ハッピーナイト・シンデレラ

真下マヒロ・作

「シンデレラの語源って何だ。ジャック」
 屋根の上で蒼い月を眺めているエースが傍らで家に忍び込む準備を進めているジャックに聞いた。
「フランス語で『灰だらけ』って意味だよ」
 ジャックが屋根から突き出した太い煙突にロープを巻き付けながら言った。
「じゃあ、ここはフランスかい」
 エースが腰から下げた刀を背中のベルトに付け直しながら聞く。ジャックが小さな声で「よし、できた」とつぶやいてから言った。
「さあどうかな。架空の国ってことでいいんじゃない」
「年代も不明か」
 ジャックがポケットからメモ用紙を取り出し、ペンで何やら書き込む。その作業をしながら面倒くさそうに答える。
「国王や王子様がいるんだから中世だろうね。準備はいいかい。そろそろ始めるよ。まず、時計を合わせよう」
 エースは左腕を突き出した。腕時計の針をジャックの時計と合わせる。
「オーケー。説明を始めてくれ」
 メモ用紙を見ながらジャックが説明する。
「これから『魔法使いのお婆さん』に扮したクイーンがシンデレラを訪ねる」
 エースの脳裏には妖艶でグラマラスなクイーンの姿が浮かんでいる。
「あのクイーンがよく婆さんの役なんて承知したな。まあいい。それから」
「シンデレラが彼女と会話をしているうちに道具をすべて整えるんだ。かぼちゃにネズミにハツカネズミにトカゲ、そしてガラスの靴」
 エースが言われるままにバッグの中の持ち物を確認している。かぼちゃとネズミとハツカネズミとトカゲとガラスの靴と…。エースはガラスの靴を自分のブーツと合わせてみながら言った。
「シンデレラって足、小さかったんだな」
「だからこそ誰の足も入らなかったのさ。いや、この場合過去形で言うのはおかしいか。これから起こることだもんね。ああ、それと御者の服装は用意したかい」
 エースは黒装束の襟元を開いて見せて「この下に着てるよ」と言ってニヤっと笑った。 ジャックは手でわかったというポーズをしてみせて「オーケー。じゃあ僕は城の方に行ってるから」と言って屋根から下り始めた。
エースは「舞踏会で会おう」と言って煙突に足をかけた。ロープの先にバッグを結びつけて煙突の中に垂らす。エースは煤で真っ黒な煙突の中に入りながらぽつりとつぶやいた。
「これじゃあ俺が『灰だらけ』だな」

 『魔法使いのお婆さん』に扮したクイーンがシンデレラの家に着いたのはエースが屋敷に忍び込んでからすぐのことだった。彼女は黒いマントと大きな黒い帽子の衣装で顔には長い付け鼻をしている。右手に持ったステッキで家のドアを叩いた。
「ごめんくださいな。シンデレラさん、いらっしゃいますか」
 家の中から「はーい」という返事があって足音が近づいて来るのが聞こえた。クイーンは小声で自分に言い聞かせている。
「あなたは魔法使いのお婆さん。かわいそうなシンデレラに夢を見させてあげる、最高に気の良い魔法使い。かぼちゃの馬車にネズミの馬。トカゲの家来にハツカネズミの御者。ああそうか、御者の役はエースがやるんだっけ。夢の期限は十二時の鐘。ガラスの靴を忘れずに。オーケー、クイーン。それがあなたの役目よ」
 ドアが開くまで彼女はずっと一人でブツブツ言っていた。
 ドアが開いた。上目遣いに少女がクイーンを見ている。正確にいうとクイーンの付けている付け鼻を見ている。
「どなた様ですか」
 クイーンは変装がばれたのではないかとどぎまぎした。
「シンデレラや。おまえは舞踏会に行かないのかい」
 クイーンが風邪をひいたような声を無理矢理出して言った。それに対してシンデレラがふやけた手を前掛けで拭きながら答えた。水仕事でもしていたらしい。
「ええ。私は家の仕事がありますから」
「家の仕事なんて帰って来てからでも出来るでしょう」
 シンデレラが少し悲しそうな顔をして答えた。
「たとえ行けたとしても私には着ていくドレスもないんです。それに私、そんな身分じゃないですから」
「ああ、かわいそうなシンデレラ。おまえを舞踏会に行けるようにしてあげましょう。かぼちゃとネズミとトカゲとエース…じゃなかった、ハツカネズミを用意しなさい」
 学芸会みたいな口調で言い終えるとシンデレラの顔色を伺った。突然の話にシンデレラはきょとんとしている。
「さあ、早く。舞踏会が終わってしまいますよ」
「でも。かぼちゃなんて無いです。ネズミとかトカゲとか。どうやって用意するんですか」
「いいから。台所に行って見てきなさいな」
 シンデレラは怪訝そうな顔をしながらも台所の方に走っていった。
 クイーンは付け鼻を外してほっと息をついた。

