナ林にクマザサが生い茂り変化に乏しいが、木道の近くにゴゼンタチバナが白い花を見せる。 時々ウグイスの美声と縄張り争いの声が聞こえてくる。山の天気は変わりやすく燧裏林道の途中で小雨が降ってきた。

燧裏林道には立派なブナが目立つが残念なことにナイフでいたずらされた傷が痛々しい。 昭和50年とか1965年と彫られており、30〜40年前の傷は木の成長とともに広がっている。 200年、300年と消えない傷である。
燧裏林道を抜けると田代が所々に点在し、御池田代には白い綿を思わせるワタスゲがまだ残っていた。
御池田代から西方を望むと至仏山に残雪が見える。 小雨降る御池田代から山を下り午後1時終点の尾瀬御池にたどりついた。

38年振りに訪れた尾瀬。ビジターセンターやトイレが整備されたが尾瀬の風景は変わっていないように見えた。 多くの入山者が訪れるようになって観光と自然保護との相反する両立に不断の努力があるのだろう。 1970年代にはスーパー林道の道路問題が、今は1960年代に埋められた空き缶などの処理課題がある。 尾瀬は日光国立公園から独立して尾瀬国立公園となるが、ラムサール条約の登録地として変わらない尾瀬が続くことを願う。
   
 
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