本家武蔵野山岳会・首領の語録
illust=M.Nakamura
5月の連休に素晴らしい山登りが出来た。これも、良き山の友と、良き素材のお 陰だ。そのどちらが欠けても、心と体は、ひたすらな高みを目指すことは、出来な かっただろう。蛇子沢左股の登高、に下降。そこで出会ったのは、風と陽光と雪面 とカモシカだけだ。これが春の山の満喫だ。 6月の予定 ビールは泡1・・・先ずは鱒釣場で、キャベツのおしんこで軽く一杯。 広沢寺ゲレンデで汗をかいた後。 6月12日 例会No.171 ビールは泡2・・・谷川温泉近くの食堂で、冷や奴で立て続けに3杯。 一ノ倉沢の何処かのルートを早めにやっつけた跡。 6月27日 定期山行No.170 先月の予定は、雨のため全滅。その代り、インドアークライミングばかりに行っ たので、自分でもびっくりする程、上手くなってしまった。これは、なんか、同年 代のおじさん達を刺激したみたいで、ここのところの平日の夜は、道場で挑戦を受け 続けている。それは良いのだが、その後の生ビールが旨く、体調が最悪。 7月の予定 太陽が一杯・・・7月11日 定期山行No.171 丹沢、神ノ川流域の沢登り。出来れば本谷から檜洞まで 。 太陽が二杯・・・7月25日 例会No.172 再度、谷川岳でのホンチャンクライミング。暑いけど我慢しよう。前の晩から出発。 3月の予定 定期山行No.167 恒例、バススキーツアー。 水上、天神平、宝台樹スキー場 3月13日、14日。 例会No.168。 八ガ岳・地獄谷のつもりが悪天候のため黒百合平。 再度挑戦は4月。 3月21日、22日。 どうしても一言、云って置きたいことがある。谷川岳ロープウェイ計 画の事だ。情報では2001年を目処に、天神平ロープウェーイ土合駅よ り新道沿いに、一ノ倉沢出合いまでロープウェーイが敷設され、一ノ倉沢 には通年の観光施設まで作られるらしい。理由は新道利用による、自動車 の渋滞と排ガスによる公害防止である。ふざけるな、このインチキ野郎ど も。なんでも、途中に鉄塔2本だけの工法を理由にした、ローインパクト を主張しているらしいが、1年中人を運び込み、屎尿や、排水を垂れ流し、 ローインパクトでもあるまい。それにもっと奇怪なのは、反対の声が、自 然保護団体にも、地元にも、山岳会にも、マスコミにも、全然起こらない という事である。たかだか鉄塔2本だけの事であるし、そこには、大鷹も 営巣していないが、自然を子々孫々に残したいという運動は、自分が日が な一日眺めていた風景を、俺の思いのこもった大地を、ぶち壊されたくな いという、素朴な感情から生まれて来るべきものなんだ。 上弦の 月に喰わるる 青き星 牛 連絡先・・・0422ー48ー2452 大淵 4月の予定 定期山行No.168。 雪稜を越え、雪山の核心で遊ぶ。そこはアドベンチャー。 苗場山→佐武流山のつもり→切明。 4月10日、11日。 例会No.169。 青空の下、雪壁を越え、ブルーアイスにアックスを奮う。 八ヶ岳、地獄谷権現沢左又に再度。 4月4日。 かさり かさり かさり 雪の音がこんなにも大きいと、このあいだ、初めて知った。初めて知った という事は、人生の半ばを越え、初めて知ったという事である。かさり、 かさり、かさり。雪は、俺達の潜む天幕に落ちて来た。しばしば強い風が 天幕を孕ませ、俺の体を圧した。懐かしかった。尻のまん中から突き上げ る寒気も、咽喉の奥に潜む明日への恐怖も、不意に口を突く本音も、懐か しかった。 Tが小さなコンロを操り、一心にお湯を沸かしている。Tの手のうちで, 赤や、青や、黄の炎が小さく踊り、湯気を作り出す。俺とTの眼は合わさ り、踊る炎を見詰めている。かさり、かさり、かさり。雪は、俺とTとの 話に口を挟み、俺とTに話しかけて来る。かさり、かさり、かさり。雪は、 俺とTの頭上の天幕の上を滑り、地上におりる。Tが笑う。俺も笑う。笑 い声は予想外に大きく、天幕を突き抜け、狂気渦巻く闇夜へと飛び出して いった。 かさり かさり かさり 雪の音がこんなにも大きいと、俺の耳は初めて 知った。 牛 5月の予定 定期山行No.169。 何となく気怠い連休を、その隙間に人混みを避け て、こそっと出掛ける。 何処だかは未定、気分次第。 5月の連休中の或る日。 例会No.170。 山菜を喰らい、酒を飲むキャンプ。 再度、峠を越えた廃村で、地の物での宴会。 