 台所に走ったシンデレラは竈の横にかぼちゃを見つけた。その横に何故か籠に入ったネズミとハツカネズミとトカゲを見つける。シンデレラの頭にはいくつもの?マークが浮かんでいるが、とりあえずそれらをもって玄関の『魔法使いのおばあさん』のもとに急ぐ。
 エースはその時、竈の中に隠れていたがシンデレラが台所を出ていくのを見て竈から出て着ている黒装束を脱ぎ御者の服装になる。
「これからが問題なんだよな」

「用意しました」
 シンデレラが手に持っていたそれらをクイーンに見せた。
「では、始めましょうか。まずは外に出ましょう」
 ドアから出たクイーンの後ろからシンデレラがついてくる。何もない広い場所まで来るとクイーンはシンデレラに「その手に持ったものを置いてちょっと離れていなさい」と言って深呼吸した。シンデレラは素直にそれに従う。
 クイーンは手に持ったステッキを振り回して気合いを入れた。途端に煙が周囲を包み込んだ。
 煙が晴れるとそこには馬車と馬があった。馬車には御者の姿のエースがちゃっかり乗っている。その隣にトカゲで出来た家来が長い槍を持ってちょこんと座っているがそれはいわばオブジェみたいなものだからこの際どうでもいい。
 シンデレラの服装は汚い普段着からきらびやかな純白のドレスになっていて、化粧までしている。確かに王子様が一瞬で恋に落ちるだけの美貌をもっているんだなとクイーンは思っていた。
 そしてクイーンは一番大事なものをシンデレラに渡す。煙で周囲が見えなくなっている時にエースから手渡されたガラスの靴。これだけは綿密な寸法が必要だったから魔法に頼る事をやめたのだ。シンデレラがそれを受け取る。
「その靴はダンスシューズですから舞踏会会場で履き替えてね」
「はい。わかりました」
「これであなたは舞踏会に行けますね、シンデレラ」
「はい。ありがとう」
「でも十二時の鐘が鳴ったら魔法は解けてしまいます。そこのところを気をつけてくださいな」
 クイーンは「なぜ十二時の鐘までかっていうとね。あなたが王子様に喰われない為なのよ」と言おうかとも思ったが純情可憐なシンデレラにそんなことを言っても通じないなと考えなおしてやめておいた。
 シンデレラがエースに手を取られ馬車に乗り込む。クイーンはそれを見ながら「じゃあ、楽しんでくるのよ」といってシンデレラに手を振った。シンデレラもそれに答えて頭をペコリと下げた。

 城。舞踏会会場は華やかな衣装とゆったりとした音楽で満たされていた。
 その片隅にジャックとクイーンの姿がある。クイーンは『魔法使いのお婆さん』の格好から真赤なドレスに着替えていて高貴な雰囲気を漂わせている。
「やあ、早かったね。クイーン。いや、侯爵夫人様」
 どこかの伯爵の家来といった様相のジャックがクイーンに言った。
「なんで私が魔法使いのお婆さん役なのよ」
 赤い口紅が艶やかに光る口唇を微細に動かしてクイーンが言う。ジャックが眉毛を少し動かして笑った顔を作りながら答えた。
「魔法を使えてさらに変装が出来るのは君しかいないんだ。…エースは手筈通りやっているかな」
「まあね。途中でシンデレラを襲ってなきゃいいけど。ねえ、王子様ってだれ?」
 クイーンはほとんどジャックの問いかけに関心を示さないまま舞踏会会場内を見回している。
「ほら、あそこにいるキラキラした服を着た白いタイツの青年。あれが王子様だよ」
 クイーンがジャックの目線の先にいる青年を見た。ダンスを楽しんでいる貴族たちの向こうで青年は周囲を家来に囲まれ、恰幅のいい中年の男と話をしている。どこかの国の大臣であろう。クイーンはずっと王子様を眺めていたが品定めがついたらしく、目線をジャックに移して言った。
「あんなヤサ男のどこがいいのよねぇ」
「何ていっても王子様だからね。あどけない少女達の夢と希望の象徴さ」
「私、ちょっと挨拶してくる。あとでシンデレラを紹介しなきゃいけないからね」
「どうぞ、侯爵夫人様」
 クイーンが周囲にゆとりのある笑顔を振りまきながら王子の方に歩いていった。
 ジャックはその姿を見送ってから「順調、順調」と一人つぶやいた。 

