秋田県南部の3地域から、水にまつわる、と言えばこじつけ臭いが辛抱を。 まずは、象潟。太平洋側の松島と並び、芭蕉が恋焦がれた日本海沿いの地。 芭蕉の頃は松島のように、海にいくつもの島が、それこそ恨むがごとく 浮かんでいたらしいが、百年ほど後の地震で土地が隆起し、島が地続きに なり、その後の干拓を経て今に到っている。それでも小高い丘は、 かつて島だった面影をその松に宿している。そんな目で見ると、 ここにもあそこにも。 【象潟】 |
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次に、秋田市にそそぐ雄物川随一の川湊 角間川。 平成の大合併で大仙市となった旧大曲市のはずれ、雄物川に支流の横手川が交わる 一角に、かっての水運によrる繁栄の跡を残す浜蔵が2棟。 今では訪れる人も稀のようだが、物流の拠点として大きな賑わいを みせていたという。近くには、かっての豪家と思われる板塀の家が並び、 今でも様々な表札を掲げて生活が営まれている。ちなみに、この近くの 神宮寺というところから秋田までは、陸路であれば2日かかるところを 舟でくだれば9時間だったという。 【角間川の浜蔵】 |
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【角間川から雄物川方向の眺め】 |
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最後が、六郷町。やはり合併で美郷町と名を変えたが、知る人ぞ知る 清水と寺の町。大きくもない町の中には30ケ所近くの清水が湧き出て、 今でも生活に利用されているという。明治の初めに日本を訪れ、 東北地方から北海道の農村を廻って 「日本奥地紀行」を著わしたイギリスの 探検家 イザベラ・バードはこの地を訪れ、当時の仏式の葬式の様子を詳しく 書いている。そして、六郷の寺の美しさにも触れているが、清水については 記載がない。おそらく、湧水という自然の恵みの利用は、昔は日本のいたるところで 見られ、特段触れる必要も感じなかったのではないだろうか。 【六郷の清水】 | ![]() |
【兄山女の歌】 象潟の丘の小島の残り松うらむがごとく傾きいるかな 雄物川わたりてきたる風もなく浜蔵ふたつ桜に眠る 透明な池の底から湧き水の泡たちおこりまたしづまりぬ ゆくりなく小野小町が硯持ち挨拶するよな六郷の町 【六郷の清水】 |
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