能登の夏(石川県 奥能登 2004.08 by 兄山女)


夏の奥能登からの画便りです。

もうかれこれ三十年近く、毎年夏は能登半島先端の珠洲市に 足を運ぶことにしています。四半世紀以上、その意味では第二の 故郷。何故か、理由は単純、女房の生まれ故郷であり、実家には 今でも義母が一人住んでいます。
「能登」と言うと決まって「輪島」ですか、と訊かれますが、富山湾に 面し、対岸には秀峰立山をのぞむ珠洲市。今まで、原発問題で揺れて きましたが、これからは元気に自分の足で立ち直りゆく街です。 かっては北前船の寄港地、その賑わいは海岸沿いの家並みが面影 を宿しています。風格ある構えと黒く輝く瓦屋根。平家の落人が逃れ 住み着いた土地といわれるだけに、家、自然、そして住む人々に 品格を感じ取るのはひいき目過ぎるでしょうか。
能登のイメージは、小説や歌でこれまた「冬」が固定されている ようですが、どっこい、能登の夏の清々しい陽光が碧い海や緑の 丘陵にふりそそぐ中に身を置くと、何かからだの奥のDNAが呼応して くるような思いになります。

近くに縄文時代の大掛かりな遺跡が 残り、大伴家持が越中の国守時代に視察に訪れ、詠んだ歌が 万葉集におさめられ、珠洲焼や特産の珪藻土を利用した七輪など 素朴な手触りの焼き物、そして海水浴に最適な静かで美しい 海、ゆったりとした時の流れです。
奥能登(除く、輪島市内)はメジャーではないかもしれませんが、いわゆる観光 スポットがあり、定番は見附島(軍艦島)・狼煙の燈台・揚浜塩田・平家の 落人の館といわれる時国家そして行政区画上は輪島市に入りますが、 ほとんど珠洲市との境の千枚田(棚田)がその代表です。
とりわけ千枚田は奥能登のシンボルとも言える存在で、それなりに知られており 、田んぼの数を数えていたが999枚しかみつからない、仕方ないので立ち上がって 茣蓙だか蓑だったかを取り上げたらそこに1枚田があったという言い伝えも 伝わり、詩にもなっています。
かっては、上野から夜行列車を乗り継ぎ、半日以上かけて行ったものですが、 昨年七月にようやく能登空港ができ、羽田からは飛行機と車で、 2〜3時間で行ける身近な場所となりました。当時は、夏休みの 家族を実家に残し、湾沿いに走る列車の中から沈みゆく夕陽に 別れを惜しんだものです。


牧畜民族の「グローバリゼーション」というライフスタイルやテンポに 疑問を感じるとき、そして立山の頂から海を渡って吹いてくる風が 緑を揺るがす静かな時の流れに身を任せたい方を、能登は土までも 優しく待っていてくれます。






【奥能登】

奥能登にアスファルト照り人の影
ふとコカ・コーラ恋しくなりぬ

能登やさし土もやさしく水までも
まろく湧きいづ蝉しぐれ受け

のきしたの赤銅色の肩先に
男のしごと場塩釜ひかる

千枚にひとしくわたる風をうけ
棚田は白穂の海へ降りゆく

潮風に赤く錆びたるドラム缶
海紋占う日々はすぎたり

その人も駅舎を優しくなでるよに
カメラに収め蛸島を去る

夏草の甘き香りの鉢ヶ崎
黒瓦焼く高炉をすぎて

今日もまた少女の足を洗いぬき
海は充ちたる想いに凪ぎぬ

対岸に富山の灯りともるころ
海は盛夏の定紋浮かべる

海をみるひたすらまたたく星たちと
語らうために凪いでいる海

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