 人気のない農道を場違いに豪華な馬車が走っていく。馬を操る御者はエース。エースは思っている。
「こういう場所にこんな豪華な馬車が走っていたら、目立つよな」
 ちらりと馬車の中をのぞき込むと座っているシンデレラと目が合う。シンデレラはにこりと微笑む。
「やばいよな。賊に囲まれたら俺一人だもんな」
 エースは横に座っているトカゲの家来を見た。いくら人の格好をして長い槍で武装していてもトカゲはトカゲだ。信頼はできない。
 エースが何故こんなに不安そうなのか。それはエースが持前の嗅覚で賊の気配を感じ取っていたからである。エースは馬に鞭をあてる。このような辺鄙なところは一気に駆け抜けてしまったほうがよいのだ。
 スピードをあげようとしたその刹那、エースは馬の蹄の音が多数聞こえてくるのを知った。
「きたか!」
 エースは剣に手を掛ける。
 馬の集団が見えた。砂煙を上げて馬車の右方向から急速に近づいてくる。
 エースは身構える。賊の一人が馬車のすぐ近くに並走した。
「その馬車止まりやがれ!」
 その男が濁声で叫んだ。しかしエースも負けてはいない。
「止まれって言われて止まる奴がいるか!ベタ野郎!」
 そう言って立ち上がる。
 賊が馬車を取り囲んで走る。剣を振り回し今にも襲いかからん様相である。エースはその取り囲んだ賊を見回し、一瞬で賊の長が誰なのか見極めた。賊の一人が馬車の馬を止めようと近づいてくる。エースはトカゲの家来が持っていた長い槍をつかみ取り、それでその賊をひっぱたく。その賊は馬から転げ落ち遙か後方に消えていく。エースは賊が乗っていた馬に飛び移って手綱をとった。
エースは「おい、馬車は頼むぞ!」とトカゲの家来に叫んだ。トカゲの家来はあわてた様に馬車馬の手綱をとって何とか馬車をまっすぐ走らせる。
 エースは「それで充分」とつぶやいて賊の長と思わしき賊に馬を寄せる。
「貴様、この馬車を王族の馬車と知っての狼籍か!」
 エースが出任せを叫ぶ。まあ将来の王子のお后であるシンデレラが乗っているんだからあながち嘘ではない。
「王族とは好都合!皆、馬車を奪え!」
 実をいうとエースはこいつが本当に長かどうか判断する為にカマをかけたのだが、まんまと乗ってきた。エースが槍を賊の長に投げつける。怯んだ賊の長にエースが飛びつき剣を抜いて賊の長の首に剣をあてがう。
「やい!賊ども!そのきたねえ面をこっちにむけてみろ!てめえらのご機嫌な長は剣におびえる坊やになっちまったぜ!止まらねえとこいつの頭はドッヂボールになっちまうぜ!」
 賊が一斉にエースの方を見た。
「皆。止まれ」賊の長が裏返った声で喚いた。賊たちの馬のスピードがどんどん落ちていく。そのすきに馬車は賊を振り切って遙か前方まで逃げ失せた。
 完全に止まった賊の集団の中央で賊の長に剣をあてがいながらエースは思う。
「馬車さえ行っちまえば後はなんとかなるさ」
 エースはゆっくりと賊達を見回した。