会津中街道の宿場跡。 5月22日・23日。 それにしても最近は嫌な事が多すぎる。ただでさえ、世紀末という悪い 語感の時代なのに、コソボ、高校生大量射殺事件、サッチー、ミッチーあ ほ報道合戦。身近なところでは、食い詰め詐欺師の市議当選、雪山にいっ ぱい湧くスノボ、バカ高校生に、バカP・T・A。 まぁ、はっきり云って、俺の心は、あの法廷居眠り野郎に近づきつつあ る。現代の人類世界を見ていると、天から星が落ちてきても、地下からマ グマが噴き出してきても、なんら不思議ではない。悠久と続いてきた人類 の歴史を、そろそろ終わらせようじゃないかという、シナリオが出来上が ってきているのでは。そう思うと、神代の昔からの峠に咲く、今年の桜が いつになく愛ほしくなってきた。 はなは咲き はなが散るなり 旧る峠 牛 乾いたクライミングやら、蹴り込みクライミングやら、ガリゴリクライミングやら色々 やっています。それで分かったこと。乾いたクライミング、5.10aは登れても、5.10bは 僕には登れない。蹴り込みクライミングは多忙島国人の高所クライミングの疑似体験願 望である。ガリゴリクライミング、が実のところ僕には一番性に有っているのでは。 2月の予定は2本。例会143番。日光のスキーと足尾の氷登りを一回でたのしもうと いう贅沢なプラン。例会142番は北八ヶ岳の静かな夜を暖かい山小屋(大河原ヒュッ テ)でゆっくりおくり、翌日は僕達だけのパウダーを楽しむ。 (大淵・牛) <例会。No137> 9月16日 一の倉は盛況だった。テールリッジにはこの時期にしては珍しく、雪渓通しに取り付け たが、その手前で嫌な巻きをやらされ、ロープを出した。中央稜は3パーティ位の順番ま ち、あとで上から眺めたら、上から下まで間断なくクライマーが並んでいた。南稜も2パ ーティが待ち、本谷をわったたら静かになるだろうと思っていたが、案に反し、2ルンゼ にも、3ルンゼにもパーティが入っていた。 本谷の4ルンゼのF滝の1ピッチは調子を探るようにゆっくり登り、2ピッチ目を、若い 学生に力量をはかる企みでトップをのぼらせたが、しっかりとした、スムーズな動きでのぼ り、あとのピッチにすっかり安心感をもてた。 いつもは濡れていて嫌らしいF3はすっかり乾いていて、短いが難しいムーブを楽しめた。 つぎの高度感のでるF4は、学生が「うほー」と歓声をあげながら右からのぼり、僕は細かい ホールドを拾いながら左をラストで登った。ツメの開放感は4ルンゼの楽しみのひとつだろ う。一の倉尾根の終了点からのマウンテンビューも労苦の褒美としては余りあるものである。 少しのササ径をわけ、一の倉の山頂からの芝倉新道を下ったが、油のめぐりの悪くなりかけ た膝には、こちらの労役の方がこたえた。 (大淵・牛) <感想> スキーヤーはボーダーのことをゴキブリと呼んでいる。確かに、上から見ていると、当世流行 の黒っぽい服装と相まって、ゲレンデで横動きしている様は、台所の墨をカサコソと逃げ回そ れを連想させる。 そのゴキブリ達が最近では山の領域にも出没しはじめているらしい。 雪の山での楽しみかたには色々あるだろうが、頭は軽いが、体力と下半身は自信たっぷりの 自意識過剰連中が、俺の尾瀬に、俺の苗場に、俺の南会津に、入り込んでくるのは嫌な感じ だ。ああいうのとか、沖縄とかを見ているとアメリカという国が嫌いになる。 定期山行144番のご案内 4月5ー6日 至仏山を滑る (大淵・牛送 96-4) チョットさぼると登れなくなるのが、インドアのクライミングだ。それにどうやら、健全な 中年の社会人には5.11の入り口あたりが限界だというのも、インドアクライミングという ものらしい。パンプ2で先週登れたボルダーが。今週はのぼれなくなっているかも、と怖が っている今日。 (大淵・牛走 96-9) <感想> ひさしぶりのクライミングジムは惨敗だった。夏の盛りには5.11の入り口あたりまでには指が かかっていたのだが、一ヶ月ぶりのボードは5.9でばたばたしてしまった。一緒に行ったろっ骨 負傷のリハビリ上がりの友が快調だったのに比べ、おのれの腑甲斐無さに、打ち上げのアルコー ルが進み過ぎ、一週間ほど腹具合がすぐれなかった。 (大淵・牛走 96-11)
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