風薫る武蔵野開拓の地(埼玉県所沢市・入間郡三芳町 2005.04)


今から300年ほど前、川越藩主・柳沢吉保の命で開拓された『三富新田』(さんとめしんでん)。
三富新田は1400haにも及ぶ広大な土地であった。三富新田は短冊型の開拓地で一軒の地割は屋敷林・耕地・平地林から構成されています。

みどりの日に三富新田開拓の拠点・中富にある多聞院と上富にある多福寺を散策してみました。
三富新田には農民たちの菩提寺となる多福寺が、そして祈願所として毘沙門社が建てられました。

毘沙門社の隣りにある多聞院【右】は目映い新緑に囲まれていました。


多聞院の境内にはたくさんの楓があり、楓の胞子が敷き詰めたように落ちていました。

時折吹く風に楓の小枝が揺れ、軒先に映る楓は目映い。




「やま」と呼ばれるコナラやクヌギの平地林。いわゆる武蔵野の林である。
落葉樹であるコナラやクヌギの葉は冬に掃かれ、堆肥となって畑に還元されてきた。
また、この武蔵野の林が水蒸気を生み狭山茶を育てている。

多聞院から多福寺まではこの平地林で繋がっている。
八十八夜も近く林を一歩でると風もなく暑さで汗をかくほどだが、 平地林の中は林が風を呼び風が吹き抜けて行く。まさに天然のクーラーである。
緑薫る風がなんとも身体に心地よい。
コナラとクヌギの林を気ままに歩くと緑の中に鮮やかな朱色のヤマツツジが出迎えてくれた。

ちらほらと咲くヤマツツジは決して華やかではなく、清楚な感じが漂う。

三富新田を開拓した農民たちの菩提寺である多福寺の山門【右】は今年も新緑に彩られていた。

当時の農民たちは、生活のために育てた雑木林が後世に環境的に貴重な武蔵野の雑木林と呼ばれるとは夢にも思わなかったであろう。

多福寺は緑に囲まれ、時々鳥の声が聞こえるだけの静寂さ。
手入れの行届いた庭園には藤やツツジが新緑を背景に輝き、 一際鮮やかなシャクナゲが目を引いた。


多福寺の端に竹林があった。
竹林は生活の具。八本バサミと呼ばれる大きな竹篭は落ち葉を入れる道具であり、 大小の籠類は金品を得る生活の糧でもあった。
旬の竹の子が頭を出しここにも300年の息吹が続いていた。


   
 
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