「遅いなエース。大丈夫かな」
 ジャックが窓から外をみながらつぶやく。遅いと言ってもタイムリミットの十二時の鐘まではたっぷり時間がある。ただ、早いほうがいい。
 ジャックはさっきからお后外交を繰り広げているクイーンを横目でみながら、「あれだけすんなり溶け込んじゃうんだもんな、すごいよな」と感心している。が、クイーンが酒を進められるままに飲んでいるのが気になる。だが根回しは順調なようだ。それをちゃんとしておかないとシンデレラは王子様とダンスを踊ることができない。「エース、ちゃんと舞踏会の作法のほう、教えてくるかな」

 エースが賊達にきつーいお仕置をしてから馬車に追いついたのは街にさしかかる直前であった。エースは賊から奪った馬で馬車の横につき、トカゲの家来に馬車を止めるように言った。
 エースが馬から下りて馬車に足を掛けながら中をのぞき込む。
「ああ、えっと。シンデレラ様」
「はい。何でしょう」
「大丈夫ですか」
「えっ。何がですか」
 まさか、この娘、気づかなかったのか。エースは危うく馬車から転げ落ちるところだった。
 エースは馬車に座って馬の手綱をとった。思いも寄らぬ賊の襲撃で多少タイムロスしたが大した事はない。それよりも彼は城に行くまでにシンデレラに確認しておかなければならない事があった。それはジャックから再三確認しておくようにと言われていた事であった。
「シンデレラ様。あなた、舞踏会に出た事はありますか」
「ありません」
 シンデレラは妙にきっぱりと答えた。
 予想した事ではあるが、あまりにもきっぱり言われてしまったのでエースはまさかと思いさらに聞いてみる。
「ダンス、できますよねぇ」
「ダンス?いえ、出来ませんけど」
 エースは手に持っていた鞭を危うく落としそうになった。肝心のダンスが出来ないのかよ。まいったな。しばらく考えた後エースは握っている手綱を手から離した。
「教えて差し上げましょう」
 エースが馬車から下りて馬車の扉を開いた。
「あまり時間は掛けられませんが」
 エースはシンデレラの手を取る。シンデレラがエースに手を引かれスカートの裾をとりながら馬車を下りる。
「別にサンバやタンゴを踊れって言ってんじゃないから、楽にいきましょう」
 シンデレラが目をパチクリしながらエースを見ている。ああ、この娘にはそういう言い方は通じないんだな。
「まあ、女性の場合は男の方に合わせていればいいわけですから、対して難しいことはないんですが。唯一大事な事は相手の足を踏まないことでしょうか。やって見ましょう」
 エースはシンデレラの手を取って教え始めた。
 辺りは月明りに青く照らしだされシンデレラの純白のドレスも青く滲んでいる。
 ダンスの動きを華麗に見せるエースと、それをぎこちなく真似るシンデレラがいる。

 シンデレラの馬車が城に到着したときジャックは門の所まで迎えに来ていた。止まった馬車から下りてきたシンデレラはエースに導かれて門を通った。ガラスの靴が月明りに輝く。
 シンデレラは衛兵に丁寧にお辞儀をする。エースがあらかじめ用意しておいた招待状を衛兵に見せた。難なく通過。ジャックが出迎えていっしょに舞踏会会場に行く。舞踏会場までの赤い絨毯の敷かれた階段を上る。エースは「ここでガラスの靴が脱げるんだな」と思っている。舞踏会会場に入ってクイーンを探す。どこぞの大臣とダンスを踊っていたクイーンはエース達を見つけるとウインクをして見せた。シンデレラに「じゃあ、がんばれよ」といってエースは会場から出た。しばらくしてジャックがエースの後を追ってくる。
 エースとジャックは馬車の所まで戻ってきた。トカゲの家来が馬車の前でしゃちほこばっている。エースとジャックはトカゲの家来に「ご苦労」と声をかけて馬車の中に入る。
「後はクイーンがうまくやってくれるさ」
エースがため息とともに言った。ジャックがエースの方をのぞき込みながら言う。
「エース、何やったんだよ」
「何やったって、賊に襲われたんだよ」
「そうじゃなくてさ。気づいてないのかい、襟元に口紅がついているよ。エース、君はまさか…」
 エースは自分の襟元を引っ張って見た。しっかりと赤い口紅がついている。
「あら」
「何やったんだ、エース」
「何もしちゃいないさ、十二時まではたっぷり時間はある。仮眠、仮眠。つかれたよ、ほんとに」
「おい、エース、質問にこたえろ」
 馬車の窓から見える城の時計塔が示す時間は十時ジャスト。タイムリミットまで後二時間。エースは腕時計のアラームを十二時五分前に合わせて眠りに入った。

 エースはジャックに揺り動かされて目覚めた。
「エース。やばいことになった」
「やばいことってなんだ。王子様と踊れなかったのか」
 といいながら馬車を降り、伸びをした。
「いや、それは大丈夫だ。王子様はもうぞっこんって感じだよ」
「ならいいじゃん」
「いや、ちがうんだ。王子様がシンデレラを離そうとしないんだよ」
「ますますいいじゃん」
「時計塔の時計を見ろ」
「十二時の鐘まであと十分か」
 エースが時計塔を見上げて言った。
「やばいよ。このままじゃ会場内でシンデレラの魔法が解けちゃうよ。そしたらシンデレラ、元の姿に逆戻りだ」
 ジャックが難しい顔をして言った。
「クイーンが何とかするだろ」
「クイーンの奴、酒飲んでへべれけなんだよ。クイーンに解毒剤を飲ませて素面にさせなきゃ。彼女がシンデレラに注意できれば何とかなるんだ。僕じゃ王子様の近くに寄れないし。」
 エースの頭には酔っ払ってご陽気になっているクイーンの姿が浮かんでいた。あいつ酒飲むとどうしようもないんだよな。
「タイムリミットは十二時の鐘っていったよな」
「そうさ。十二時の鐘が鳴ったらシンデレラの魔法は解ける」
 エースが陽気に言う。
「時計塔の十二時の鐘が鳴らなきゃいいんだろ」
「それはそうなんだけど。できるかい」
 エースは身を翻した。一瞬の内に御者の服装から黒装束に変わる。
「止めてみせるさ」
 いい終える間もなく、エースは時計塔に続く外壁に飛び移った。

 時計塔の機関部に入る為の扉にはいかにも屈強そうな衛兵が三人も立っていた。城の周囲に正確な時間を知らせるという大事な指命を持つ時計塔の警備が厳重なのはエースも覚悟していた。彼は足音も立てずに陰から陰に飛び移り、扉に近づいていく。三人を倒すのは難しい事ではなかったが時間のかかる無意味な争いはしたくない。エースはほかの入り口を探す。
「通風孔か」
 エースが見上げた石壁にぽっかりと穴が開いていた。エースは壁を駆け上がり通風孔に身を入れて時計塔に入る。時計塔の内部は複雑に絡み合う巨大な歯車とそれらから発せられるリズミカルな音で形作られていた。エースは歯車を飛び移りながら塔の天辺にある鐘の駆動機械に急ぐ。そして天辺近くの鐘を鳴らす為の駆動部に近づいた時、エースは人影を見つけた。整備士らしい。エースは息をひそめて様子を伺う。整備士は歯車の一つを点検している。その様子ではこちらには気づかないだろうとエースは安心したその時、
「ピピピピピピピピピ」
 腕時計のアラームが鳴った。
 あわてたエースだが鳴ってしまったものはもうおそい。整備士はハッと振り向き傍らのスパナを取って駆けてくる。整備士はスパナで歯車をガンガン叩く。非常事態の合図らしい。エースは身を隠すのをあきらめて整備士の方に躍り出た。一瞬で整備士の鳩尾に一発食らわせて失神させる。しかし下の方で塔の扉が開くのが見えた。あの三人の衛兵が入って来てエースを見つける。
 エースはそれを一瞥したが鐘を止めるのが先と、鐘を鳴らす駆動部まで上がっていった。駆動部までたどり着いたエースは目の前の機械を見回す。三人の衛兵が階段を上ってくる。
「止めるレバーは…」
 目の前にはレバーが何本も突き出ている。エースにはどれを動かしたら鐘が止まるのか分からない。試しに何本かいじってみる。
「これかな」
 レバーを引いた瞬間に蒸気がプシュー。階段を上っていた三人の衛兵に吹きつけられ彼らは階段を転げ落ちる。
 エースは焦りながら次から次へとレバーを引いていく。その度に汽笛が鳴ったりり機械が動き出したり忙しいが時計が止まる様子はいっこうにない。そして時計の針は十二時をさそうとしている。
「もう分からん!」
 エースは鐘まで階段を駆け登る。時計の針が動き、十二時になった。エースから動き始める鐘が見えた。エースは背中の剣を取り鐘に向かって投げつける。剣は鐘を動かす鉄のアーム部の駆動部との接合部分に挟まった。鐘が軋んだ音を立てて止まる。
 エースは鐘の傍らまで来て息をつく。エースは剣を隙間にねじ込んで固定する。これでもう鐘は動かないだろう。
 下から階段を転げ落ちた衛兵がまた上ってくるのが見えた。
「鐘を止めちまえばもういいんだ。ゆっくり相手をしてやるよ」

 ジャックはクイーンを探す。舞踏会場を見回してやっと見つけた。彼女はどこかの貴族の娘を捕まえて説教をしている真っ最中であった。
「だいたいねぇ。あんたたちがシンデレラをいじめるからアタシがこんな事しなきゃなんないのよ。ふざけんじゃないのよ、まったく。婆さんの格好させられたりさ。あんたたちのせいだかんね」
 ああ、なるほど。あの二人がシンデレラの継母の娘か。ジャックは妙に納得しながらクイーンの袖をひっぱった。 
「何するのよ。ああ、ジャックじゃない。シンデレラはすっごいハッピーなんだから…」
 ジャックはクイーンに強引に解毒剤を飲ませた。クイーンはたちまち目を回しジャックの腕の中に倒れ込む。ジャックは眠りこんだクイーンを引き摺って人の間をかき分けながらテラスの方にいく。これで三十分もしたら目が覚めるだろう。

 そして三十分。目を覚ましたクイーンは窓にかけより時計塔をみた。
「もう十二時じゃない!」
「まだ鐘は鳴らないよ。時計は十二時で止まったままさ」
「…なんで」
「エースが止めたんだ。シンデレラが元の姿に戻らない為にね」
 クイーンが会場を見回す。王子様と踊るシンデレラがいる。シンデレラはすでに会場の華となっている。
「だから、クイーン。君がシンデレラに夢の終わりを伝えるんだ」
「なるほどね。シンデレラの夢は終わるのか」
「夢が終ってハッピーな現実が始まるのさ、クイーン」

   *   *   *

 シンデレラははっと気づきました。
「ああ、私は十二時の鐘が鳴る前に帰らなければならない」
 王子様が驚いて聞き返します。
「何をいうんですか。まだ舞踏会は始まったばかり」
 シンデレラは王子様の手をふり解き駆け出しました。
 王子様が後を追います。
「待ってくれ」
 お城の階段を降りる時にシンデレラのガラスの靴が片方脱げてしまいました。

   *   *   *

 十二時の鐘が鳴った後の時計塔の上。三人の男女が屋根に寝転ぶ。
 ぐにゃぐにゃに曲がった剣を弄びながらエースが言った。
「これで後は王子様がシンデレラを探しだすのを待つだけだ」
 ジャックが言う。
「ガラスの靴もちゃんと脱げたしね」
 何時の間にかドレスから黒装束に着替えているクイーンが問いかける。
「でも脱げるってことはシンデレラの足にあってないって事じゃないの」
 ジャックがニヤッと笑って答えた。
「大丈夫。あの靴はシンデレラしか履けないんだから。そういうふうに作ったんだ」
「アタシはもう一仕事残ってるんだね。魔法使いのお婆さんだもの。シンデレラを本当のお姫さまにしなきゃ」
 クイーンはそういって屋根から降りていった。エースとジャックがその場に残される。
 エースは月を見ながらいう。
「シンデレラ、かわいかったな」
 隣にいたジャックが急に真剣な顔になってエースに言った。
「でもやっぱり気になるんだけどさ、エース」
「何が」
「あの、襟に着いていた口紅は一体何だい」


終わり

戻トップページへ